ゲームをやって救われる人もいる

この記事を読んだ。鬱の時に「ゼルダの伝説」をやって救われたらしい。

うつ病にかかっているとき、現実の世界はクローゼットの中のように真っ暗でした。でもゼルダの世界「ハイラル」は光に溢れ、どこまでも自由で、希望に満ち、秩序がありました。
ゼルダはもはや僕にとってただのビデオゲームではなく、自分の感情と向き合い、折り合いをつけられる大切な世界となっていたのです。

ゲームを進めるにつれ、バックさんは心を落ち着けることができる唯一の場所になっていたハイラルを失うのが恐ろしくなった。
だが、プレー時間が300時間を超え、全ての装備、試練、図鑑を制覇したとき、現実世界の「悪」に立ち向かわなければと覚悟を決めたという。
姫を救い終わったら、今度は自分自身を救いに行かなければ、と。

仕事も妻も失った僕を「ゼルダの伝説」が救ってくれた話

バックさんはうつ病を患い、世界が崩れそうになったとき、ゼルダに救われた。
「でも、もちろんゼルダがうつ病を治癒するわけではありません」。そう重ねて強調する。
自殺願望を抑えられなくなるかもしれないという恐怖を感じていたときに、落ち着くことができる居場所になった。そして、自分の感情と向き合う方法を取り戻す時間を作ってくれた。
「人生で一番苦しかった年に、昔の友だちのリンクが現れて、『一人で行くのは危険だ』と言ってくれたんです」

「ゲームの素晴らしいところは、プレーしてる人全員が違う理由、違う楽しみを求めてプレーする自由があるところ。それがただの暇つぶしでも、僕みたいに自分の存在価値を探しているのであってもです」
「ゲームなんてくだらない、ゲームは悪影響だという声があっても、もしそれがあなたを幸せにしてくれるなら、とことん大事にしてほしいです」

仕事も妻も失った僕を「ゼルダの伝説」が救ってくれた話

良い話じゃないか。

僕はゼルダの伝説をほとんどやったことがない。というのもRPGが苦手なのだ。だからもっぱらアクションゲームばかりやっていた。

そして、ゲームは良いものなのではないかと思う。もちろん賛否両論はあるし、やりすぎはよくないとは思う。ただ、この方のようにゲームによって救われた方がいるのも確かだ。

いや、ゲームでなくても良かったのかもしれない。ある人にとっては「人」であり、「本」であり、「音楽」であり、「ドラマ」であり、「アニメ」であり、「映画」なのかもしれない。この人にとってそれは「ゲーム」だったのだ。

ただ、僕はゲームと言うのは良いものなのかもしれないと思っている。なぜならまず、映像と音楽がある。そして、指先を使う。だから没頭できる。例えば、本は目しか使わない。音楽は耳しか使わない。ドラマやアニメ、映画は目と耳しか使わない。ゲームは目と耳と手を使うのだ。気を紛らわすにはもってこいだ。

そして、内容が浅いのが良いと思っている。本や映画は今では「高尚なもの」になっているが、往々にして辛気臭い。いや、僕が辛気臭い本や映画を読んだり観ていただけなのかもしれないが。つまり内省的になるのだ。これが良くない。ゲームをやって内省的になる人は少ないだろう。

僕はだからゲームというのは案外良いものなのではないかと思っている。子供が熱中するのも理由がある。要は目と耳と手を使って無心になるのだ。それがいいのだと思っている。

僕もそろそろ動き出さねばならない。いつまでも本やインターネットの世界に引きこもっているわけにはいかない。

彼のように、「現実世界の『悪』に立ち向かわなければと覚悟を決め」、
「姫を救い終わったら、今度は自分自身を救いに行かなければ」だ。

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