努力も我慢もできない

相田みつをの『しあわせはいつも』を読んだ。斎藤環さんのヤンキー論のせいで相田みつをにハマっている。相田みつをのベストが文庫版で6巻くらい出ているからとりあえずそれを読んでいる。相田みつをの詩は短くて分かりやすいので、鬱でヘロヘロの時でも読めるので助かる。また、鬱の時には相田みつをの詩が良いと思う。

斎藤環さんのヤンキー論を読んで、意外だった人物が3名ほどいた。白洲次郎に木村拓哉に相田みつをだ。例えば矢沢永吉とか明らかにヤンキーが好みそうな人物、タレント、アーティストはよく分かるのだが、この3名が上がったのが不思議だった。白洲次郎は働いている時に興味があって、何冊か本を読んだ。ただ、もう手元になかったので、昨日買い戻してきた。木村拓哉は本を書いていないので、ヤンキー論で紹介されていた、木村拓哉語録を買って読んだ。そして、今は相田みつをである。

僕は白洲次郎や木村拓哉のような人間に憧れる。相田みつをの詩にも共感できる部分がある。ただ、憧れはするが向いていないなと思う。僕は彼らのような人間にはなれないと思う。なろうとすることはできるが、無理をしてしまうので、それで参ってしまう。神田橋條治さんや坂口恭平の躁鬱論的には合わないような気がする。もっとテキトーでイイカゲンで無責任で飄々とフラフラ生きるのがいいのだ。

坂口恭平の『躁鬱大学』には宮崎駿やイチローの名が挙がっていた。坂口恭平は宮崎駿のようにアニメ一筋、イチローのように野球一筋、職人肌みたいなのに憧れる。僕も彼らのような職人に憧れる。ただ、坂口恭平が言うように「躁鬱人」には彼らのような気質は向いていない。もちろん、躁鬱だからといって、こういう性格だ、とは言い切れない。人それぞれ違うのでその辺はよく分からない。ただ、僕は努力ができない。我慢もできない。物事が長続きしない。これを恥じてきた。だから就職したからには努力をして、我慢もして、長続きさせようとした。ただ結果的に鬱になってしまった。そういったことに向いていないのだ。カンダバシもサカグチもそれでいいという。努力も我慢も長続きもしない躁鬱の僕を肯定してくれている。

努力ができなく、我慢もできなく、物事も長続きしないとなると、中々後味が悪い。それでこれまでは参っていたのだが、軽症で済んでいた。就職してからはこれらの期間が長かったので、ダメージが大きかったように思う。カンダバシもサカグチも調子が良かった頃を思い出せという。まあ小学生くらいの時だろう。ただ、僕はもういい大人だ。小学生のような振る舞いはできない。また、部活や習い事を辞めるくらいなら大したことはないが、就職した会社を辞めるのは中々致命的だ。だからその辺をうまくやらないといけない。

結果的に何が言いたいかと言うと、白洲次郎や木村拓哉や相田みつをのような人に憧れはするのだけど、本質的には向いていないのだ。自分に持っていないものをもっているから憧れるのかもしれない。ただ、僕はもうテキトーにイイカゲンに無責任に飄々とフラフラ生きるのがいいのだ。鬱になったら敵わないからな。

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