何を求めているか

規則正しい生活をおくっていたら鬱が治るなんて嘘です。いや、正確には嘘ではありません。あくまで一般論として、規則正しい生活をおくったほうがいいですよ、といった類の話なんでしょう。実際に規則正しい生活をおくって鬱が治ったという人もいると思います。

例えば、規則正しい生活として、日を浴びたり、運動をしたり、三食食べたり、早寝早起き、禁酒、禁煙などがあげられると思います。僕はこれをほとんど守っています。まあ吐き気で、教科書的な一汁三菜的な完璧な栄養は摂れていませんし、タバコを吸います。とはいえ、毎日、日を浴びています。運動は出来る時は毎日8000歩くらい歩いています。早寝早起きです。酒は鬱になってから一滴も飲んでいません。

とはいえ、「鬱が治る」というのも奥が深い問題です。どの状態を指して、「鬱が治った」のか結構難しいです。周りや医者からすると、「良くなっているではないか」と思われるかもしれませんが、当人からすると、まだ良くなっていないという感覚があるかもしれません。

僕は「鬱が治った」状態として、元気や意欲が出て、落ち込みがなくて、不安や焦燥感が無くなり、ご飯が食べれて、すぐ寝れて、やりたいことが色々浮かぶ状態を指しています。ただ、これは観方によっては「軽躁状態」にあたります。僕は双極性障害と診断されていますが、この状態になったらヤバイのかもしれません。まあ、ここまでいかなくても、好きな事ができて、好きな物が食べれて、寝れたらそれでいいです。

僕は辛いなりにも調子が良いときは、毎日8000歩くらいあるけたり、市内なら外出ができたり、読書が出来たりします。こう書くと、「もう鬱ではないじゃないか」と思われるかもしれませんが、まだ辛いという感覚があります。頭や体が重いような感覚があります。また常に落ち込みがあります。だから辛いながらも、気を紛らわすためにこれらのことをやっているという感じです。

薬を飲んでいる。充分休養した。そこそこ動ける。これでも治らない鬱は、もっと本質的な問題があると思います。それは、その人が本当に「何を求めているか」だと思います。どのような生活を求めているか、です。

例えば、鬱が辛いからといって、鬱に合わせた生活を続けていると参ってきます。人間には恒常性というものがあって、長期間同じ生活を続けていると、その状態に慣れてきます。つまり、鬱に合わせた生活を長期間続けていると、その状態に慣れてしまうのです。とはいえ、その生活がストレスなのです。そうはいっても、「鬱が辛いんだから仕方ない」という具合になります。これが鬱の辛いところなんですね。鬱だから鬱に合わせた生活をおくっているのですが、それが長期間続くとそれに慣れてしまい、悪循環が始まります。けれど、「鬱が辛いから」中々その悪循環を断ち切れないんです。もちろんこれは、慢性化した鬱の場合です。鬱になりたての頃は、鬱に合わせた生活を送った方が良いと思います。

だから、いくら規則正しい生活をおくったからといって鬱が治るとは限らないです。あくまで、一般論であり、前提であると思っています。それでも治らない鬱は、もっと本質的な問題だと思います。つまり、その人が「何を求めているか」です。それをはっきりさせる必要があります。

例えば僕の場合、多分正社員で働くことを目指しています。とはいえ、明日から就職活動をして、就職先を探すなんて多分無理です。勢いで出来るかもしれませんが、勢いがなくなった時に確実に参ります。多分そのダメージが半端ではないです。だから目標を達成するために、逆算して今できることをやっていく必要があると思っています。

例えば、正社員で働くことを目指しているけど、それが無理な場合、アルバイトでもいいかもしれません。アルバイトが無理なら、作業所でもいいかもしれません。それすら厳しいなら精神科のデイケアでもいいかもしれません。と、このようにハードルをひたすら下げて、今できることをやっていくしかないです。

僕の場合、多分「正社員で働く」ことですが、これは人によって違うと思います。だからその真に求めていることを達成するために、今何ができるかを考えた方がいいです。

もちろん、これは規則正しい生活を送ったうえで、中々治らない慢性化した鬱の場合です。最近鬱になった人は、休養したほうがいいと思います。

いいなと思ったら応援しよう!