具体的に動く

今日は精神科と胃腸科に行ってきた。精神科では最近、吐き気や体の痛み、痒みが気になり、何か重大な病気なのではないかという不安について訴えてきた。やはり心気妄想らしく、鬱あるあるらしい。また、体は正常にも関わらず何かの病気だと思い込む、何とか何とか病ってのがあるらしく、それですよと言われた。何とか何とか病の名前は忘れてしまった。まあ、治療としては今の治療で問題なく、薬が増えたり変わったりすることはなかった。要するに、まあ気にしないでくださいとのことだった。胃腸科でも吐き気について訴えたが、まあ胃が良いだの悪いだのというよりかは、胃の動きに対して過敏になっているとのことだった。要するに気にしすぎということだった。僕の通っている精神科と胃腸科の先生の言うことは結構似ている。一応最低限の薬は処方されているのだが、薬だけでは解決しないと言っている。もしかすると、まともな医者ならそういう考えなのかもしれない。また、僕は神経質というか過敏なのを見抜かれていて、こういう質の人間には薬では解決できないと思われているのかもしれない。まあ両方の主治医の言うことはよく分かる。薬で解決しようとして、薬がどんどん増えたら溜まったもんじゃない。まあその分自分で色々工夫していかなくてはいけないという辛さがある。考え方によっては、主治医の考えはかなり厳しいように思える。ただ、それはある意味優しさというか、医療でできることの限界を示してくれていると思う。こういう医者のことを名医と呼ぶのかもしれない。いや、あるいはヤブ医者なのかもしれない。

だからもう僕が鬱や身体症状に対してどのようにしていけばいいか分かっている。それは「気にしない」ということだ。気にしないために色々やっていかなくてはいけない。それは行動だ。正直な話、働くのが一番良い。これが一番気が紛れるのだ。ただ、僕は2年間鬱で休養している。仮に、「僕は今日から就職活動を始めます!」と主治医に言ったら反対されるだろう。だからとりあえず精神科のデイケアに通っている。そして、作業所に通おうと思っている。こうして気を紛らわせていくしかない。症状を気にしなくするにはそうしていくしかない。中々過酷な現実だ・・・。

斎藤環さんのヤンキー論に、相田みつをとヤンキーはシンパシーがあると書いてあったので、相田みつをの『にんげんだもの』を読んだ。相田みつをの存在はもちろん知っていたが、相田みつをの詩は何だか小恥ずかしいような歯がゆい印象があったので、わざわざ本を買って読む気にはならなかった。それで読んでみると、とにかく現状肯定思考なのだ。ポエム的な分かりやすさとこの現状肯定がヤンキーとシンパシーがある所以らしい。読んでいて嫌な気分になるような内容ではなかった。むしろ、良いなと思えた。僕は鬱で悩んでいるのだが、相田みつをの詩は鬱にもかなりシンパシーがあるようにも思えた。鬱で苦しんでいる人は、相田みつをの詩を読んでみるといいかもしれない。短く分かりやすいので鬱の時でも読めると思う。鬱とはあまり関係ないが、気に入った詩があったので引用しようと思う。

アノネ
がんばんなくてもいいからさ
具体的に動くことだね

相田みつを『にんげんだもの』

M君へ
ともかく
具体的に動くことだね。
いま、ここ、を
具体的に動く
それしかないね。

具体的に動けば
具体的な答がでるから。
自分の期待通りの答えが
出るかどうか

それは別として
具体的に動けば
必らず具体的な答が出るよ。
そして
動くのは自分。

相田みつを『にんげんだもの』

とにかく具体的に動くことの重要性が書かれている。僕も以前記事で漠然とした理想ではなくて具体的に動く必要性を書いた。僕が考えていたことが詩になっていたので驚いた。僕は会社を辞めてから鬱になったのだが、会社を辞めようか悩んでいる人はこの詩が結構刺さると思う。また、僕はこの詩を読んで坂口恭平のことが浮かんだ。坂口恭平はとにかく具体的に動くのだ。彼の本を読んでいると漠然とした理想をもっているのが恥ずかしくなるくらいだ。僕は坂口恭平の本を読んで、具体的に動くことを学んだと思う。

そんなことより鬱だ鬱。これを治していく方法が気にしないなんてもはや悟りの領域じゃないか。辛いものは辛い。何もできない時は何もできない。これは仕方ない。動ける時に動いていくしかない。

僕の今の楽しみは、月に1枚ボブディランのアルバムを買うことと坂口恭平の新刊を買うくらいだ。坂口恭平の本は小説以外ほとんど読んでしまった。だから新刊を待ち望んでいる。生きている作家の新刊を待ち望むのは嬉しいことだ。小説はなぜか読む気がしない。これは僕が鬱だからなのかもしれない。まあ読む気になれば読めばいいや。


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