『神田橋語録』を読む 2

躁鬱病の人は我慢するのが向きません。「この道一筋」は身に合いません。ずぅーとではな いにしても、「吾が・まま」で行かないと波が出ます。「私さん、私さん、今何がしたいの ですか?」と自分の心身に聴いてみながら行動することです。自分の生活を狭くしない事。 広く広く手を出す事。頭はにぎやかにして、あっちふらふら、こっちふらふらがよろしい。 やってみて良くなかったら止めたらよいだけです。生活が広がるほど波が小さくなります。 用心のためと思って、それをしないでじっと我慢していると中々良くなりません。窮屈が いけないのです。一つの事に打ち込まずに、幅広く色んなことをするのが良いでしょう。 そうして色んな人と付き合えば、薬は要らなくなるか減らせます。内面よりも外界の観察 に向いています。例えば最近の映画、若者のファッション、ああいう人はこういう性格で、 とかに注意を向けるべきでしょう。結婚するならば、躁鬱病の人が持つ細やかな気配りを キャッチできる人が良いでしょう。医者との相性も大事です。話しやすい医者が良いでし ょう。内面を見つめるタイプのカウンセリングは避けてください。受けるならば、のびの びとしたカウンセリングです。

『神田橋語録』

僕は子供の頃からとにかく我慢ができなかった。また、何をやっても長続きしなかった。それが情けないと思っていて、就職したからには長続きしようと思い、結構我慢してきた。案の定、気分の波がすごいことになった。どうやら色々なことに手を出すのがいいらしい。僕は何かを極めている人に憧れているので、つい同じことをずっとやってしまうのだが、そうしていると必ず参ってくる。色んな人と付き合えば、薬は減らせるらしい。今となっては全然人と関わっていない。そして、僕は常に内面を観察している。これが良くないのだろう。こうみると割と安定していた小学生の時の生活にヒントがある。我慢はしないわ、色々なことに手を出すわ、色々な人と関わった。だから割と安定していたのかもしれない。

資質に合わない努力はしないのが良さそうです。「きちんと」とか「ちゃんと」とかは窮屈 になるから駄目です。のびのびするためには、今までやったことのないことに色々と手を 出してみて、あれもこれもとちょっぴりかじるだけがよさそうです。そして合いそうな事 だけをするようにしましょう。ちょっとだけはめを外す事がストレス解消につながります。 気分屋が基本気質ですから、「気分屋的生き方をすると気分が安定する」という法則を大切 にしましょう。コツはまずくだらない事を遊び半分でやることです。価値の無い事、無駄 なことから始めましょう。そうすれば中途で止めてもがっくり来ません。価値あることを してしまうと、しんどくなった時に途中でやめられなくなるから、損です。逆に無駄なこ とをどんどんやるのは、治療に役立つから無駄ではありません。気ままに散歩するとか、 買わなくても良いから百円ショップに行ってみる、とかを薦めます。多様な刺激を脳に送 り込む事になるから、それが躁鬱病の人の脳に良いのです。

『神田橋語録』

確かに、「きちんと」とか「ちゃんと」の状態になっている時は頭に血が上っている感覚がある。「気分屋的生き方をすると気分が安定する」とは格言じゃないか。別に気分屋でいいのである。むしろそれを誇るべきだ。

昼休みにB級グルメを食べに 行きましょう。自分の気持ちが動いたものにフッと手を出す、これが大事です。通勤のコ ースを変えてみる、途中で道草してコーヒーを飲む、とかをしてみましょう。コーヒーの 入れ方とかデザートの作り方とか、そういうことの薀蓄が増えるだけでプラスです。「この 道一筋」というのは躁鬱病の人には似合いません。フアン・ファンと生きて、日々目先を 変えるのがよろしい。多彩で幾分賑やかな時を送るようにしてください。生活を万華鏡の ようにしてください。平穏と充実は両立します。しようかと思った事をしないでいるとス トレスになります。法に触れない事なら何でもしてみましょう。生活が充実してくると波 は小さくなります。充実感があれば薬はもっと減らせます。自分に自信がついてくれば治 ります。ただ、中々良くならない躁鬱病は小中学時代の苛めが尾を引いているかもしれま せん。躁鬱病の人は他者からみて話し掛けやすく、接近し易い雰囲気を漂わせているので、 苛めに会いやすい場合があるのです。

『神田橋語録』

「この道一筋」は躁鬱病には合わないらしい。僕は「この道一筋」に憧れているのだが、どうやら無理らしい。「生活を万華鏡のようにしてください」躁鬱格言が続出している。充実感が重要なんだ。僕は幸いイジメには合わなかった。今思うと、いじめられてもおかしくないところがあったのだが、僕は結構よく笑うのでそれでいじめられなかったのかもしれなかった。また、なぜか守ってくれるような人がいつもいたのだ。

人に親切にするのが好きで、人に好感をもたれる性格だから、人と接する仕事は向いてい ます。例えば営業、水商売、介護職です。人の世話や面倒をみるのが得意です。人間相手 の仕事だと、相手のハッピーを貰えるので、ストレス解消的です。苦手なのはけんか状態 です。客からクレームの電話があったりすると不安定になります。組織の中で働くよりも アイデアを実行する仕事もよいでしょう。研究者や簿記、コンピューターとかは不向きな ことが多いです。本の虫とか、時計修繕の職人や判子彫りの職人の仕事とは対極です。庭 の草むしりをこつこつというのも向きません。受験勉強をするからといって、部活や遊び を減らして生活を狭くするのは逆効果となります。躁鬱病の人は活動性が高いので、勉強 するときでも静か過ぎる環境だと雑念が沸いてきます。だから、ながら勉強のほうが向い ています。

『神田橋語録』

営業、水商売、介護か・・・。僕は今無職なので、就職する際には人と接する仕事を視野に入れるのもいいかもしれない。僕は18歳頃までは本が全く読めなかったのだが、これではいけないと思い、そこから「本の虫」になった。ただ、本質的に読書は向いていないのだと思う。読書をするときは体を動かせないので、それが苦痛で仕方ないのだ。僕が読書をしてこなかった理由はそこにあるのかもしれない。「部活や遊びを減らして生活を狭くするのは逆効果となります」とある。僕は中学3年生の時に不登校になり、引きこもりになったのだが、まずは部活に行かなくなり、次に友達と遊ばなくなった。そして、引きこもりという完全に狭い生活に閉じこもってしまった。これが良くなかった。やはり、参るなりの生活を選択してしまっているのだ。


以上のように、気が楽になるような語録なのだ。この『神田橋語録』を紹介してくれた坂口恭平に感謝したい。読んでいて思ったのが、要は小学生の時の生活に気分の波を安定させるヒントがあるということだ。もちろん、今から小学生のような生活を送る訳にはいかない。ただ、それを現段階にあったものにアップデートできるだろう。これからはそういうことを意識していく必要があるのではないか。要は気分の波が大きくなることを選択しているから、そうなるのだ。そうならないようなコントロールの仕方を身に着けていく必要がある。そのうえで、この語録は大変参考になるし、福音のようなものだ。

ただ、ここに書かれていることは、躁鬱病に限らず、誰にでも当てはまると思う。また、ただの解釈にすぎないのかもしれない。しかし、他の躁鬱病に関する本を読んでも、ただ参るだけなのだ。唯一の例外がこの語録であり『躁鬱大学』であったりするのだ。他の躁鬱病の本には「病気」として書かれているのに対して、この語録では「体質」と捉えている。ここが大きな違いだと思う。『躁鬱大学』でも書かれていたが、神田橋が躁鬱病エッセイを書いてくれればいいのにと思う。


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