古典リメイク『レッド・レンズマン』9章-2 10章-1
9章-2 クリス
驚いたことに、独立レンズマンが二人も見舞いにやってきた。リックとホーヘンドルフ校長だ。
リックはわかるけれど、なぜレンズマン養成所の校長まで、わざわざ地球から? 放校にした者とは、一切の関りを持たないはずだ。
「姉さん、ちょっと外してくれないか」
深刻な顔のリックに言われたが、断った。
「家族しか面会できないはずよ。わたしは婚約者だけど、あなたたちは部外者でしょ」
エレーナはたまたま、買い物で外に出ていた。こんな押し問答を見せなくて、よかったと思う。
「それに、もう見放した相手に、今更、何の用ですか?」
と腰に手を当て、いかつい老校長を見上げて尋ねた。幾度もの大怪我を経て、今では人工骨格とクローン内臓で生きているという、歴戦の闘士だ。
「まさか、これ以上、キムを何かに利用するつもりじゃないでしょうね。わたしが立ち会えないなら、あなたたちの面会も認めませんよ!!」
文句があるなら、腕力でわたしを押し出せばいい。ホーヘンドルフ校長は、苦笑いだった。
「構わん、リック。どうせ、わかることだ」
「はあ、それでは」
校長がリックに薄い小箱を渡し、リックがそれを開いた。中に入っていたのは……プラチナ・イリジウム製の腕輪。そして、そこに嵌められた円形の物体は……鈍い乳白色に、うっすらと光っている。
まさか。そんな。
「キム、きみのレンズだ。校長に預かってもらっていた」
ああ、何てこと。
「表向き、きみを放校にするよう計らったのは、ぼくだ。レンズマンでは、デッサに近づけなかったからね」
リックは、キムの力のない手を取り、腕輪をはめた。キムの肌に触れたレンズは、前よりは少し輝きを増したが、それでもまだ、リックや校長の力強いレンズの輝きとは比較にならない。
「きみは大手柄を立ててくれたよ。ありがとう。死ぬ時は、せめてレンズマンとして死んでくれ」
リックの台詞に、わたしは怒りで目の前がかすんだ。
この、大嘘つきたち。おまえは退学だ、なんて宣告しておいて。キムはあんなに尊敬していた大先輩たちに、裏切られていたのだ。
「リック、あなた……」
「ああ、退学になった三人組に暗示をかけて、姉さんたちの方に向かわせたのは、ぼくだ。その場に、キムたちを呼び寄せたのも」
リックは素直に白状した。どうせ、いずれは知られることだと思っていたのだろう。
「首席のキムを卒業直前で退学にするには、何かしらの口実が必要だった。さもないと、他の候補生たちに疑念を持たれてしまう」
あの気の毒な坊やたちまで、利用されていたのだ。酔って女に乱暴するような、そんな愚かな子たちではなかったのだろう。
わたしは手を振り上げ、同情的な顔つきの校長に止められる前に、リックに平手打ちを食らわせていた。リックは避ける動きをせず、黙って甘受する。
「卑怯者!! だからレンズマンは嫌いなのよ!! 平気で人を操って!! 人の命も、人生も、いくらでも利用できると思ってる!!」
リックの気持ちはわかっている。銀河文明を維持するため、大勢の市民の日常を守るため、出来ることは何でもしなければと思っているだけ。でも、言わずにはいられない。キムはもう、何も抗議できないのだもの。
「これが、あなたたちレンズマンのやり口なのね!! 銀河文明のためだと言えば、どんな策略でも許されると思ってる!!」
わたしは遣り場のない怒りのまま、二人の大男を廊下に追い出した。
「さあ、もう用は済んだでしょう!! あとはわたしとエレーナが看取るから、放っておいて!!」
病室の扉を閉ざしてから、悔しさのあまり、涙が湧いてきた。
何てことなの。キム、あなたは立派に合格していたのよ。なのに、まんまと騙されて、スパイなんかに使われて。リックもひどい。校長もひどいわ。
後から戻ってきたエレーナに、わたしは事情を話し、弟の仕打ちを謝罪した。けれど彼女は、涙を流しながらも、首を横に振った。
「レンズをもらえたのだもの。これでもう、思い残すことはないでしょう」
そんな、実のお母さんまで、あきらめたようなことを。
「レンズがあってもなくても、この子は戦うために生きてきたんです。子供の頃からずっと、あらゆることに全力で立ち向かって、努力してきました。レンズマンを目指した以上、どこかで倒れるのは、わかっていたことです。本人はきっと、後悔していないでしょう」
***
その晩、わたしは医師団の許可を得て、病室に泊まりこんだ。簡易ベッドを入れて、そこで寝るつもりだった。付属の浴室でシャワーを浴び、パジャマに着替えて、キムの枕元に立つ。
リックも校長も、もう来ないだろうけれど、番人のつもりだった。たとえヘインズ司令が勲章を持って来たって、もうキムに近づけるものですか。
そこで、ふと思いついて、自分のパジャマの前をはだけた。そして、管につながれていない方のキムの手を取り、裸の胸に当てがった。
レンズが弱々しく光を放っている方の腕だ。上から両手で押さえ、大きな掌が、わたしの乳房を包めるようにする。
「ねえ、キム、どうかしら。あなたの好みに合う?」
感謝してほしいわ。これまで、誰に口説かれた時も、素肌に触らせたりしていないんですからね。
なのに、キムの手には何の力もなく、閉じた瞼もそのままだ。
「目を覚ましなさいよ。起きたら、もっといいことがあるわよ。あなたのしたいこと、何でもさせてあげるから」
毎週の手紙。心を砕いた贈り物。キムの気持ちに嘘はなかった。本当に、わたしと結婚したいと思っていてくれたのだ。なのに、わたしときたら。こんなことになるまで、キムに返事もしないで。
「ねえ、目を覚まして。戻ってきて。あなたはまだ、何も人生を楽しんでいないじゃないの」
こんな風に死んでいいはずがない。こんなことで。デッサなんかのために。自分がレンズマンだと知らないまま。
「ねえ、起きてくれたら、デートするわ。あなたのしたいこと、何でもするわよ。ドライブにも行くし、食事もダンスも……」
それ以上のことも、もし、キムが望んでくれるなら……わたしなんかで、本当にいいのなら。
涙が溢れて、止まらない。馬鹿だった。若者の真剣なプロポーズに対して、あんな態度をとって。わたしこそ、傲慢な大馬鹿よ。年の差が何だというの。生きているうち、楽しく過ごせれば、それで充分じゃないの。
わたしはキムの病床に上がり込み、胸をはだけたまま、上からそっと覆いかぶさった。点滴の管を圧迫しないように、注意して。そして、ひんやりした顔にキスをする。医師や看護師が別室でモニター画面を見ているだろうけれど、構わない。
目を覚まして。お願いだから。わたしに出来ることなら、何でもするから。
死なないで。死んじゃだめ。キム、どうしたら、わたしの声が届くのかしら……
10章-1 キム
自分が眠っているのは、わかっていた。深い海の底のような、暗く静かな場所にいて、一人で横たわっている。
穏やかで、安らかだった。こんなに深く、気持ちよく眠ったことはない気がする。
永遠に、こうしていたい。だって、現実の世界では、辛いことばかりだったじゃないか……砂漠をさすらったり、大怪我をしたり、好きになった人に嫌われたり……
このままいつまでも、海底に沈んでいられただろう。くすぐったいような、優しい、かすかな感触を覚えなければ。
まるで、誰かにキスされ、全身を愛撫されているかのような……とろけるような心地よさ。
蜂蜜のような、甘いささやきも聞こえる気がする。
……ねえ、起きて、いいことしてあげるから……キム、あなたが好きよ……ほら、わたしの胸に触って……あなたのしたいこと、何でもしていいんだから……
とびきり贅沢で、秘めやかな夢だと思った。目覚めないまま、いつまでも、この悦楽に浸っていたい……夢の国の女神が、ぼくを愛撫してくれる……
なのに、その刺激が強くなってきた。夢にしては、やけにはっきりした感触だ。キスが甘すぎて、愛撫が執拗で、むずむずする。腰のあたりに快感が集まって、我慢できなくなってきた。
ああ、くそうっ。
起き上がって、キスしてくる相手を捕まえ、逆に押さえ込んで、征服してしまいたい……いや、これは夢だから、起きたら、デスプレーンズ運輸の一室にいるだけか……
ぽっかり目を覚ましたのは、静かな部屋のベッドの上だった。窓には覆いがかかって、室内は薄暗い。自分は裸のようだが、ふんわりした上掛けの中にいるから、寒くない。
顔に何か、ふわふわしたものが当たって、くすぐったかった。甘い香りのする髪だ。それに、全身に温かい重みがかかっている……
これもまた、夢なのかと思った。ぼくの上に重なって、女性が寝ているではないか。赤い髪と、深い寝息と、背中の穏やかな上下がわかる……しかも……この感触は……お互いに全裸なのか?
心臓が止まるかと思った。これは、クリスさんだ。
クリスさんの片方の太腿が、ぼくの脚の間にすっぽりはさまっている。丸い二つのふくらみがぼくの胸に当たって、柔らかく潰れている。本人は深く眠っていて、ぼくの肩のあたりで目を閉じている。
いったい、なぜ、こういうことに。
焦って手を動かしたら(もう片方の手は、なぜか動かせない)、クリスさんの裸の背中から腰までを撫でてしまった。なめらかで温かな感触。気持ちよすぎて、いっぺんに覚醒する。
それはいいが、ぼくの急所まで目覚めて、ずきずきするくらい、存在を主張しているではないか。何とかしないと、クリスさんに驚かれる。いや、でも、キスと愛撫は夢じゃなくて……まさか、この人が!?
クリスさんの下からそっと逃れようとしたら、周囲の医療機器がピーピー鳴りだした。ここは病室か。片腕は、点滴のために固定されているのだ。
「んーん……」
クリスさんが何かつぶやいて、身じろぎする。そこへ、どたどたと医師団らしき人々が駆け込んできた。
「おお、目覚めてる!!」
「信じられない!!」
「奇跡だ!!」
「レーシー先生を呼べ!!」
ベッドを取り囲む大騒ぎに、クリスさんも目を覚まして、裸の上半身を持ち上げた。ああ、憧れの胸が、衆目にさらされてしまう。医師と看護師ばかりだとしても、だ。
「もう、何なのよ……」
そして、次の瞬間、金茶色の目を見開いた。
「きゃあああああ!!」
悲鳴を上げたかと思うと、ぼくの顔を両手で包み、撫でさする。
「キム!! あなた、あなた……ああ……」
何を言う暇もなかった。クリスさんが、ぼくの口にまともなキスをしてきたからだ。まるで、百年も会えずにいた、情熱的な恋人のように。
***
医師団に診察されている間に(クリスさんと母が、廊下で抱き合って泣いている)、色々と思い出してきた。ぼくは、デッサを通して精神攻撃を受けたのだ。
ブラック・レンズ。
それを通して、デッサの向こうにいる何者かがわかった。人類ではない。異質な生命体。それが、はるか遠隔の宇宙から、レンズを経由して、ぼくを乗っ取ろうとしてきた……アイヒ? アイヒ族? デッサの意識では、そういう名前だった気がする。
デッサが、その連中を嫌っていることも伝わってきた。あの、ざらざらとした不愉快な感触では、無理もない。人類とは、生活環境も、肉体面も、感情面も、大きく異なっているのだ。
だが、デッサは逆らえないまま、ボスコーンのために働かされている……麻薬組織や海賊への支援……デスプレーンズ運輸の社員を何十人も洗脳し、協力させていた……付き合いのある政治家や実業家にも、暗示をかけて利用した……デッサ自身の能力もあるが、ブラック・レンズを通して、アイヒ族の後押しを受けてきた部分が大きい……全て、短い接触の間に、彼女の心から流れ込んできた……
大変だ。
このことを、先輩に伝えなければ。
そう思った時には、リック先輩と、ヴェランシアのウォーゼルの精神が接触してきた。二人とも、この場にいるかのように生々しい。そこで初めて、自分の腕にレンズがあるのがわかった。
ぼくの、レンズ?
なぜ、どうして。
いきなり二人のレンズマンとの全面感応状態に放り込まれ、混乱したが、先輩たちは、ぼくの知識をすっかり吸い取った。
《アイヒ族か!! でかしたぞ!! 汚染された者も割り出せる!!》
《よし、後は任せろ。しばらく休養しておけ》
そして彼らは、あっという間に離れていった。忙しい人たちだ。しかしまあ……スパイの任務は、これで完了したわけだ。
今は、服を着たクリスさんが、ぼくの病室にいる。お母さんも一緒だ。二人にどれだけキスされ、抱擁されたことか。くすぐったくて、身の置きどころがないくらいだ。誕生日と新年が百回くらい、同時に来ても敵わないくらい、二人は有頂天になっている。
「クリス、あなたのおかげよ。何とお礼を言ったらいいか」
「いえ、キムの生命力ですわ。本当によかった」
「キム、もう少し回復したら、ステーキを食べさせてあげますからね」
「そう、それまではスープで我慢してね」
どうやら二人は、ぼくが寝ているうちに、すっかり仲良くなったらしい。左右から二人にちやほやされ、スープを飲まされたり、甘く煮た林檎を食べさせられたり、タオルで顔を拭かれたり、しげしげと腕のレンズを見られたり。
いや、お母さんに付き添われるのは当然なのだが……
「あのう……」
ぼくの疑問を察すると、クリスさんは威張って言う。
「わたし、あなたと婚約することにしたの。文句はないわよね?」
うひゃあ。レンズといい、クリスさんといい、夢が全部叶うなんて、怖いくらいだ。
「はい、ありません……全然、まったく、ありません。でも、どうして!?」
手紙も贈り物も、捨てられたのではなかったか。するとクリスさんは、赤くなってそっぽを向く。
「この機会を逃したら、永久に結婚できないと思ったのよ!! あなたみたいな物好き、もう二度と現れないでしょうからね!!」
『レッド・レンズマン』10章-2に続く
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