やっちゃば一代記 実録(45)大木健二伝
やっちゃばの風雲児 大木健二の伝記
採用試験
領事館警察の採用試験は難関だった。受験者は旧制高校上がりのエリートばかりで、高等小学校止まりの大木はさすがにひるんだ。しかし、試験は作文中心で、『日本語で勝負するんだったら勝ち目はある!』と、市場の仕事に費やしてきた以上の時間を作文の練習に注ぎ込んだ。それでなんとか合格したが、こんどは学歴コンプレックスに悩まされた。学卒の同輩から表立って蔑視されることはなかったものの、大木は時折背中に冷たい視線を感じていた。
上海への赴任前の国内研修で是が非でも中国語で上位を取ろうと思った。
中国語ならスタートラインは同じである。きれいな北京語を話す中国人を家庭教師に頼み、生まれて初めて必死に勉強した。結果は上から四番目の成績だった。
北京語への執心といっしょに思い出されるのが、兵隊たちと合同で行われた二十キロの徒歩だ。六十キロの芋俵を散々担がされてきただけに、その半分にも満たない背嚢は大木には軽すぎた。子供の頃の野山を駆け回った健脚のおかげもあって大木はトップでゴールした。
「警察官の新米ごときに負けおって、お前たちは恥ずかしくないのか!」
一列横隊の部隊を前に部隊長の兵隊を詰る大声が聞こえてきた。大木は快哉の声が上がりそうになるのをぐっとこらえたものだった。