留学中の自炊で勝手に平和学習した話。
ドイツに留学していた2023年秋。日本ではきんとんが食べられる季節になっていた。季節的な食事を楽しみたい自分は、ドイツでもきんとんを作ろうと思い立った。
近所のスーパーでそれっぽい見た目のイモを見つけ、周りにスイートポテトであるかどうかを聞く。自信満々にそうだと教えてくれたスイートポテトを抱え、イチョウの葉が舞う黄色の帰路へ。
シェアフラットの共用キッチンできんとんづくりは始まった。イモを取り出し、日本で行っていたのと同じ方法でいもを熱する。熱したイモをペースト状に潰し、少しの砂糖を加える。いろいろやって完成。味見してみる。
想定していた甘さは皆無だった。ただの食物繊維のようなぱさぱさ味。日本でするよりも多めに砂糖を加える。再び味見する。まだ甘くない、まだ味がしない。これでもかという程に砂糖を加え続けると、砂糖の袋の3分の一ほどが無くなっていた。
許容できそうな程度の甘さにはなった。それにしてもこの国のスイートポテトはnicht süß(甘くない)。
費やした時間の割には味気ない感情できんとんを口に運んでいるとき、あることを思い出した。
昔、疑問に思った戦時中の日本の食糧事情である。あの頃は米が不足していたため、代わりにサツマイモが配給されていた。当時を知る人は、サツマイモを食べることに苦痛を感じていたという。
それを習った当時、甘いほくほくした焼き芋しか知らない自分はなぜそれを苦痛に感じたのかを理解できなかった。
後で聞いたことによると、当時のサツマイモは品種改良が進んでおらず、質より量を優先した作られたものであるため、おいしくなく、今でもサツマイモを見ると当時の嫌な記憶を思い出す人もいるのだ。
ドイツの甘くないサツマイモと戦時中の痩せたサツマイモ。戦時中を知らない自分は、どちらがよりおいしくないかを比較することができない。戦時中の人々の苦労と自分の留学中の体験を同じ土俵に並べるのも、倫理的に正しいのか疑問である。
ただ、一つ言えることは、日本の甘いサツマイモはとてもおいしいということである。そして、戦時中の人が味わった苦痛を少し感じられたし、サツマイモは世界中どこでも甘いわけじゃないと学ぶことができた。
あの甘さに至るまでの品種改良に携わった研究者、栽培した農家、おいしいきんとんを作ってくれた人に大きな感謝である。
これが、留学中の自炊で勝手に平和学習した話。