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古典リメイク『レッド・レンズマン』2章-2

2章-2 クリス

 レンズマン養成所そのものは、部外者の近づけない砂漠のただ中にある。一般人は、はるか離れた海岸付近の町に泊まれるだけ。

 それでもこの時期、他星から来て卒業式を待つ家族たちや、玉の輿を狙う娘たちで、どのホテルも一杯だった。その娘たちを狙う一般の青年たちもうろついていて、あたりは既にお祭り騒ぎ。

 わたしたちはどうやら、リゾートホテルの一つに落ち着くことができた。たぶん、ヘインズ司令の口利きだろうと言ったら、アマンダに笑われた。

「何言ってるの、あなたの名前だけで十分な脅しよ。どこのホテルだって、他の客を叩き出しても、あなたを泊めるでしょうよ!!」

 ……だからその、鬼扱いはやめてほしいというのに。わたしはただ、普通に仕事をしてきただけでしょうが!!

「それにしたって、あなたを泊めたら、いい宣伝になるでしょうよ。独立レンズマン、リック・マクドゥガルの姉上なんだもの」

 とベスが言う。

 確かにリックは、現役レンズマンの中ではエースと呼ばれる存在だ。リックの姿を遠くに見ただけで、卒倒しそうな人類女性がたくさんいる。

 でも、任務上では、肉親であることなんて、一切関係ない。リックはわたしに特別に情報を洩らすなんてこと、してくれないもの。リック自身が気付かないうち、わたしが彼の心から情報を読み取ってしまうことはあるにしても……

 ああもう、とにかく、わたしは毎日、海で遊んだり、町で買い物したりしていればいいのよ。二か月もそうしていたら、頭が溶けてしまいそうだけど。

 ベスもアマンダも、久しぶりの休日を十分楽しんでいる様子だった。ベスはパトロール艦の艦長だし、アマンダは一般将兵の訓練施設の教官だから、日頃は毅然として、難攻不落の顔をしているけれど。

 今は鮮やかなサンドレスを着て、イヤリングを揺らし、しゃなりしゃなりと歩いているから、通りかかった男性にナンパされることもある。二人とも喜んで応じているが、それでも、お茶を飲む以上の関係に進まないのは不思議だ。

(もしかして、わたしの護衛という訳目もあるのかしら)

 と思ってしまう。

 わたしはこれでも、普通人の一般隊員としては最高の出世を果たした身だ。隊の機密事項も、あれこれと頭に詰まっている。パトロール隊の敵から、暗殺や誘拐の対象にされてもおかしくない。というより、既に幾度かそういう危険はあった。

 でも、本当は護衛なんでしょうと尋ねて、素直に答えてくれる二人ではない。

『やーだ、クリスってば、自惚れないで』

 と笑われるのが精々だろう。だから、わたしは知らん顔して、貴重な休暇を楽しめばいい。明るい陽光の下で出歩くうち、だいぶ力が抜けてきて、自分がいかに疲れていたのか、納得できた気がする。

 予定のない日なんて、大学を駆け足で卒業して以来、いつあったのか。思い返してみれば、

(パパとママの仇を討つ)

 と決意した少女の日から、わたしはどれほど走り続けてきたのだろう?

 学校は飛び級を重ねて卒業し、パトロール隊に入って、ひたすら上を目指した。五つ年下のリックがレンズマンになったことで、一層闘志が湧いた。

 弟なんかに負けるものですか。チビの頃は泣き虫で、わたしのスカートの裾をつかんで離さなかったくせに、姉を飛び越えて一人前面するなんて。

 リックはいつからか、泣かなくなった。そして、大人ぶって笑うようになった。

『姉さん、仕事ばっかりしてないで、デートでもしてきたら?』

 あなたこそ、ベルに応えてやりなさいよ。ほんの一時間で済むことじゃないの。ベルに子供を与えてやることくらい。そうしたらまた、好きに宇宙を飛び回ればいいのだから。

 そうして、三人でお弁当を持ち、車で海水浴に出掛けた日のことだった。運命の出会いを果たしたのは。

「うわあ、きれい!!」

「ねえ、ここで泳ごうよ」

 わたしたちはグレートバリアリーフを見下ろす長い断崖の上に車を停めると、岩に刻まれた階段を伝って、下の砂浜に降りた。浅い部分はエメラルド色、沖に向かうにつれ紺碧になる海が広がっている。サンゴ礁のおかげで、波も穏やかだ。

 誰もいないので、その場で水着に着替え、日焼け止めを塗って、岸の近くで一泳ぎした。透明な水、群れをなす鮮やかな魚たち、そこに差し込む陽光のきれいなこと!!

 程よく疲れて岸に上がり、岩の陰になる場所を選び、バスケットを開いてランチにしようとした時だった。崖を伝い降りて、三人組の青年たちが現れたのだ。

 Tシャツにショートパンツの軽装は当然としても、昼間から酒に酔っている。ぶら下げた酒瓶に赤い顔、定まらない足元。案の定、彼らはふらふらとこちらに近付いてきた。崖の上から眺めて、女ばかりと見定めたのだろう。

「やあ、一緒に遊んでくれませんか、お姉さんたち?」

「ぼくたちねえ、寂しいんです」

「ちょうど三人と三人だし、カップルになりませんか。いい気持ちにしてあげますよぉ」

 まず、酒臭い息に閉口した。おおかた、レンズマン狙いの女を目当てに集まってきた青年たちだろう。レンズマンしか目に入らない娘たちに相手にされず、不貞腐れて自棄酒というわけか。

「坊やたち、酔って泳ぐのは危ないわよ」

「酔いが醒めるまで、昼寝でもしてらっしゃい」

 こちらは年上らしく、からみついてくる腕を振り払って、軽くいなした。大騒ぎして、地元警察を呼ぶまでもない。こちらはパトロール隊員なのだ。いざとなれば酔漢の三人くらい、造作もなく片付けられる。

 けれど彼らは、三人がそれぞれ、わたしたちの行く手を阻んだ。

「ねえ、いいでしょう、遊んで下さいよ」

 向こうが再度手を伸ばしてきたので、するりとかわした――つもりだった。わたしたちはいずれも格闘訓練を積んでいるから、相手が屈強な男でも、ひけを取ることは滅多にない。

 ところが、この三人組は異様に強かった。酔っていたにもかかわらず、あっさりわたしたちを転倒させ、砂地に押さえ込み、動きを封じてしまう。そして、赤く染まった顔を寄せてくる。

「お姉さんたちも、どうせ、レンズマン目当てなんでしょう。無駄ですよ。あいつら、優等生が身に染みついてるから、女遊びなんかしやしない」

「それより、ぼくらと遊びましょうよ。楽しませてあげますよ」

 ぎょっとしたのは、大きな手で、水着の胸をぎゅっと掴まれたからだ。まさか、このわたしがこんな目に?

「やめて!!」

「やめなさい!!」

 ベスとアマンダもそれぞれ抵抗しているけれど、巧みに封じ込まれている。そして、あっという間に、水着の上半分をむしり取られていた。これほどの腕前がありながら、酔って女に乱暴するなんて、信じられない。

 その時、真相がひらめいた。

(――この子たち、退学組なんだ!!)

 最初は百万人もいたレンズマン候補生たちは、幾度もの審査や試験で切り捨てられて、地球の訓練所に来る頃には、わずか一万人になっている。それから五年間の訓練のうち、少しでも弱点を見せた者は、どんどん追い出されていく。だから卒業寸前の今の時期は、ほんの百人ほどに絞られているのだ。

 この子たちはおそらく、五年間頑張り通した挙句、最後の最後で退学になったに違いない。だから、余計にショックが大きかったのだろう。家族や友人の待つ故郷に帰る勇気がなく、ここらでぐずぐずしているのだ。

 わたしたちでも勝てないわけが、わかった。頭脳も肉体も、人類社会の中でトップクラスの青年たちなのだ。女がどう鍛えたところで、桁が違う。

 でも、だからといって、このままレイプされるわけにはいかない。そんな真似を許したら、この子たちの人生まで狂ってしまう。ほんの一時、自制心を失っているだけなのだ。

 砂で目つぶしを食らわせ、急所を蹴り上げようと考えた時、

「やめろ、何をしてる!!」

「その人たちから離れろ!!」

 白い砂を蹴立てて走ってくる青年たちがいた。やはり三人組で、シャツとハーフパンツの軽装。

 この三人は、酔っ払い組とは段違いに強かった。わたしたちを押さえ込んでいた青年たちをあっさり引きはがし、ぶん殴り、投げ飛ばし、あるいは蹴り倒す。

 ほんの数秒で、酔っ払いたちは見事に昏倒させられていた。彼らもこれほど酔っていなければ、もう少し刃向かえたかもしれないけれど。

「申し訳ありませんっ!!」

 新たに登場した三人組は、揃って砂の上に平伏し、頭を下げた。わたしたちが裸の胸を隠して唖然としている前で、必死に懇願する。

「こんな真似は二度とさせませんので、どうかどうか見逃してやって下さい!!」

「今は荒れてるけど、ほんとは真面目な奴らなんです!!」

「酔いが醒めたら反省すると思いますから、通報だけはご勘弁下さい!!」

 なるほどね。こちらの三人は、卒業が決定しているレンズマン候補生なのだ。退学になった仲間が荒れていると知って、急いで飛んできたのだろう。まさしく、エリート中のエリートだ。

「助けてくれて、ありがとう」

 わたしたちはそれぞれ水着を着直し、砂を払い、髪を撫でつけてから、礼を言った。

「未遂だったから、今回は特別に見逃します。でも、次に同じようなことをしたら、その時は逮捕ですよ」

 簡単に〝前科者〟を作りたくないが、この子たちが世間を甘く見ても困る。市民社会に不満を持った者は、海賊組織や麻薬組織に勧誘されやすくなるのだ。

「わかっています。よく言って聞かせますので、どうか……」

 三人の真ん中にいた赤毛の青年が、そこでようやく顔を上げて、わたしの顔をまともに見た。そして、口をぽかんと開けて凝固する。左右の青年二人も、顔を上げて硬直した。

「お、鬼……いえ、クラリッサ・マクドゥガル補佐官でいらっしゃいますね」

「お、お噂はかねがね、教官たちから……ち、地球においでとは」

 急に、どもらないでほしい。ただ、真ん中の青年だけは、言葉を忘れたかのように、目を丸くして、間抜け顔をさらしたまま。

 まるで、初めて女という生き物を見たかのよう。それとも、恐怖のあまり、口も利けないというの?

 まさか、普段からこんな、お間抜けさんのはずがないわよね。レンズマンになるのだから。

 そうこうしているうち、気絶していた青年たちが、それぞれうめいて身動きした。中の一人が上体を起こし、苦痛の表情のまま、憎々しげに叫ぶ。

「俺たちに構うな、キム!! おまえらに同情されるくらいなら、刑務所に入った方がましだ!!」

 キム? ……そういえば、ヘインズ司令から聞いた。今年度、首席で養成所を卒業する青年のことを。

 確か、キムボール・キニスン。代々レンズマンを輩出してきた名門一族の出身。彼ならば首席で当然だと、ヘインズ司令も期待をかけていた。一緒の二人は、やはりトップクラスの友人たちだろう。

 退学組の怒りも、無理はない気がしてきた。こんな飛び抜けたエリート青年たちには、努力しても落ちこぼれていく者の気持ちなど、生涯、わかるまい。ましてや、レンズマン候補にも選ばれない女の悔しさなど。

 ふらつきながら立ち上がろうとする青年たちに、わたしはまず、強めのビンタを見舞った。ベスとアマンダの分も含めて、一人一発ずつ。

「これは、お尻を叩く代わりです」

 彼らはもう抵抗せず、黙ってビンタを受けた。肉体は立派に出来上がっているけれど、顔つきはまだ幼い。歯を食いしばり、泣くまいとしているようだ。キムたちに殴られた箇所が、赤く腫れ上がり、変色し始めている。

 彼らの子供時代が、目に見えるようだった。両親や祖父母が自慢する、スポーツ万能の秀才。女の子たちの憧れ。レンズマン候補生に選ばれ、故郷を出発する時はきっと、町ぐるみの壮行会で送り出されたに違いない。

「まずは、家にお帰りなさい。あなたたちを愛する人は、あなたたちがレンズマンになれなかったことを、きっと喜んでくれるから。ことに、お母さんはそうよ」

 レンズマンになれば、もはや普通の幸せなど望めない。自分のことなど後回しにして、ひたすら任務のために宇宙を駆け回る一生だ。リックだって、ベルを愛しているからこそ、わざと逃げている。

「ご両親だって、本当はあなたたちに、苛酷な人生なんか送ってほしくないと思うわ。でも、あなたたちが優秀だから、笑って送り出すしかなかったの。普通人でいられるなら、その方がずっと幸せよ。あなたたちも、何年かしたら、きっと感謝するわ。レンズマンになれなかったことに」

 もちろん、この子たちは納得しないだろう。ずっと英雄になることを夢見て、努力し続けてきたのだから。

 でも、本当はレンズマンだって、心の底で夢見ている。平凡な男として生きる人生を。

 わたしは父が何度も、母に謝っていた姿を知っている。一緒にいられなくてすまない、子育てを全て負わせてすまないと。母はいつも、笑って答えていた。あなたが生きていてくれれば、わたしはそれだけで幸せなのよ。

 生きていてほしかった。父にも、母にも。そして、リック。自分の幸せも、どうかあきらめないで。

 わたしは軽く背伸びして、惨めな顔をした青年の、砂の付いた頬にキスしてやった。

「これは、お母さんの代わりのキスよ。今日まで、よく頑張ったわね。その努力は、生涯の財産よ」

 それを見ていたベスとアマンダも苦笑し、それぞれ、目の前の青年に軽いキスをしてやっている。彼らは苦い羞恥で顔を赤らめ、ぼそぼそと詫びを言い、落ちていた酒瓶を拾って、よろよろと歩み去っていった。同情顔で見守る優等生三人組に対しては、

「余計なお節介は、二度とごめんだからな!!」

 と捨て台詞を残して。

 白い砂浜に残されたわたしたちは、涼しい潮風の中、改めて向き合った。真ん中の青年が、直立不動で名乗る。

「申し遅れました。レンズマン養成所、訓練生のキムボール・キニスンと申します」

 やはり、首席の子ね。短く刈った赤褐色の髪、聡明さのわかる金茶色の瞳、すらりと伸びた健全な体躯。たぶん、本当の挫折なんか、ただの一度も経験していない。

 他の二人も元気に名乗った。

「ラウール・ラフォルジュです」

 というのは茶色い髪に緑の目、小麦色の肌の青年。俳優にでもなれそうな美形だけれど、しなやかな屈強さを秘めている。

「クリフォード・メートランドです」

 こちらは黒髪に茶色い目の、浅黒い肌の精悍な青年。男らしい、がっしりした体格をしている。

「今年度のトップ3ね。頼もしいわ」

「助けてくれて、どうもありがとう」

 とベスやアマンダがにこやかに言うと、彼らは照れて頭をかいた。さすが、二人とも、卒業生のリストはチェック済みなのね。

「皆さん、お怪我はありませんか。ホテルまでお送りしましょうか」

 とラフォルジュが言う。その必要はない、と言おうとしたのに、アマンダが素早く答えている。

「あら、嬉しいわ。でも、その前に、お昼を一緒にしないこと? 料理はたくさん持ってきてるのよ!!」

 青年たちは、単純に喜んだ。いいのかしら、精子を狙われているんだと、この坊やたちに警告してやらなくて。

 でもまあ、そういう女たちを上手くあしらうのも、レンズマンの仕事の内かもしれない。見せてもらいましょうか。トップ3の女あしらいを。 

   『レッド・レンズマン』3章に続く

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