ゲームをやって救われる人もいる
この記事を読んだ。鬱の時に「ゼルダの伝説」をやって救われたらしい。
良い話じゃないか。
僕はゼルダの伝説をほとんどやったことがない。というのもRPGが苦手なのだ。だからもっぱらアクションゲームばかりやっていた。
そして、ゲームは良いものなのではないかと思う。もちろん賛否両論はあるし、やりすぎはよくないとは思う。ただ、この方のようにゲームによって救われた方がいるのも確かだ。
いや、ゲームでなくても良かったのかもしれない。ある人にとっては「人」であり、「本」であり、「音楽」であり、「ドラマ」であり、「アニメ」であり、「映画」なのかもしれない。この人にとってそれは「ゲーム」だったのだ。
ただ、僕はゲームと言うのは良いものなのかもしれないと思っている。なぜならまず、映像と音楽がある。そして、指先を使う。だから没頭できる。例えば、本は目しか使わない。音楽は耳しか使わない。ドラマやアニメ、映画は目と耳しか使わない。ゲームは目と耳と手を使うのだ。気を紛らわすにはもってこいだ。
そして、内容が浅いのが良いと思っている。本や映画は今では「高尚なもの」になっているが、往々にして辛気臭い。いや、僕が辛気臭い本や映画を読んだり観ていただけなのかもしれないが。つまり内省的になるのだ。これが良くない。ゲームをやって内省的になる人は少ないだろう。
僕はだからゲームというのは案外良いものなのではないかと思っている。子供が熱中するのも理由がある。要は目と耳と手を使って無心になるのだ。それがいいのだと思っている。
僕もそろそろ動き出さねばならない。いつまでも本やインターネットの世界に引きこもっているわけにはいかない。
彼のように、「現実世界の『悪』に立ち向かわなければと覚悟を決め」、
「姫を救い終わったら、今度は自分自身を救いに行かなければ」だ。
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