無意識のところに積み上げられていく言語習得・モンテソーリ理論と共に
今月は予想外のプロジェクトとなりました。
それはApricot picking!
カナダにいる私のもとに講師からメッセージ
裏庭のアプリコット食べられるよね?
いっぱい地面に落ちてる!
Little Cloudsの5月は戸外プロジェクトとして
種から育てている野菜のお世話
裏庭に生息する虫探索
巣箱の鳥の観察(残念ながら今年は入っていないようですが)
そして月末から6月にかけてはその名のごとくジューンベリー摘み。
これらに沿ったワークシートも準備していました。
まさかアプリコットがそんなになっているとは!
なんせここ何年も実がつかなかったんです。
言語習得とは
機械的な記憶ではありません。
文法的に正しいか正しくないかと言うことでもありません。
この質問に対する答え方がひとつしかないなんてことは絶体あり得ません。
テキストで勉強して単語と表現を覚え、英語を話せるようになりたいと思っているあなた
言語習得を
完全に侮っています(笑)
知ってるよ!話せるようになるには時間がかかるってことでしょう?
って?
いいえ、時間をかけて色々な単語や表現を覚えても話せるようになるわけではない。
言語習得はそんな表層的なものではないと私は思っています。
もっと深い。
無意識のステージ。
マリア・モンテソーリの本を読んで、彼女の鋭い子供の観察から生まれたそのメソッドが第二言語の習得に役立つと気づいたのは、モンテソーリ教師の国際免許の勉強をしていた時です。
子ども時代に無意識に積みあげられていく(べき)もの。
子どもの中にある自発の学びたい力、知りたい力。
子どもたちは自分の周りにあるものから
感覚、感情を優位に色々な物を吸収していきます。
それは大人が教えるものではないんです。
子どもたちには生来自分で学ぶ力が備わってる。
それは”記憶優位の勉強”ではなくて
感情や感覚で学んでいく力です。
そして言語はその感覚や感情と一緒に習得されていくものなのです。
アプリコットを見つけたとき
(先生は英語でなんて言ったっけ?)
たくさん集めたとき
(先生に見せに行って、なんて言ってくれたっけ?)
そこに一緒にいる虫を発見した時
(slug, warm....)
熟れすぎたアプリコットを触った時
先生食べてもいいって言ったよね?
かじってみよう
(Not sweet・・・)
お家でアプリコットシロップを作った時
(保護者の方へ・シェアした英語のYoutubeで作ってみてくださいね😉)
そして出来上がったシロップの味は・・?
先生はOOOのこと英語でなんて言ったの?
そんな野暮なことは聞きっこなしっです。
裏庭での経験、そこで使われた言語はそのときあった感情や感覚と共に無意識のところに格納されています。
無意識のステージにレスペクトを。
何年か経って
アプリコットが木になっているのをたまたま見かけたとき
Are these edible?と聞かれて
Yes!They are apricots!They are sweet.
そんな会話が成り立っているかもしれません。
子どもたちはどの単語も勉強して覚えた記憶はないのに。
大人は自分たちがそうであるがために
はっきりと意識的に言語化されたことが無意識のものより優れていると思いがちです。
でも実際は無意識のステージにあるものこそ、自分ではコントロール不能でそしてパワフル。
私が常日頃お話している
日本語を使わず英語のまま理解するとはそのステージへのアクセスです。
英語を的確な日本語に訳すること、またその逆方向も、それは翻訳家あるいは通訳者のプロフェッショナルな仕事です。
私には到底できません。
母国以外の国に、ある程度の期間住んだことのある方は
ある状況で使う現地語での表現が
母語訳ではなく理解として体の中に構築されていることに
ある時ふと気づくという経験があるのではないでしょうか。
感覚と感情が育つ子供時代はなおさら、無意識のステージに理解を積み上げていく時期です。
さてラッキー!アプリコット!
保護者の方へ:
アプリコットシロップが出来たら写真をシェアしてくださいね。
ひょっとしたら教室の冷蔵庫にまだあるかもしれないので足りなかったら講師に聞いてみてください(with slugs..かもですが)
うひゃっ。