見出し画像

『国籍はく奪条項』は、世界にはばたく日系移民のための『方便』だった

要旨)
 まず、明治時代の旧国籍法が「二重国籍を認めていなかった」と言う議論の前提を疑うべき。
 当時認めなかったのは「国籍離脱」。(だからこそ、後の日本国憲法では「国籍離脱の自由」が規定された。)
 旧国籍法の「国籍喪失規定」は、「国籍離脱を認めない」という原則を回避し、日系移民の外国への帰化手続きを可能にするための方便。本来新憲法発効と同時に廃止するのが筋であるところ、政府がその趣旨を「重国籍防止」にすり替えて残してしまったため、現在の問題につながっている。
(国籍法の資料を調べた結果などを基にした、筆者の個人的考察です。)

現在問題になっていること

国籍法の国籍喪失規定

 国籍法によれば、日本国籍の人が自分の意思で外国籍を取得した場合、自動的に日本国籍を失うことになります。具体的には、国籍法11条1項で、

日本国民は、自己の志望によつて外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う。

と規定されています。該当者は「国籍喪失の事実を知った日から3ヶ月以内」に、「喪失の年月日」を記入して日本の役所に「国籍喪失届」を提出する必要があります。
 ここで、「日本国籍喪失の効果」が発生するのは、届を役所が受理した日ではなく、届に記載する「喪失の年月日」となります。つまり、喪失届を提出するより前、外国の国籍を取得した時点で、日本国籍は「自動的」に失われているものとして扱われるわけです。

国籍はく奪条項違憲訴訟

 「外国籍を志望取得したら日本国籍を失う。」日本側でそういう扱いがあることを知らないまま外国籍を取得する人は少なからずいます。この規定のせいで、意図しない形で日本国籍を失ってしまった方々などが、訴訟を起こしました。原告は国籍法11条1項の国籍喪失の規定を「国籍はく奪条項」と表現し、この規定は「違憲だ」と訴えています。

 2021年に一審の東京地裁判決が出た際の「朝日新聞デジタル」の記事

によれば、原告の主張は

国籍法の規定は兵役義務などの観点から重国籍を認めなかった明治憲法下の国籍法から引き継がれたもので、グローバル化する現代に対応していない

というものだそうです。
 一方、国側は「二重国籍を認めないことには合理性がある」と主張しています。裁判所も国側の主張を認めて、これまでのところ、原告の訴えは2021年1月に東京地裁で退けられ、2023年2月には東京高裁でも退けられました。(原告は最高裁に上告する予定のようです。)

 国籍法11条のために意図しない日本国籍喪失をさせられてしまった方に対して何らかの「救済」が必要だという点には、筆者は完全に共感できるのですが、その一方で、原告の主張に含まれる

兵役義務などの観点から重国籍を認めなかった明治憲法下の国籍法

という明治憲法下の国籍法をやり玉に挙げる「筋書き」については、どうも納得できません。旧国籍法が、「古臭い」「当事者の立場を軽視している」かのように、不当に揶揄されているかのようで、筆者はむしろ制度立案に携わった明治時代の内務官僚の肩を持ちたくなります。

・・たしかに、今問題になっている「国籍法11条1項」は、明治32年(1899年)の旧国籍法にまで遡れます。120年以上昔に、明治時代の官僚が設計した制度だということはその通りでしょう。

明治32年(1899年)國籍法
第二十條 自己ノ志望ニ依リテ外國ノ國籍ヲ取得シタル者ハ日本ノ國籍ヲ失フ

 このため、今の国籍喪失の規定に問題意識を持っている方々が、
諸悪の根源は明治憲法下の旧国籍法にあり」「今の時代に合わない」
といった筋書きで主張を組み立てるのは、まあ、なんというか、一般受けするようなわかりやすさがあるのでしょう。

しかし、それって正しい理解と言えるものなのか?
たとえば「兵役義務などの観点から」⇒「『重国籍』を認めなかった」という理屈に筋が通っているようには、とても思えませんでした。

※ファクトを検証してみましょう。
「兵役義務などの観点から」と言うならば、旧国籍法24条第1項には

第二十四條 滿十七年以上ノ男子ハ前五條ノ規定ニ拘ハラス旣ニ陸海軍ノ現役ニ服シタルトキ又ハ之ニ服スル義務ナキトキニ非サレハ日本ノ國籍ヲ失ハス

という、まさに「兵役義務の観点」そのものズバリの規定があります。これは旧国籍法20条の「例外」になっています。
 20条で「外国国籍を志望取得すると日本国籍を失う」ことになっているものの、その例外として、17歳以上の男子は、兵役を終えているか、兵役義務対象外でなければ、外国国籍を志望取得しても日本の国籍を失わない。
・・というわけです。このように、「外国籍を志望取得しても、日本の兵役を終えるまでは、日本の国籍を失わない」⇒事実上「二重国籍状態でいなさい」という扱いをしていたわけです。
「兵役義務などの観点から」は、当事者に対し
×「『重国籍』を認めなかった」
のではなく、
◎「『日本国籍の喪失』による『重国籍解消』を認めなかった」
のです。
 兵役義務などの観点からの問題が解消した時点ではじめて、日本国籍喪失(重国籍解消)の効果を発生させていたというわけですから、
「兵役義務などの観点から重国籍を認めなかった明治憲法下の国籍法」という解釈は、実情とは正反対だと言うべきでしょう。

明治国籍法の時代背景

日本が「国籍離脱」を認めていなかった時代

 明治憲法下、旧国籍法ができた当時は「富国強兵」が国策。「日本の国力を増していこう」という時代です。国民が自らの意志で日本国籍を離脱するのを許しては、国力の衰退にもつながりかねない、と言う発想です。
 明治憲法下での国籍法の制度設計にあたっては、日本国民が「自らの意志で日本国籍を離脱する」ことを「認めない」のが「大原則」だったのです。

 とはいえ、一方でその頃は、日系移民が世界に羽ばたき、移民先の海外の地で活躍しようとする時期でもあります。となれば、移民にとっては現地の外国国籍を取得する(帰化する)必要に迫られる場合が出てきます。
 当時、世界の国々の大多数は、外国人が自国に「帰化」をしようとする際に、原国籍(もとの国籍)の離脱を許可の必要条件にしていました。(当時と比べれば減ったとはいえ今でも帰化手続きに、そういう要件を課す国は日本を含めて多いですよね。)
 日系移民にとっての原国籍国である「日本」は、「国籍の離脱」を認めない政策を原則にしていました。そうなると、日系移民一世は、ともすれば一生、移民先の国の帰化要件を満たすことができず、その国の国籍を取得できないことになってしまいます。これでは移民先で活躍する上で障害になってしまいますので、なんとか救済策を用意せねばなりません。
 そこで、明治の優秀な官僚は、国籍法の制定にあたって、こうした当事者に寄り添った解決策をひねり出しました。

・(当事者の自由意思での)「日本国籍」からの「離脱」は認めない。

という大原則はそのままにして、

・「外国国籍を志望取得した者」については「日本国籍」を、(本人の意思での「離脱」ではなく強制的に)「喪失」させるのだ、と言うタテマエの下に、実質的に「離脱」と同じ効果を実現しました。こうして、日系移民が、(原国籍の離脱を帰化要件としているような)外国へも帰化手続きができるようになったのです。

当時の「民法修正案理由書」には、国籍喪失の規定(第20条)について、次のような理由付けが記されています。

第二十條 自己ノ志望ニ依リテ外國ノ國籍ヲ取得シタル者ハ日本ノ國籍ヲ失フ
(理由)本條ハ外國ノ國籍取得ニ因リテ日本ノ國籍ヲ失フコトヲ定ムルモノナリ自己ノ意思ヲ以テ日本ヲ離レテ外國ノ國籍ニ入ル者ハ強ヒテ之ヲ日本人ト為シ置クモ豪モ日本ニ益ナキノミナラス國籍ノ積極的衝突ヲ生スル弊害アリ故ニ本條ニ依リ自己ノ志望ニ依リテ外國ノ國籍ヲ取得シタル者ハ日本ノ國籍ヲ失ハシム

国立国会図書館デジタルコレクション
「民法修正案理由書」(法典調査会 編 出版者 博文館)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2385831/1/242 (注:保護期間満了)

「強ヒテ之ヲ日本人ト為シ置クモ豪モ日本ニ益ナキノミナラス國籍ノ積極的衝突ヲ生スル弊害アリ」と、あたかも外国籍を取得した当事者を突き放す様な表現での「理由説明」がなされていますが、その裏には「当事者に寄り添う暖かさ」が見え隠れしています。
(たとえが変かもしれませんが、新撰組の「局中法度」のようなものを連想しました。法度では「局を脱するを不許」とあるため、隊士自ら「辞める」と言いだすことは許されないわけですが、上が隊士の立場を思いやって、何か理由をつけて、形式上「破門」「追放」とすることで実質的に隊士を頸木から解放してあげる。そんな「温情的」措置、とでも言いましょうか。)

国籍喪失者に対する旧国籍法の救済制度

 制度趣旨が日系移民の「外国への帰化を可能にする」というものであったにせよ、「国籍喪失(はく奪)条項」が存在する以上は、現在の「違憲訴訟」原告と同様、旧国籍法下でも、「当人の思いに反した国籍喪失」が生じることもあったことでしょう。
 そういう立場の人は、救済を受けられず置き去りにされていたのでしょうか?
 旧国籍法の条文を辿っていくと、実は現行法とは違って、しっかりとした救済規定が用意されていたことがわかりました。

第二十六條 第二十條又ハ第二十一條ノ規定ニ依リテ日本ノ國籍ヲ失ヒタル者カ日本ニ住所ヲ有スルトキハ内務大臣ノ許可ヲ得テ日本ノ國籍ヲ囘復スルコトヲ得但第十六條ニ掲ケタル者カ日本ノ國籍ヲ失ヒタル場合ハ此限ニ在ラス

このように、第20条で、外国籍の志望取得により、日本国籍を喪失してしまった人については、
・日本に住所があること
・内務大臣の許可
の2点だけを要件として、日本の国籍を「回復」する道を設けていました。
 注目すべきは、条文上、当人の日本国籍喪失につながった「志望取得した外国籍」を「離脱」することが、要件に含まれていない点です。
 これでわかるとおり、旧国籍法の「国籍回復」は一般の「帰化」とは別個の制度です。志望取得した外国籍を放棄せずに日本国籍を「回復」できる・・この場合、相手国側の制度さえ許せば(つまり日本国籍の回復によって相手国で国籍を喪失するような制度でなければ)二重国籍状態になる、ということが可能であったことが条文上読み取れます。
 旧国籍法20条についての「民法修正案理由書」では先に見た通り、
「自己ノ意思ヲ以テ日本ヲ離レテ外國ノ國籍ニ入ル者ハ強ヒテ之ヲ日本人ト為シ置クモ豪モ日本ニ益ナキノミナラス國籍ノ積極的衝突ヲ生スル弊害アリ」・・と「豪モ日本ニ益ナキ」「國籍ノ積極的衝突ヲ生スル弊害」と、なんとも「きつい表現」を用いている。
 でもその割には、「日本に益が発生する」わけでも、「弊害」が取り除かれるわけでもない、非常に緩い要件で「日本国籍の回復(重国籍)」を可能にしています。これを見ると、先の「きつい表現」は「建前」から来るポーズだったのだな、と推測できます。

旧国籍法26条を今に活かせる可能性

 旧国籍法では、20条は、国籍回復を定めた26条とセットでした。これらは併せて一つの制度理念だったはずです。現在の国籍法では、旧国籍法20条の内容を継承した現行国籍法11条1項だけが残っていますが、これでは旧国籍法の理念の「部分切り取り」になってしまいます。
 皮肉なことですが、前述の違憲訴訟の原告が
「兵役義務などの観点から重国籍を認めなかった明治憲法下の国籍法から引き継がれたもので、グローバル化する現代に対応していない」
と揶揄していた明治憲法下の国籍法を、今そのままあてはめるならば、原告らのケースで、日本国籍の回復という救済手段がとれることになります。
 もし仮に、旧国籍法26条に相当する規定が現行法において復活すれば、外国籍を取得して日本国籍を喪失してしまった人も、その外国籍を失うことなく一時的な住所要件だけで日本国籍を回復する路が開けるわけです。
 温故知新です。「19世紀の古臭い法律だ」などと明治の国籍法を頭から否定するのではなく、いっそ明治の最初の国籍法に立ち戻って制度を考えなおしてみてはいかがでしょう。

 伝統的な制度を重視する保守的な考えの皆さんは、「違憲訴訟」となると、心理的に拒絶して、原告の主張に反発してしまう方が多いように思います。でも、もし主張の内容が「そもそも明治の国籍法に存在していた救済規定を復活させるべき」という趣旨ならば、むしろ保守層にこそ受け入れてもらえるのではないでしょうか? そんなことを思いました。

国籍法の変遷を辿る

まず変遷を表にしました

国籍法規定の系譜

明治憲法下
(1)「国籍離脱は認めない」というのが明治憲法下の基本パラダイム
(2)日系移民の外国への帰化(国籍取得)を可能にすることと、(1)を両立するために外国籍志望取得の場合の「国籍喪失(はく奪)」制度が設けられた(明治32年法)。しかし、この段階では重国籍者の日本国籍離脱は認められなかった。
(3)重国籍者の日本国籍離脱を(出生地主義国での出生、当該国での居住要件などで)限定的に認めるようになった。(大正5年法、大正13年法)

日本国憲法下
(4)重国籍者の「国籍離脱の自由」が完全に保証された(日本国憲法22条2項)

移民一世などについては最初の国籍法で解決されていた

 明治憲法下で最初の国籍法(明治32年法)が作られるときに、「当事者の自由意思による国籍離脱を認めない」という大原則がありました。
 そのような中で、明治の官僚は「国籍離脱」とは別の概念だとの建前で「国籍喪失」(国籍はく奪)を制度化することによって、日系移民が移民先の外国に帰化することができるよう道筋をつけました。移民先の国に帰化した移民一世は、日本国籍を喪失はしますが、日本にもどれば国籍回復して、重国籍状態になることもできました。
 移民一世に関しては、明治32年の最初の国籍法で、当事者の希望をかなえる手続き手段が整っていたといえます。これぞまさしく「世界に羽ばたく日系移民一世」の立場に立った制度だったのではないでしょうか。

残った問題:移民二世以降の重国籍者

 移民一世はこれで良いとして、問題として残ったのは、生地主義国で生まれた移民二世以降など、日本と移民先の国との、重国籍者状態にあった人でした。
 「国籍喪失(はく奪)条項」の裏の意味は、「日本国民が外国国籍の取得手続きをすること」の障害を取り除くこと(日本国籍からの離脱を可能にすること)を目的としたものだと言えます。「外国籍志望取得」を要件とした制度のたてつけ上、既に志望によらず当該外国籍を持っている重国籍者については「国籍喪失」は制度として利用できません。
 重国籍者が日本国籍を離脱することは認められていなかったのです。

 それでも当時は、重国籍であることにより現地国で差別を受けるといった問題などもあって、重国籍者の中にも「日本国籍を離脱したい」と考える人が多くいました。そうした人の要望に応えるために、大正5年、大正13年と法改正が繰り返され、徐々に部分的に国籍離脱を認めるようになりました。ただ、重国籍者なら誰でも国籍離脱できると言うわけにはいかず、生地主義国での出生や、住所要件など、条件が極めて限られていました。

パラダイムシフト

旧国籍法時代は、「重国籍者の日本国籍離脱」を一般に広く認めるまでには至りませんでした。それが実現するには、1947年の日本国憲法施行まで待つ必要がありました。

日本国憲法 第22条第2項
何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

と「国籍離脱の自由」が憲法上明記され、ここでようやく、「当事者の自由意思による国籍離脱を認めない」という原則から解放されたわけです。

 旧国籍法時代は、
・「国籍を離脱する自由」は認めない
 という原則がまずあり、それを回避するための「方便」として「国籍喪失(はく奪)」制度がありました。
 なんなら他にも、(特定の生地主義国で出生した場合、国籍留保届を出さないと自動的に日本国籍を喪失すると言う)当時の「国籍留保」の制度も、国籍離脱希望者のための「方便」の一つだったと言えるでしょう。
 しかし、日本国憲法下では「国籍離脱の自由」が保証されたのです。
 このパラダイムシフトに合わせ、「方便」としての回避策「国籍喪失(はく奪)」や「国籍留保」の制度は役目を終えたものとして廃止し、国籍法は制度を一から再設計するのがあるべき姿だったと思います。

 とはいえ、過去「国籍喪失(はく奪)」制度や、「国籍留保」制度の導入時に帝国議会で「これは『国籍離脱を認めない』という原則を回避するための方便だ」と説明していたわけではない以上、あからさまに廃止の理由を示すこともできなかった。それで手を付けずに先送りしてしまった。
 「国籍喪失」、「国籍留保」は何のために存続するのか?と言う疑問に対し「実は方便でした」とは言えず、片っ端から「重国籍を防止するための制度だ」という、じつに安直なふわっとした説明でお茶を濁してしまったのです。これがボタンの掛け違いとして今日まで続いています。

「国籍唯一の原則」という言葉

 国は「重国籍を認めない」という根拠として、『国籍唯一の原則』と言う言葉をしばしば持ち出します。「日本は『国籍唯一の原則』に従っているから、重国籍を認めないのだ」というわけです。
 ところがこの『国籍唯一の原則』、旧国籍法時代を見てみると、そもそもは「重国籍者が日本国籍を離脱できるようにしてほしい」と国に対して要望する、重国籍者の側の立場から持ち出された概念だったのですね。

※世界的には『国籍唯一の原則』というのがあります。この原則にのっとって、日本でも重国籍者に日本国籍の離脱を認めるようにしてください

というわけです。当時、国は『国籍唯一の原則』を根拠として、国籍離脱制度の拡大一般化を迫られる側だったのです。

 『国籍唯一の原則』と言う言葉と合わせてしばしば引用される、1937年発効の「国籍抵触条約」は、重国籍防止、重国籍解消の理念を掲げています。日本はこれに、署名をしただけで、批准はしていません。なのに、今や国が「国籍抵触条約」やら『国籍唯一の原則』やらを持ち出して、「重国籍を認めない」という主張の論拠にしてしまっています。
 なんだか皮肉なものです。

その他雑感など

明治の官僚が優秀過ぎた弊害

 明治32年、日本で最初の国籍法(旧国籍法)を設計した当時の内務官僚たちは優秀過ぎました。ホンネとタテマエをうまく使い分けながら、日系移民に寄り添った当時の最適解の制度を作り上げました。
 ところが、ホンネとタテマエが乖離した制度は、後の時代の法改正を困難にしてしまいました。ある意味、優秀過ぎたことの弊害と言えるでしょう。

溶岩流アンチパターン

 分野は異なりますが、システム設計の話には「溶岩流アンチパターン」という用語が出てきます。

何のために作ったのか、本来の意図が忘れられてしまったようなロジック(プログラムのコード)がそこかしこに紛れ込んでいるのだけれども、削除すると何か大きな問題が起きそうで怖くて手が出せない。責任回避で先送りにしているうちにますます手が付けられなくなってしまうというわけです。
 国籍法における「国籍喪失」「国籍留保」の規定は、「重国籍者の国籍離脱の自由」が認められることになった段階では役目は終わっているのです。本来、日本国憲法ができた時に憲法22条2項を踏まえて、そこで「捨てる」べきだった規定を残してしまった。まさに法律の中に巣くった「溶岩流アンチパターン」の典型であると筆者は思います。
 なお、こうした制度の本来の意義についての議論は、裁判の場でできる話ではないと思いますので、政治家が国会で議論すべきものだと思うのですが・・。

まとめ・・すり替えられてきた論点

 国籍法11条の問題を「二重国籍を認めるか認めないか」というふうに論点整理をするのは、責任を回避してとりあえず問題を先送りしたいという役所の思惑にまんまと乗せられてしまっているなぁと感じます。
 そもそも明治の旧国籍法は「二重国籍を認めない」という発想を中心に構築された制度ではありませんでした。それよりも中心にあったのは「日本国籍からの離脱を認めない」という発想であり、どうしても日本国籍離脱が必要になる日系移民の立場で、その原則を回避するために「国籍喪失」「国籍留保」といった制度が「方便」として生み出されました。
 「国籍唯一の原則」は日本国籍の離脱が認められていない重国籍者の立場から、国に対して「国籍離脱を認めてください」と要望する際の論拠でした。
 日本国憲法の施行で、「日本国籍からの離脱を認めない」という前提が無くなったとき、もはや必要なくなった「国籍喪失」「国籍留保」の存続理由として「二重国籍の防止」というふうに論点のすり替えが行われた、と見ます。
 「二重国籍を認めるべきか否か」というような論点で、国の用意した議論の土俵の上に乗っかってしまっている限り、

原告)二重国籍を認めない現制度は違憲
国)二重国籍防止は意義がある
裁判所)現制度は合憲

と言うようなパターンから抜け出せないのではないかなと、危惧します。これでは、今後の制度改善が全く見込めません。まさに「溶岩流アンチパターン」です。
 何が本当の問題なのか?ということを明治の国籍法に遡って、議論しなおすことが必要なのではないかと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?