ぴの
うちには2人のこどもがいます。息子中3、中1の5月から完全不登校。そして娘中1、最近起立性調節障害の診断を受け不登校中。そんな子どもたちのことをようやく記録にのこしたい、同じ悩みの方々と思いを共有できたらとおもって、これまでの軌跡とこれからを綴っていこうと思います。
放射線治療が終わり、ホルモン剤の内服も始まり、いよいよ職場復帰です! ホルモン剤(タモキシフェン1日1回)を飲みはじめて1ヶ月が経ちましたが、とくにカラダの変化はまだ感じていないようで、病気になるまえよりもむしろこころもカラダも晴れやかというか、調子がいいようです。 病気療養をさせてもらって約3ヶ月、全く仕事の事を考える時がなくて、すっかりいろんなことを忘れているようなところも多々ありますが、職場の同僚のフォローのおかげでなんとかやれてます。 仕事復帰初日は、職場に着い
*放射線治療⑩〜⑬回目 体のしんどさもあんまり感じず、ただ昼からの眠気は非常に強い気がする…という感じ。 皮膚症状は、断続的に痒むが痛みはなく皮膚色も照射部位が明瞭にわかるような茶赤色になっている。自分では乾燥はよくわからないが、乾燥もそれなりにしているので引き続き保湿クリームと、痒むところはリンデロン軟膏を塗布している。 *照射⑭回目~最終まで 体のしんどさはとくには感じず、照射部位はやや茶色っぽい皮膚色がしっかりてしてきており、保湿とリンデロン軟膏を徹底して塗るよう
8/23術後1ヶ月の受診後、放射線科受診予約。 8/29放射線科受診。医師、看護師さんから細かい丁寧な説明を受け、同日マーキングをすることができ(所要時間30分程度)翌日マーキングがとれてないか確認(ほんとなら2-3日後だったが台風の影響も懸念されたため)。 細かい説明の中には副作用の話もあり、治療中から皮膚症状、倦怠感、乳腺症状、骨髄抑制などおこりうるということ。照射するのだからそりゃそうだな…。治療後も治癒には時間のかかる皮膚障害、放射線肺炎(治療後2週〜半年1年以内に
術後の経過もよく、傷の痛みもあまり感じない。ただ感覚はまだ戻っていないようなかんじ。 術後2週間の診察日、病理診断の結果の説明があった。 わたしのガンのサブタイプ ホルモン受容体 陽性 HER2 陰性 Ki-67 低値 リンパ節転移なし ルミナルAタイプと。 術前で診断したよりも腫瘍の浸潤が少なかったようだ。 術後1ヶ月経過ののち、放射線受診と、放射線治療。そしてホルモン剤治療となる。 当初はとにかく早く治療して仕事に復帰したいと思う焦りがあったが、治療
いよいよ手術時間となり、予定より40分遅れの午後からの手術だった。 病棟看護師さんとともに普段なら知り得ない裏側のエレベーターから手術室へ。なんだかワクワクはしたが緊張はなかった。以前骨盤骨折で受けた手術は腰椎麻酔だったため、その痛みが忘れられずだった。しかし今回は全身麻酔だし、すぐに意識なくなるから全く気にもしなかった。未知の世界。できるだけ知っておきたいと思い周りをキョロキョロ👀 手術台にのり数人の看護師さんと、麻酔科医が頭元に立ち、ぼーっとする薬入りますと言われ、点滴
長かった手術までの待機期間…診断から、3か月。ようやく入院、手術へ… 〜入院前日〜 自分が自分らしくいるために入院前日まで仕事をすることにした。あと残り何日…とカウントダウンをしながら、いよいよ最終日がやってきた。同世代でもありだれにでも起こりうること…とても力強い言葉をみんなにかけてもらいながらしばらくの休職となる。 明るく、元気に話すと力が湧いてくる!涙を流さずに立ち去れたことが自分への誇りだと思っている。すぐ泣いてしまうから… 仕事がおわり、まだ何も入院の準備もし
はじめに乳がんに気付いてからかれこれ約2ヶ月になろうとしている。 検査もいろいろ終わり先日の受診で遺伝子検査の結果が出てBRCA1、BRCA2遺伝子(BRCA遺伝子)陰性と判明。治療方針が決まり、左乳房部分切除術、術後放射線療法に。現段階ではそんな感じと説明を受けた。 まずは手術日がきまり、上司に報告。 「緊張するね、」と短い言葉ながらきっと同じ女性だしがんばれ!という思いのこもった言葉だったんだと思う…。長年ともに同じ職場で過ごしてきてこの人がいてくれるから病気のことも、
胸部から骨盤造影CT 、骨シンチグラフィ、乳房造影MRI 検査ひとつにかかる時間はさほどだが、同じ日にまとめて検査できないため、仕事を休ませてもらった。 病気が分かって、検査や受診を重ねていくたびに正直自分事ではなく何か学びのような感覚だった… 病院に通うごとに自分は病気なんだな…これからどんなふうになっていくのか、身体精神を保っていられるのか計り知れない不安が押し寄せてくる。 遺伝子検査をするにあたりカウンセリングというのを受けないといけないらしい(自費診療) いくつ
待ちに待ったというか日々変わらない生活をしていたからかあっという間の時間がすぎ結果発表の日がやってきた。 5/10 乳がん。浸潤性乳管癌 来週からは転移がないかなど全身検査へ。 いろいろ話があり、落ち込む時間もなかった… でも親には話せないなと思った。心配して泣かれそうだから…常々両親にはとにかく元気でこけちゃダメよー、入院しちゃうと大変だよ〜なんて挨拶みたいに言ってたのに、自分が病気になってしまった。仕方がないことだけど、なんとか落ち着くまで黙っておくことに
noteを始めてみようと思ったのはこの春、ガン宣告を受けたから… というのも、突然の出来事だった。2024/4/18突如感じた左胸のしこり。 まさかなぁ?ちがうよなぁ?なんて思いながら以前通っていたレディースクリニックに翌日受診。触診とエコーで「この後時間ある?すぐ紹介状書くから行ってくれる?」 あー、こりゃガンかな。検査のできる近くの病院をすぐに受診し、泣くほど痛いマンモグラフィをして、エコーして、おそらく乳がんでしょう…と。 なんとなく、わかっていたものの目にウルウル