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ソーヴィニヨン・ブランな女

いかなる形容詞も言葉が足りない。
ただ「ソーヴィニヨン・ブランは風だ」とは言っていい気がする。

ソーヴィニヨン・ブラン。白ワインの品種。銘醸地フランスのボルドーの赤ワイン品種、カベルネ・ソーヴィニヨンが鉄の女としたら、ソーヴィニヨン・ブランは爽やかな貴公子だ。
おっと。ソーヴィニヨン・ブランの話をする時、形容詞の扱いには慎重にならなければいけない。「爽やか」というと、なんだかそれはひどく薄っぺらくて、いまいちしっくりこない。「貴公子」と表現したけれど、それも不適切で、破天荒なジャジャ馬姫のような気もするし、大きな庭園で花の手入れをする王妃のような柔和な雰囲気もある。性を特定するのも憚れる。だが、なんとなく柔和な雰囲気は女性より、ぐらいはいってもいい気がする。

ソーヴィニヨン・ブランは世界中で栽培されており、フランスのロワール地方、とりわけ有名なサンセールとプイィ・フュメは、火打ち石のようなミネラルを感じるのが特徴。鮮やかな酸味と仄かに柑橘系のフルーツが特徴の、晩熟の品種。そのほか、イタリアやチリ、そしてkiwi wineとして親しまれるニュージーランド産もハーブのようなスパイシーさを持つ。

ソーヴィニヨン・ブランに限らず白ワインのブドウ品種というのは、スティルワインから、発泡、貴腐ワインと姿を変えるため、醸造方法や産地によって味わいが違うが、あえてわかりやすく単純化して私的に説明してみる。

金曜日、溜まった仕事を片付けて、少し遅めに帰る。
秋とはいえ、まだ夏の名残を感じる。こんな日はご飯を炊くのを待つ間、シュナン・ブランを飲もう。
「空きっ腹で飲むのは危険だな」と思ってると、ちょうどクール便でモン・ドール(季節限定のチーズ)が届いた。こりゃあいい。お行儀は悪いけど、台所でスプーンでチーズを掬ってクラッカーに乗せて食べよう。蜂蜜の香ばしさがやるじゃない、シュナンちゃん。
ちょっとまだ高いけど、今夜は新物の秋刀魚で塩焼きだ。コロリとしたスダチは農家の吉田さんからもらった。香ばしく焼けたら、食べる直前にぎゅっと絞ろう。なんて些細で贅沢な時間だ。
秋刀魚のお供はもちろん、ソーヴィニヨン・ブラン。スダチの要素も持ち、スッキリと油とその日の疲れも洗い流す。持ち前のハーブのニュアンスも加わったら、国際的な秋刀魚になるに違いない。MisoやSoy souceが留学するように、ソーヴィニヨン・ブランという交換留学生は誰よりもすんなりと日本に馴染んだ。
いや、ちょっと待って。日本にも誇るべきハーブがたくさんあるじゃない。吉田さんにもらった山椒がまだ冷凍庫にあったはず。ピーマンと人参と山椒を炒めたら、絶対ソーヴィニヨン・ブランと抜群に合うな。ついでに明日食べる用のちりめん山椒と、これまた日本のハーブである紫蘇と自家製味噌で紫蘇味噌を作ろう。
というわけで、明日もソーヴィニヨン・ブランで決まり。
我、マリアージュの天才なり。
でも、秋鮭と舞茸のバター醤油焼きには、ねっとりと樽香で包み込むシャルドネに譲ろうね。
お風呂上がり、濡れた髪をタオルでさっさと巻き、待ちきれないように冷蔵庫から取り出すのは昨日も飲んだリースリング。果実由来の甘さと真っ直ぐな酸が温まった体にピッタリだ。適度に蝋燭のようなオイリーさがあるの。顔も心も保湿していこうよ。
ストレッチとマッサージをして、noteでも書こうか。今週はひどく疲れた。今日は何か甘いものが恋しい。
よし、貴腐ワインを飲もう。セミヨン主体の貴腐ワインは少しだけソーヴィニヨン・ブランが入ってる。そのおかげで、甘ったるさだけのデザートワインに成り下がらない。なんて天才的な組み合わせなんだろう。
今日もよく飲んだな、ご機嫌だ。

白ワインで過ごすある日の夜

こんな感じ。なんとなく伝わっただろうか。
ソーヴィニヨン・ブランという女性、否、品種は、本当は世界に君臨する気高きボルドーの品種だけど、敷居の高さを感じさせない、気さくさ、家庭的な雰囲気があるのだ。

さてさて、ソーヴィニヨン・ブランの主要産地として名高いニュージーランドの首都、ウェリントンは、Windy Wellington(風の都)と言われるのだけれど、「風」というと、みなさんは何を思い浮かべるだろうか。
「自由」? 
確かにそうかもしれない。けど、その自由さは単に既存システムや社会に反発した「自由」では決してない。そういった枠組みを否定するというより、その枠の存在を感じさせずに、ふわりと流れている。自分は自分、人は人、として自分以外の人の生き方を尊重する。当然、それが自分の子供でも。

風は掴むことができない。
しかし、それは「つかみどころがない」というわけではなく、「確たる己」を持ちながら変幻自在に流れていくということ。時に仄かな炎に吹きかけ、燃えたぎらせ、時に汗だくになって争う人々を、涼やかに沈静化させる。そして、風は決して箱に閉じ込めることができない。

ソーヴィニヨン・ブランを飲むと、いつもそんな女性を想う。
年齢関係なく、もしかしたら性別も中性的でショートカットが似合い、でもやはり母性(果実由来の甘さ)も奥に見え隠れする。
どこからか風が吹いてきて、ふっと振り向くような気付きを与えてくれる。
それが私が思う、ソーヴィニヨン・ブランな女だ。

そうそう、北海道・余市でも欧州品種のソーヴィニヨン・ブランで世界的に評価を受けつつあるのを思い出した。「ブドウ作りの匠」とも言われる田崎正伸氏の「田崎ヴィンヤード・ソーヴィニヨンブラン」は、うまく表現できないけれど繊細で、細やかな感じがする。不思議だな。ニュージーランドの楠田さんのピノ・ノワールも、うまく表現できない繊細さがあるし、こういう説明できない不思議さを体感すると、宇宙の論理を感じるのよね。うまくいえないけれど。

そういえば。
私が知ってるソーヴィニヨン・ブランな女の人は北海道に住んでるようけれど、やはり何かそういった宇宙の理が働いているのか。果たしてそれは単なる偶然か、必然か。

ではまた。

ご機嫌よう。





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