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「マルクス解体」を紐解く|レビューエッセイ#3

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第三章 物質代謝の亀裂とプロメテウス


「大洪水よ、我が亡き後に来たれ!」
これが全ての資本家、全ての資本家種族のスローガンである。

マルクスはそう述べた。
大洪水とは何だろうか? 確かに、もし記録的大災害が来るのであれば、自分が生きている時代には来てほしくないだろう。当たり前じゃないか。人間自分が一番かわいい。

だが、本当にそれでいいのだろうか?
本当に後世の人間が不幸になっても構わないのだろうか?
僕は、そうは思わない。


資本経済の行く末

先ほどの資本家のスローガンで出てきた「大洪水」という言葉。
これは資本主義の崩壊、つまり株式の絶望的な暴落のメタファーを指しているのだと考えられる。だが、そんなことより、それは行き過ぎた資本による救いのない超少子高齢化、または取り返しのつかない地球温暖化のような未来の果てを指しているのだと捉えられないだろうか。

世界平均気温は2011年~2020年で1.09℃上昇した。
二酸化炭素の排出量は2022年に過去最高値となった。
そして現在、日本の平均年齢は49歳を超え、出生率は1.2人を下回っているとされている。

このまま行けば先進国の国力は低下の一途をたどるだろう。「文明の終焉」が現実味を帯びていく。緑の導火線は花を枯らしてしまうのだろうか?

今の地球の環境問題に資本経済が関係しているのは明らかだ。資本主義は産業革命を契機に本格化した。だいたい1700年代の中頃だ。そしてそこから100年、200年と資本経済は成長を続けて、今では巨大なミミズ(僕にとってそれは、村上春樹さんの『かえるくん、東京を救う』に出てくるミミズくんに思えてしまう)と化している。
これからも巨大なミミズは大きくなるだろう。そしておそらく、ある点で人類の手から離れて自己増殖的に成長するだろう。そしていつか「大洪水」がやってくる。

その原因が「物質代謝の亀裂」である。


物質代謝とは

「物質代謝」という言葉は元々生理学で使われ、体内に取り込まれた物質が様々な変化(転化)を経て、異なった物質となって体外に排出されることを指す。

 物質A ⇒ 体内 ~ 転化 ~ 体外 ⇒ 物質A’

ここで言う「転化」とは、何かを媒介にして物質の形態を変えることを意図している。汚い例となってしまうが、食べた物(物質A)が胃腸の働き(媒介物)によって便(物質A’)へと転化される、これも物質代謝だ。

そしてこの過程によって、物質は自然から人間を通して自然へと還る。

物質代謝は資本の中にも存在する。例えば、スギやヒノキは人間の手によって木造家屋となる。コットン(綿)は下着や洋服になり、海水は食塩となる。これらは全て「生産」であって、ゆえに資本における「物質代謝」とは「生産」という言葉で置き換えられる。

物質代謝が生産ならば、媒介となるものは何だろうか。
資本主義における生産過程で必要不可欠な要素、それは「労働」である。
全ての生産物は人間の労働によって形作られる。つまり資本は、ある物を、人間の労働という媒介を通して自然(社会)へと生産(物質代謝)される。

これが今後重要な概念となる「物質代謝」である。


有象無象の物象化

資本における物質代謝は以下の流れであることを説明した。

 物質A ⇒ 人間 ~ 労働 ~ 自然 ⇒ 物質A’

また、マルクスは労働に関して、”労働は動物的な本能としての生産活動とは違い、人間に特徴的な活動である”、という。そう、これには「特徴的な活動」があるのだ。人間の労働は合同的に自然へと働きかけることができる。

それを可能とするのが「物象化」である。
物象化とは、あらゆる物が商品となり、社会的な力(価値)が付与されて交換可能な物となることである。そして「あらゆる物」の中には抽象概念である労働も含まれ、資本経済では人間の労働こそが交換価値のある商品であり資本=労働力と化した。

そしてこの「資本=労働力」を私的なものとして独占するのが資本家である。そして資本家が消費するものはただ一つ。私的所有とした人の労働力である。

斎藤幸平先生著「大洪水の前に」では、物象化のプロセスを「人と物の転倒」と表現している。資本の中では、転倒により労働力は生産物(目的)の交換手段として性格の無い無機物に成り下がる。そうして労働者の時間的人権は蔑ろにされていく。(デスマーチのレクイエムが聞こえないだろうか?)


物質代謝の亀裂とプロメテウス

人間と非人間的自然の物質代謝が社会的生活の基礎を構成しているが、資本主義が人間と生態系との相互作用を組織する仕方は、必然的にこの過程に大きな裂け目を作り、人間と人間以外の生物の両方を脅かす、というものである。

斎藤幸平「マルクス解体」 P40

この考え方の前提には、今の資本主義が「プロメテウス主義(生産力至上主義)」だということを念頭にいけなくてはいけない。基本的に資本とは、利潤を追い求める。資本の関心は「利潤の獲得」のみであり、人間(労働者)も環境(地球)も資本にとってはどうでもいい。目先の生産性に釘付けだ。

価値というニンジンが顔の前にぶら下がっている哀れな馬車馬が、資本の本質である。だから資本は廉価で効率性の高い資源を好む。物象化により、労働力には実質価値はない(あるのは労働者の時間だけだ)。そして自然はタダである(地価や税金は本質な価値はない)。だから資本は労働者を軽視し、自然の掠奪を行い低コスト高リターンを実現する。

つまり、根本的に資本と自然や人の間には大きな亀裂がある。そして資本経済における生産過程で、その亀裂は次第に顕著となっていく。これが「物質代謝の亀裂」であり、資本が環境を破壊する理由である。そもそもこれらは根底から矛盾していて、それを数百年続けてきてしまったのだから、自然破壊が問題になるのも当然の帰結である。

プロメテウスの夢は元から無意味だったのだ。マルクスは気付いていたのだろう。だからマルクスは「物質代謝」とエコロジーの観点から資本論を書こうとしていた。だが、残念ながら資本論第二部を書く前に他界した。


余談

フォイエルバッハは、神とは人間の頭の中から自らの類的存在としての本質を誤認し、外部に投影してしまったことによる「幻影」であると批判した。
現代人は資本主義という夢に縋り続けている。その夢が「幻影」ということも知らずに。

次回から「マルクス解体」を紐解いていく。

Mr.羊


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※「マルクス解体」


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