ヤンキーになりたい

昨日あたりから気温が下がって少し楽になってきた。ここ2週間くらいは暑さでかなり参っていた。去年の秋から6月半ばにかけて鬱を治すために色々動いてきたのに、また横になる生活が始まるのかと思い参っていた。やはり暑すぎたの原因だったのかもしれない。僕は昔炎天下の中でも自転車を漕ぐことができたのに、どういう変化なのだろう。また、秋冬より春夏の方が元気が出ていた。それが今では逆転してしまった。

昨日は割と動けたのでブックオフに行ってきた。それで、相田みつをの『にんげんだもの』、『いちずに一本道 いちずに一ッ事』を買ってきた。なぜ今相田みつをなのかというと、斎藤環さんのヤンキー論の本で紹介されていたからだ。どうもヤンキーと相田みつをはシンパシーがあるらしい。まさかヤンキーと相田みつをが交わるとは思ってもみなかった。それで興味が出てきて買ってしまった。いずれも100円だったのでお金がない僕にとって助かった。ありがとうブックオフ。

ヤンキーの現実思考とポエムが好きだというロマンティックなところが相田みつをとのシンパシーがある所以らしい。相田みつをの詩は現実を肯定している。もちろん僕は相田みつをのことを知っていた。店だとか病院だとかでその彼の作品が飾られているのをちらっと見た程度だ。詩に関しては、なんか小恥ずかしいというか歯がゆい感じがして、正直相田みつをの本を買おうか迷ったが買ってしまった。僕は今うつ状態にある。もしかすると相田みつをの詩が何かヒントになるかもしれない。

そして今は斎藤環さんの『ヤンキー化する日本』を読んでいる。これはヤンキーに関する対談本だ。『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』の番外編みたいな本だ。斎藤環さんのヤンキー論は面白い。なぜ面白いのかというとそれが日本人論になっているからだ。日本人論の本は大抵面白い。日本人にはヤンキー性というものが宿っているらしい。斎藤さんはそれを指摘する。日本神話からヤンキーカルチャー、政界に及ぶまで広く分析されているのが面白い。はっきりと肯定も否定もしていないのだが、どちらかというと否定よりだ。「ヤンキー性も悪くはないけど、いきすぎるマズイよ」と僕はこう受け取った。

ただ僕は斎藤さんのヤンキー論を読んで、ヤンキーもいいなと思ってしまった。ヤンキーになりたいとすら思ってしまった。もちろんこれは斎藤さんの主旨ではない。僕は双極性障害らしいのだが、躁状態みたいな時はヤンキー的になる。とにかく気合というか勢いで物事を進めていくのだ。そこには考えがない。知性がない。あっても稚拙なものだ。ただ、鬱になった時にそれをひどく後悔する。僕の中にヤンキー性があるのだとしたら、双極性障害とうまく絡み合っていると思う。斎藤さんもヤンキー美学の特徴として、「気合とアゲアゲのノリさえあれば、まあなんとかなるべ」と述べている。そう、まさに躁状態とはこういう状態なのだ。知性もくそもない。考えるな、感じろなのだ。ただ、その反動として鬱になってしまうのだが。

ヤンキーは現実思考である。往々にして友達や家族、地元を大事にする。働くのも早い。結婚も早い。祭りを盛り上げるのも彼らだ。これらは僕が大切にしてこなかったことだ。僕はどちらかといえば、夢想家で現実を置き去りにしている。僕に足りないのはヤンキー性なのかもしれない。鬱でどうしようもない僕はヤンキーに憧れる。ヤンキーも鬱や引きこもりになるのだろうか。斎藤環さんのヤンキーに関する本を読んで、皮肉にも僕はヤンキーに憧れてしまった。鬱の自分に足りないのはヤンキー性だと思いながら読んだ。もちろんこれは斎藤さんの主旨とは真逆である。ただ皮肉にもそう思ってしまった。


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