Munakata Shun

人生の見聞録と回顧録 善く生きる Major in justice

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マガジン

  • エストニア日記

    エストニアに行った体験を四章にわたって綴ったものをまとめました。

最近の記事

20億光円の報酬が欲しい

 平日の朝は早い。23時までにネリリ(寝る)し、5時50分にキルル(起き)し、一日8時間の法定労働時間でハララ(働いて)している。  最近は日が短くなってきた。日中はオフィスの中にいるため、あの空のあの青に手をひたしくても、ひたす時間がない。  週初めの月曜日は憂鬱である。週初めの平日はいつも、明日と明後日が一度に来るといいと思っている。そう思いすぎるあまり、もどかしい。  それはヨハン・シュトラウスなんて言える感性を持った人になりたい。  中学2年生のときに「未来」

    • ジャーマンポッキー

       2023年11月11日。ドイツでもその日付はやってきた。  ポッキーの日。その日は意気込んで、アジアスーパーなどを駆け回り、ポッキーを探した。結局見つけることができず、同じような見た目のお菓子を買い、11時11分を迎えたのだった。  その日は、卒業論文の息抜きに夕方のブレーメンに出かけた。同じく日本から留学に来ていた同級生が近場にいることを知り、帰りはブレーメン中央駅で合流して帰ることにしていた。    日が落ちて肌寒くなってきた頃、ブレーメンの旧市街を歩いていたときに、

      • 母校の学園祭へ。

         昨日は母校の学園祭に行った帰りに、大学時代の友人らと学生時代によく歩いた街に行った。  この地は、縁あって、就職後も同期との会食でよく訪れる。同期と歩いていた時は、学生時代の思い出の地を、職場の人と歩いていることに違和感を感じていた。ただ、その違和感は否定的な意味合いではない。自らの人生が新たなステージにあることを実感させる、その複雑な心情を表現する言葉を知らないのだ。そのため、今はとりあえず”違和感”という言葉を当てている。    昨晩は卒業生同士の話が盛り上がりに

        • にしは桜になれ。

           一人旅で真冬の北海道大学を訪れた時。写真撮影を頼むため、通りがかった学生さんに話しかけた。写真撮影を頼むだけになるのも申し訳ないので、出身地はどこかという話題を振った。 「福島です!」  この時、寒かったからなのか緊張していたからなのか、福島と言われて脳内に浮かんだのが震災のことと、俳優の西田敏行さんのことだった。前者は雑談としてはセンシティブ過ぎる。後者を選択。 「福島なんですね!西田敏行さん知ってます、八重の桜で見ました!」 それを聞いて、打ち解けた表情を見せる相

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        • エストニア日記
          4本

        記事

          "好き"を仕事にする

           キャリア形成においてよく言われるのが、"好き"を仕事にすることである。就職活動中の人はよく耳にする言説だろう。  かくいう筆者も、就職活動時にはこの考え方を参考にした。そして、就職活動を進めていく中で、"好き"を仕事にするとはどういうことなのかの学びを得たと思う。    そこで、今回は表題にもある、"好き"を仕事にするとはどういうことかを論じていく。    早速、答えを言いきってしまうが、"好き"を仕事にするということは、①仕事にしたい"好き"と、②趣味で満足できる"好き

          "好き"を仕事にする

          久しぶりにドラえもんを見た。

           社会人一年目、8月の土曜日夕方。 テレビをつけると、ドラえもんが放送されていた。  自分が小学生だった時は金曜の夜7時からだったなぁ。7時半までの放送の後は、クレヨンしんちゃん、ミュージックステーションと続くゴールデンタイムだった。    今では、土曜の夕方5時に移ったわけだが、小学生たちはどんな気分で見ているのだろう。僕らの頃は、平日の学校が終わり、これから来る週末に心躍らせながら見ていたものだった。      社会人になって見るドラえもんは、小学生の頃に見るものとは

          久しぶりにドラえもんを見た。

          学生時代に、脳汁をドバドバと流しながら試験勉強していたあの感覚が懐かしい。 一労働者となった今となっては、流れているのは脂汗なのに。

          学生時代に、脳汁をドバドバと流しながら試験勉強していたあの感覚が懐かしい。 一労働者となった今となっては、流れているのは脂汗なのに。

          留学中の自炊で勝手に平和学習した話。

           ドイツに留学していた2023年秋。日本ではきんとんが食べられる季節になっていた。季節的な食事を楽しみたい自分は、ドイツでもきんとんを作ろうと思い立った。  近所のスーパーでそれっぽい見た目のイモを見つけ、周りにスイートポテトであるかどうかを聞く。自信満々にそうだと教えてくれたスイートポテトを抱え、イチョウの葉が舞う黄色の帰路へ。  シェアフラットの共用キッチンできんとんづくりは始まった。イモを取り出し、日本で行っていたのと同じ方法でいもを熱する。熱したイモをペースト状に

          留学中の自炊で勝手に平和学習した話。

          ダボ市長娘へのセクハラ事件で思ったこと

           美濃加茂市の副議長が、姉妹都市であるオーストラリアのダボ市長の娘にセクハラ行為をしていたことについて。    事の発端は、姉妹都市であるオーストラリアのダボ市長の歓迎会を美濃加茂市で行っていた時のことである。当時、カラオケで歌っていた美濃加茂市の副議長がダボ市長の娘の股間にマイクを近づける様子がセクハラであると問題になっているのだ。    相手が少しでも不快感を感じたのならその時点でほぼ間違いなくセクハラである。話題が広がれば、美濃加茂市、日本の品位を貶める結果になりかねな

          ダボ市長娘へのセクハラ事件で思ったこと

          入学式を迎えられなかった卒業生たちへ

           昔、大学の同窓会支部の懇親会に参加した際に、高齢の同窓生が誇らしく校歌を歌っていた。それに対して、入学式を始めとして、校歌を知る機会がなかった自分達が全く歌えずに唖然としてしまったことがある。大学への帰属意識が卒業生とかけ離れ過ぎていたことが見事に可視化され、それはそれは大きな衝撃だった。  ただ、コロナ禍で大学は大学生らしい対面授業や文化祭、入学式をさせてくれなかった。自分が何度も事務方に提案しても、クラスター発生した時の責任を問題にして相手にしてもらえなかった。そんな

          入学式を迎えられなかった卒業生たちへ

          最後の日曜日 感謝と愛

           ドイツ留学中、最後の日曜日を迎えることになった。     閉店法で街中の店が閉まり、家でゆっくりと過ごすドイツの日曜日。 日曜日の朝が来るたびに、教会の鐘の音を聞いてきた。 毎週の同じ日、同じ時間に鳴る音は、初めは新鮮に、途中からは日常の一コマとして、終わりが近づいてきてからは哀愁を漂わせて響いている。  今日のこの日に至るまで、無事に生きぬくことができた。 そして、ドイツ国内、ドイツ外の多くの場所を旅した。その度にいろんな教会、聖堂を見て、キリスト教世界の創り出す芸

          最後の日曜日 感謝と愛

          億万長者

           小学六年生の時、空手道場の駐車場で親友にウォークマンを貸してもらった。その時に聴いて気に入ったが、曲名を知らず、聞き直せずにいた曲がある。あれから十年余り。学科の自習室でそのメロディーを聞き、急いでアイフォンの音楽検索アプリ、"Shazam"を開いて検索した。その曲は、ブルーノ・マーズの"Biliionaire"だった。    資本主義社会に生き、二か月後には労働者になる自分。"Billionaire"という言葉の響きが特別である。

          おばあさんを助けて自分が逃げていたことに気付いた

           このくらいの体験談が道徳の教科書にふさわしいのかもしれない。  住まいの近くのスーパーで、何気なく仁義的な体験をした。  乳製品のコーナーを歩いていると、おばあさんから話しかけられた。    大学では周りが流暢に英語を話していることもあり、意思疎通には苦労しない。むしろ自分の英語がつたなくて申し訳ないくらい。  基本的に地元の高齢の方々はあまり英語を話せるという印象がない。ドイツに来たばかりの時に英語で話しかけたスーパーの店員さん嫌な顔をされてその印象が強くなった。

          おばあさんを助けて自分が逃げていたことに気付いた

          昨年4月に就職活動の一環で書いた作文

          さがしもの  昨晩、私は自室でさがしものをしていた。日記をつけるためのシャープペンシルが見当たらなかったのだ。    高校生の時から日記を書き続けてきた。その時から日付と時刻を黒のボールペンで、本文をシャープペンシルで書くスタイルは変わっていない。時刻が23時59分の時はその日に書くのをサボり、次の日に書いたことを暗示するサインである。大学生になってからの私は、夜遅くまで出歩くことが多くなり、その日のうちにつけるのが間に合わなくなることが増えた。そのため、日記の時刻は23時

          昨年4月に就職活動の一環で書いた作文

          第三章  

           一泊二日の二日目。夕方のタリン空港。帰りの飛行機を待っている時に目の前にある卓球台を見つけた。たまたま居合わせたフランス人の男らとダブルスを。中学から高校まで卓球部だったこともあって久しぶりにプレイしてもビギナー以上のことはできる。彼らはあまり英語が堪能ではないようで、ナイスプレーが決まった時の感嘆以上に会話の広がりがない。  とりあえず何か知っているフランス語を。「Do you know “クレム デ ラ クレム”?」と聞いてみた。通じなかったので自分が思うフランス語っ

          エストニア日記 第二章

          第二章   ドイツ南部ミュンヘンに降り立った。さすが国際空港、ANA(?)のCAさんらがいる。彼女らに話しかけ、久しぶりに日本語の会話をした。搭乗して数時間。上陸体制に入るアナウンスを聞いて地上を見下ろした。見れば一面銀世界。前に北海道に来た時を思い出した。北欧に来たんだ。  降り立ったタリン空港は日本にある地方空港程の規模で、とても一国家のメイン空港とは信じがたい。そのコンパクトさもまた、良い。窓からBalticと書かれた航空会社のロゴを見て、ここがバルト地域であることを

          エストニア日記 第二章