もしもの備え その3.4 〜水害の後始末 もしもの備えの保険が冷静な交渉を生んた… 河川の近くに家を建てるな 当たり前過ぎて意識しなくなっていること
私の苦い経験の最後の始末をご紹介しますね。
簡単な経緯
父から子供の頃に
河川の近くに家を建てるな
と教わりました。父方の先祖が河川の氾濫による水害に遭ったからだそうです。しかしまさか横浜駅が水没するとは想定できませんでした。なので買った横浜駅から徒歩数分のマンションが水害に。
この始末にマンション管理組合の理事長として関わることになりました。
当初半数弱の理事が、管理会社の管理責任を問いました。水害直後に強引に管理会社を呼んで管理人を含めて吊し上げの様な様相に…修羅場という感じでした。
ということで理事長のお仕事開始。
施工会社と管理会社は同じグループ会社なので責任分界点の交渉は容易と見ました。また、最悪は新しく契約したマンション管理組合用保険で原状回復はカバーされることも確認が取れました。
管理組合の臨時総会を開催し、個人的に動かず管理組合として水害の対応を進める体を固めました。その中で過激な方々には言いたいことを全てで言って貰いました。そこには時間を多く取り、次第に冷静さを取り戻した他の組合員が、あの過激なスタンスは如何なものかと思う様な流れを醸成しました。
そこの上で初めは過激だった方々の多くからも賛意を得る形で、結局やりたいことは
合理的な原状復帰
(訴訟を起こすことが目的ではない)
のみという管理組合の合意を形成できました。まぁ感情的になっている不満分子は、当然統計的な確率(3σ(シグマ)より外)で引き続き残って居ましたが…
次にそもそも大きな騒ぎになった問題となった原因、止水板の設置が行われなかったことの始末については、
·止水板の運用指定が不明確であったこと
·従って管理組合としての管理会社への業務委託にも不備があったこと
·基本的に周辺の建物で止水板運用が取れたところはなかったこと
(NTTさんと東京電力さんはそもそも基礎を嵩上げしてあって被災を免れた)
を前提に、私と副理事長(お隣の奥さん)の2人に全権を委譲してもらい交渉を一任して欲しいと管理組合に提案しました。丁寧な議論の末に賛成多数で可決していただきました。
グループ会社のトップとの交渉に都内にあるそのグループの本社まで出かけました。
副理事長との打合せで落とし所は、以下。
·止水板の運用に関して管理責任は無い
(従って管理組合として例えば訴訟を起こすことはしない)
·とは言え管理のプロとしては残念な対応ではあった
·原状回復を管理会社の善意の対応として実施して欲しい
(被災へのお見舞い)
具体的には
床上浸水した家屋の清掃
(1階のほぼ全ての家は区分所有部分の扉を開けなかった為、床上浸水した家は3件のみ、それも直ぐに扉を閉めたのて玄関付近のみの軽い浸水)
共用部分の清掃
地下のエレベーター設備の修理
地下の駐車場ピットの清掃
因みにそれ以外は例えば水没した車の保証等は求めない。
(私の車を含めて3台は地下にあったのて完全に水没、廃車。それ以外は水没するも簡単な修理で利用可能)
ということで、相手側も相当こじれていたので、それで手打ちならということで快諾を得ました。
以降は、マンションの施工/管理を担当したグループ企業が被災へのお見舞いとして無償工事という体で全ての収まりました。
とは言え、過激な方(1軒)の執拗な嫌がらせ、具体的には私達が業者と癒着してウヤムヤにしたといった張り紙を貼る等の稚拙な行動…は半年程度続きました。
まぁ統計学を学んでますので、そんなもんかと…
管理人に機械的に撤去して貰いました。(笑)
ということで、マンション管理組合用の保険というもしもの備えで対応に余裕ができ、冷静な被災後の処理ができました。勿論その保険は使うこと無く…被災後1ヶ月程度で全面復旧したのでした。
経緯
その1は初めてもしもの備えを考えた子ども時代のご紹介でした。
その2では、全く逆の動きを敢えてした受験生時代、サラリーマン時代の
“敢えて完璧な備えをせず前に早く進むことを優先”
という話題を置いて見ました。
その3.1では、先祖の被災の教訓を生かせず被災してしまった話でした。
その3.2では、台風の豪雨の中子どもと航空宇宙の展示会に出掛け、帰宅したらまさかの水害に…というお話でした。
その3.3では、マンションの管理組合員の一部がが天災たる水害被災を人災として管理会社の責任を問うという、しかも大人気ない喧嘩腰でのお作法違いの行動に… そしてその収束のために私がマンション管理組合の理事長になったというお話でした。