世界基準を作った漫画家?! 手塚治虫 ブラック・ジャック展 あおひと君の週間アート情報 1/20~1/26

アートを愛するみなさま!お元気ですか? 今週も無事、お届けできることを感謝するとともに、みなさまご拝読どうもありがとうございます!

今週は、横浜駅東口のそごう横浜店の6階にある、そごう美術館に行ってきました。今回、1月16日、木曜から「手塚治虫 ブラック・ジャック展」が2月25日、火曜まで開催されています。そごう美術館は、横浜駅東口からポルタ地下街中央通路をまっすぐ行ったところにあるそごう横浜店の6階にあります。

手塚治虫といえば、不朽の名作、鉄腕アトムを筆頭に、ジャングル大帝、火の鳥など作品化されたのが600点以上、700タイトル以上を発表した世界に名だたる手漫画家です。

今回の展覧会は、手塚治虫のたくさんある作品でも人気作品の一つとも言える、「ブラックジャック」に焦点をあてています。500点以上の原稿に加え、連載当時の『週刊少年チャンピオン』や単行本の200以上のエピソードの直筆原稿を紹介する『ブラック・ジャック』史上最大規模の展覧会になっています。

手塚治虫は、1928年、昭和3年、現在の大阪府豊中市に3人兄弟の長男に生まれ、本名は治(おさむ)。5歳のとき、現在の兵庫県宝塚市の祖父の邸宅に移ります。祖父手塚太郎は、現在の関西大学の創立者の一人で、名古屋検事長などを務めた司法家でした。母方は陸軍中将の家系で、良家の家柄だったんですね。

移り住んだ宝塚は、宝塚歌劇団の本拠地で未来都市のように近代的で妖艶さも入り混じった華やかな場所だったそうです。その時の体験は、後に手塚治虫の漫画世界に多大な影響があったと言われています。また当時、昆虫採集などにものめり込み、甲虫のオサムシを知り、それからペンネームを治虫(オサムシ)と名付けます。50年頃までは、手塚おさむしと読ませていたそうです。

また、父は住友金属のサラリーマンだったそうですが、映画や漫画の趣味があり、母親も漫画に興味があったことが幸いしました。当時の日本は、大政翼賛会的で、漫画なんて非国民だ!っていわれる時代でした。言わずもがな中学時代には、学校で漫画を描いていた手塚治虫は、教官から殴られていたそうです。
さらに戦争では空襲で九死に一生を得る体験などをしたことで、生涯、反戦と基本的人権、平等主義、生命の尊厳などが根源的テーマになっています。

デビューは戦後すぐの17歳のとき描いた4コマ漫画『マアチャンの日記帳』言われていますが、その後1947年、描き下ろし長編作品『新寶島』を出版、ストーリー漫画という金字塔を打ち立てるのです。この漫画に感動し影響を受けた藤子不二雄、石ノ森章太郎、ちばてつやなど、後に大活躍する漫画家がたくさんいました。

同じ頃、旧制高校に落第していた手塚が、戦時中の特例で入学できた医学専門学校へ進学しました。そこでも漫画ばかり描いていて、教授には、いい医者にはなれないから漫画家になりなさい、と諭されます。それで医者にはならないことを条件に卒業し、医師免許も取得します。専門は外科医だったそうです。1961年にはタニシの精子の研究で博士号まで取得するのですから、まさに天才ですね。

ちなみに身長は170cmあって意外と体格はよかったそうです。酒、タバコはあまり嗜まなかったそうですが、睡眠時間は4時間もあればよかったといいます。そのせいかはわかりませんが、1989年、60歳という若さでステルス性胃がんでなくなってしまいます。後に、93歳まで生きた水木しげるは、自分は10時間睡眠で長生きができた。しかし手塚は徹夜ばかり続けていたので早死にしたと言ったそうです。

さて漫画ブラックジャックは、秋田書店の『週刊少年チャンピオン』に1973年から10年間連載され、その後も単行本などで出版されたベストセラーです。さすが外科医だから描ける内容のリアルさは他に追随を許しません。また作品の奥底には、手塚治虫のもつ批判精神と人間愛が通奏低音のように流れ、その魅力を倍増させているのではないでしょうか。

しかしながらブラックジャックは、編集長がお情けで発注したのだそうです。なぜなら手塚治虫はその実力の割には、ほかの漫画の人気に敏感で、作風が後追いになったり、振り回されていたようです。そんこともあり、70年頃になると少年雑誌の世界で、手塚治虫の漫画は時代遅れとなってしまい人気が低迷。また1973年には、虫プロ商事や虫プロが経営不振で倒産、莫大な借金を背負うなど窮地に立たされていたのです。

そんな状況もあってか、ブラックジャックは、いつ終わるかわからないので、毎回読切で連載を開始。すると当時、少年雑誌のほとんどが、ストーリーが続いていく連載漫画だったのに反して、1回読切の新鮮さが功を奏して大ヒット。まさに塞翁が馬ですね。ふたたび少年雑誌のメインストリームに返り咲きます。

手塚治虫は、後輩の漫画家たちによく「漫画家は漫画に学ぶのではなく、一流の映画を見なさい、一流の小説を読みなさい、一流の音楽を聴きなさい」と言っていたそうです。また、忙しい中、映画を1年に300本以上見たといい、速読で500ページの本を20分で読んだという逸話などがたくさん残っているのも天才たる所以(ゆえん)でしょう。

まさに手塚作品はアートでした。今回は、その天才の一端を垣間見ることのできた貴重な展覧会でした。

ではまた来週!ブルブルブルー

©Tezuka Productions

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