古典リメイク『レッド・レンズマン』3章-4
3章-4 キム
やがて、車が宙港へ向かうのがわかった。たくさんの車が、同じ方向へ流れていく。もしかして、ぼくをこの地球から追い払うつもりなのか。
だが、普通人がレンズマンに逆らえるものではない。ましてや、グレー・レンズマンに。
まるで決まっていた筋書きであるかのように、運転席のリック・マクドゥガルはすらすらとしゃべる。
「ちょうど明日、軌道ステーションから出航する船がある。巡回クルーズの大型客船だ。たまたま、デスプレーンズ運輸のオーナー社長が乗船している。きみを彼女に押し付けてやろう。なあに、ぼくの推薦なら断らないよ。彼女には貸しがあるんだ」
詳しい話を聞くと、オーナー社長というのは、前社長の妻らしい。前社長が死んだ後を引き継いで、経営に辣腕を振るっているとか。
「デッサ・デスプレーンズ。新聞の社交欄で見たことないか? うちの頑固姉貴なんかより、ずっといい女だぞ」
それには賛同できない。クリスさんはとても綺麗だ。何より、強い意志で輝いている。
「運輸会社なんかに入ったら、あちこちの支社に飛ばされたりして、自由が利かなくなるじゃないですか」
「ここにいたって、意味はないだろう。どうせ姉貴は、休暇を終えたら最高基地に戻るんだ」
「だから、ぼくも……」
「無駄だ。民間人であるきみが、勝手に基地内をうろつけるはずないだろう」
それは……その通りだが。しかし、最高基地といえど、民間人も働いている。食堂もあれば、倉庫もあるのだ。基地施設の外には、繁華街だってある。どこかでアルバイトくらい、できるのではないか。
「バイトの身分で、補佐官にどう近づくというんだ。それより、ぼくの頼みを聞いた方がいいぞ」
「何です?」
「麻薬組織の話だ。海賊の方はずいぶん片付けたが、彼らの中枢はまだ発見できていない。だから、麻薬組織の線をたどりたい。どうせ上では、つながっているだろうからな」
ああ、そうか。海賊も麻薬も、ボスコーンという大きな敵の下部組織にすぎないという話だ。もちろん、どちらも中枢は不明のままだから、仮説にすぎないが。
「そう、まだ証拠はない。しかし、ぼくの勘では、人類社会の民間企業が怪しい」
なるほど、独立レンズマンが、仕事以外で動くはずはなかった。彼は、ぼくの思考を読みながら話している。
「先輩……いえ、グレー・レンズマン……」
「その呼び方はやめたまえ。先輩でいい。訓練所の先輩には違いないのだから」
「ええと、では、先輩は、デスプレーンズ運輸を疑っているんですね。でもそれなら、レンズで社長や幹部職員の心を読めばいいのでは……」
いま、ぼくに対してしているように。
「前にそれで、何度も失敗した。何か知っていそうな相手の心を読もうとした瞬間、相手の心が破壊された」
あ。そうか。そんなに簡単なことではないんだ。
「そう、中堅幹部は、全て上級者から監視されているんだ。こちらが目をつけた相手は、先んじて抹殺される。あるいは、記憶を消される。上級者にとっては、取り替えのきく駒にすぎない。パトロール隊に怪しまれた駒は、簡単に抹殺されてしまう」
すると、それでは。
「そうだ。相手はおそらく、ヴェランシア人のように、精神感応ができる種族だろう。もちろん、人類ではない。我々の知る、どの種族でもないのかもしれない」
ボスコーンの上級者は、レンズマンと似たような能力を持っている、ということか。
「思考波スクリーンを展開した室内で尋問すれば……」
あ、それでも駄目だったのか。
「そうだ。そこへ連れ込む前に、心を破壊される」
それは大変だ。迂闊に調査も、尋問もできない。そんな難しい状況だとは知らなかった。公式の報道では、ごく表面的なことしか知らせないのだろう。
それを知る側になりたかった、とは思う。しかしもう、あきらめた夢だ。
「あの、ぼくは一般人ですよ。そんなに色々、捜査上の話をしていいんですか……」
「きみはレンズマンではないが、その寸前まで訓練を受けた男だ。だから、しゃべっていいことと悪いことの区別がつくだろう。きみ一人の胸に収めておく分には、問題ない」
「はあ」
「きみはデスプレーンズ運輸へ、新入社員として入る。黙って働き、目と耳を働かせる。何か怪しいことがあったら、ぼくなり、他のレンズマンなりに知らせる。そういうことだ。複数のレンズマンが遠隔できみを監視するから、非常時には、助けてくれと思考するだけでいい」
常時、レンズマンに見張られるのか。それは嬉しくない。心の奥底までは読まれないにしても、今の女性はグラマーだったなとか、このランチは物足りないなとか、表層的な思考は読まれてしまうわけだ。
「表層的な思考なぞ、レンズマンは気にしない。医者が、患者の裸を気にしないのと同じだ」
「でも……」
そんなスパイなんか、やりたくない。それよりもっと、大事なことができたのだから。
だが、リック先輩は唇を皮肉に歪ませた。
「役に立ってくれたら、休暇の時、姉さんに会えるように計らってやる。もしも大手柄だったら、姉さんと二人で、一か月くらい、どこかの無人島に置き去りにしてやってもいい」
う、そう来たか。
「ぼくは嬉しいですが、そんなことをしたら、クリスさんがどれだけ怒るか……」
「怒っても構わない。ボスコーンの中枢を突き止めるのが先だ」
改めて、慄然とした。わかってはいたつもりだが、利用できるものは、何でも使う人なのだ。鬼の弟だけある。
「それでその、デスプレーンズ運輸のどこが怪しいんです。社員に麻薬が広まっているんですか」
「そうではないが、航路に沿って、麻薬の汚染が広がっている。他の輸送会社の航路でも起きていることだが、ごくわずか、汚染の割合が高い。不審な事故も、幾度か起きている」
パトロール隊の情報部員が死んだとか?
「まあ、そのようなことだ。偶然に近い事故だが、本当に偶然かどうか。それに、デッサ・デスプレーンズは思考波スクリーンを常用している」
へえ。でも、それは別に犯罪ではない。犯罪の隠れ蓑になりうるとしても。
「そうだ。個人用の思考波スクリーン着用は、法で認められている。プライバシー保護のためだ」
ぼくだって、使いたいくらいだ。いま、自分の考えが先輩に筒抜けだと思うと。
これまでは、レンズマンが普通人の心を読むことは、犯罪捜査のために仕方のないことだと思っていたが。自分が好き勝手に読まれる立場になるのは……さすがにめげる。
「しかし、レンズマンが捜査上、必要と思えば、スクリーンの解除を命じられる。命じた瞬間、相手は死ぬか、廃人だ。もし、その相手がボスコーンの一員ならば」
「つまり、デッサ・デスプレーンズを殺さないようにして、情報を取りたいと」
「レンズマンでは警戒されるが、きみは一般人だ」
「あなたの推薦なら、あなたの手先ってことで、やっぱり警戒されますよ」
「それは構わない。どうせ、こちらの情報部員は色々な形で入り込んでいる。きみもその一人というだけだ。全てのスパイを会社から追い出すことなど出来ないのだから、受け入れた上で、うまく立ち回ろうとするはずだ」
「はあ」
「だが、デッサも常時、気を張り詰めていられるわけではない。日常の何気ない瞬間に、何か秘密を漏らすかもしれない」
ああ……そんな、溺れる者がわらを掴むような可能性に賭けて、ぼくを送り込もうなんて。銀河パトロール隊も、相当、苦戦しているらしい。
「ぼくはもう、民間人なんですよ。そのぼくに、何年も、あなたのスパイをやれと?」
「毎日連絡しろとは言わない。きみが必要ありと思った時、つなぎのレンズマンに心で呼びかければいい」
ううむ。ぼくが断って逃げたら、この人は別な誰かを使うだろう。そうしたら、クリスさんと親しくなれる可能性が……無人島に置き去りまでは願わないが、デートの機会を提供してもらうだけでも、十分な報酬ではないだろうか。
「よし。決まりだな」
うへえ。
まだもやもやしているうちに宙港に着き、軌道ステーション行きのシャトルに押し込まれた。あれよあれよという間に、ステーションに停泊した大型客船に連れ込まれる。
「まあ、リック・マクドゥガルよ!!」
「グレー・レンズマン!!」
一目で上流階級とわかる乗客たちがざわめく中、颯爽と歩く先輩の後ろで、ぼくは身のすくむ思いだった。新人レンズマンとして先輩に付いて歩けるのだったら、どんなにか誇らしかっただろうに。
いやいや、未練だ。ぼくは人生の目的を、クリスさんに切り替えた。これは、クリスさんに認められるための手段にすぎない。精々、二年か三年、辛抱すればいいのだ。それで成果がなければ、先輩だって、あきらめるはず。まさか十年も二十年も、ぼくを敵地に置き去りにはしないだろう……いや、するのかな。
「やあ、リック、グレー・レンズマン、任務かね」
「海賊たち、だいぶ静かになったじゃないか」
「姉君によろしく。来月の会議でお目にかかるよ」
あちこちで議員や大使、大企業の代表などの大物に呼び止められ、先輩はそつなく挨拶を交わしていく。有名な俳優もいたし、作家もいた。この船自体が、移動する社交場なのだ。
やがて、前方で別のざわめきが起きた。
「誰だね、女優か?」
「いや、デスプレーンズ運輸の社長ですよ」
「ほう、あれが」
賛嘆のため息をさざ波のように広げながら、夢幻のごとき美女が現れた。抜けるように白い肌。光の滝のようなプラチナブロンド。アクアマリンの瞳に、薔薇のような唇。タイトなドレスは、流れる川のような淡い淡い水色。全身が、白い光を放つかのようだ。
ぼくはつい、その曲線美を上から下までじっくり眺めてしまった。思考波スクリーンを身につけているとしたら、どこだ? どう小型化しても、掌サイズはあるはずだ。腕はむきだしで、腰のラインもすっきりしている。では、太腿の内側か?
何かのアクシデントを装って、スイッチを切ることはできるだろう。しかし、どこかで見張っている何者かが、即座に彼女を抹殺するのでは意味がない……
すると、横あいでくすくす笑われた。若い女性が二人、
(やあねえ、露骨に見惚れちゃって)
(どこの田舎者かしら)
という顔でこちらを見ている。慌ててそっぽを向いた。こんなことでは、とてもスパイなど務まらない。いや、もしかしたらぼくは、本命の情報部員を隠すためのダミーなのではないか。だったら、気が楽なのだが。
「まあ、リック・マクドゥガル。いつも、突然現れる方ね」
白い美女は、声も蜂蜜のようにとろりと甘い。先輩は差し出された手を取り(爪まで桜色に、キラキラ輝いている)、騎士のようにうやうやしく口づけをした。
「お久しぶり、デッサ。相変わらず、夢のようにお美しい」
「まあ、心にもないことをおっしゃって……」
「おや、まるでぼくが、たちの悪い遊び人であるかのように」
「あなたは罪びとよ。行く先々で、女性を惑わせているわ」
「とんでもない。罪深いのは、あなたの方でしょう。あなたを見たら、男は全員、魂を奪われる」
「あら、あなたの魂は、まだ手に入れていなくてよ」
周囲の人々から、ほうっとため息が洩れた。まさしく、絵のような組み合わせだ。片や銀河系きってのエリート戦士、片や夢幻のごとき美女。
だが、にこやかなのは表面だけで、二人の間には敵意の底流が存在していた。二人の目には冷徹な光が浮かび、互いの奥底を見透かそうとして火花を散らしている。
「そうそう、いつぞやは、捜査に協力していただいて有り難う」
先輩のその口ぶりからして、逮捕できたのは小物に過ぎなかったのだな、と見当がつく。小物を生贄に差し出して、麻薬ルートを守ったのだろう。デッサ・デスプレーンズは平然として微笑んでいた。
「当然ですわ。パトロール隊に協力するのは、市民の義務ですもの。特にあなたのお願いでしたら、わたくし、何でもしましてよ」
「それは嬉しい。実は、新たなお願いがあって参上しました」
「あら、どんなことかしら」
「実は、この青年なのですが」
それまで傍観していたぼくは、慌てて前に出た。
「キムボール・キニスン。いい線まで行ったのですが、卒業寸前で失格になり、候補生部隊を追い出されたばかりです。行き場がないもので、あなたの会社で拾っていただけないかと」
白い美女は興味深そうな顔で、ぼくを検分する。ぼくは普段着のままだから、大物が集う豪華客船の中では場違いだ。
「初めまして。デッサ・デスプレーンズと申します」
香水の濃密な香りがする手を差し出されて、迷った。手にキスというのは、先輩のような貫禄があればいいが、ぼくが真似たら学芸会だ。それで、軽く握手するだけにした。
「キムボール・キニスンです」
するとにっこり、大輪の花のように微笑まれた。毒花だと思うべきなのだろうが、くらくらする。美人度はクリスさんとどっこいだと思うが、何というのか……強烈な色香がある。磁場を狂わせ、平衡感覚を奪うというのか。香水も媚薬のようで、自分が呼吸する空気があるのかどうか、わからなくなる。
『レッド・レンズマン』3章-5へ続く