【光る君へ】第15回「おごれる者たち」
次回予告がトレンド入り!
「光る君へ」第15回。(2024年4月14日放送)
今回は『枕草子』にわかファンにとって嬉しい内容だった。大好きなごちそうをたくさんいただいた気分。「腹をなでる女王」は出なかったが、よい意味でいっぱいになったお腹をなでたくなる。麗しい俳優さんが大勢登場、画面を美しく彩った。
ききょうの中宮定子拝謁と女房名「清少納言」下賜場面は、SNSでたくさんの人がイラストに描き、道長まひろ逢瀬以来の大盛り上がりとなった。
さらに、次回予告であの
「香炉峰の雪はいかがであろうか」
が一瞬放送されてSNSはさらに沸き立ち、翌日は朝から午後まで「香炉峰の雪」がトレンドに入っていた。「学校で古文を勉強しておいてよかった」という声もある。教養の大切さに気づく人が増えてくれるとうれしい。
『枕草子』などで描かれる雅な宮中文化は私も含め、皆さん大好きな世界。しかし今回のタイトルを「おごれる者たち」としているあたりに、一歩引いて状況を俯瞰するスタンスを取る制作サイドの姿勢がうかがえる。
麗しき主上
冒頭は少年一条帝最後の出演場面。
定子と「偏つぎ」で遊んでいる。
この二人ならば、かつてのサロン土御門のように競争になったり、札を取り過ぎて場のふんいきが気まずくなったりなどの心配はない。だってラブラブだもの。
二人が選んだ札を合わせると「政」。
「利発な少年と優しいお姉さん」から、「共に政治に参加するカップル」へのステップアップを示している。
ここで、第3回の偏つぎに登場した漢字をおさらいする。
最初に赤染衛門が示した例は「硯」。
まひろが取った札で作られる字は「明」「枯」「緒」「詩」「欲」「敗」。
合わせ技で、中関白家は明るく文芸に秀でているが(硯、詩)政に欲をかいたが故に敗れて枯れる、という暗示になっているのか。
中盤から舞台は3年後、993年に移る。
その間、991年に円融院がお果てになり、皇太后藤原詮子に院号「東三条院」が贈られ、史上初の女院となった。女院は上皇に準ずる待遇を受ける地位とされたゆえ、国母の政務関与、さらには後世の後白河院や後鳥羽院などによる院政の端緒を切り開いた、という見方もある。
これは結構重要な出来事のはずで、ナレーション説明さえなかったのはやや不親切だろう。ドラマでは道隆が詮子を職御曹司(しきのみぞうし)に転居させ、詮子がトゲトゲした声で「心にもないことを」と応じる場面が作られたが、単に口うるさい教育ママ兼おっかない姑にどいてもらうという話ではなく、国母にふさわしい待遇を受けた上での隠居である。
ドラマに戻る。
成人の一条帝がお成り遊ばす。
…何と麗しい。
本作はイケメン俳優を多数揃えていることも話題となっているが、公任や伊周はちょっと嫌味なところがあり(ファンの方ごめんなさい)、直秀は武骨キャラクター。花山帝はナイーブで子供っぽい変わり者として描かれていた。
対して一条帝は完全無欠。月明かりに青く照らされる夜の内裏で笛を吹く姿の美しさ。見ているうちに、定子さまになりたい!とまで思ってしまう。
その定子も大人びて、可愛らしさはそのままに貫禄を身につけている。冒頭場面と同じ人とは思えないほど。小さい頃からずっと一緒だった帝に、改めて大人の男性としての魅力を感じ取ったのか、うっとりと笛の音色に耳を傾けている。現代人でも数多くの人が思い悩んでいる、恋愛関係の様々な苦労を生まれながらに免除されている定子はどれほど幸せな立場かと思うが、少し憂いがちな表情も垣間見せている。演者は絶妙な塩梅でその心境を表現している。
淋しがりやどうし
定子の憂いは、女房たちの裏評判が芳しくないことにも起因しているだろうか。
「帝を手玉に取っていい気なものよね…この親にして、この子あり。」
すなわち、”成り上がり者”高階貴子が何かと専横な施政方針を取る関白・藤原道隆の寵愛を一身に受けているがゆえに、どれほど明るく文化的なサロン作りを目指して環境を整えようとしても、大元で支持されていないという状況である。
遺伝学的には、近親婚で一族を固めてしまうと脆弱になりやすく、外部の血筋を入れるほうがよいとされている。現代の視点で言えば、道隆が貴子を嫡妻にしたことは理にかなっているのだが、当時の人々にはその知識がなく、見た目の出自が低いことだけにフォーカスを当てて陰口をたたいている。
本作が始まった頃「キャストの9割が平安顔の俳優」と、出演者の誰だったかが言って笑いを取っていたが、定子はひとみがぱっちりしている。現代人の価値観で美しく可愛らしい顔立ちの人をキャスティングしているのも「当時のマジョリティーとはどこか違う」と示す狙いがあるのだろうか。
本作での定子は「和歌も漢詩も堪能だが、帝以外に本心から話し合える親しい人がいない」という描き方をされている。現代ならば、成績優秀で教師の覚えもよく、高価な物をたくさん与えられている子が、周囲の子供たちから疎まれがちになるといったところか。貴子はそんな娘に青緑色の香炉を贈り、漢詩を語れる話し相手の女房として、ききょうに白羽の矢を立てる。
ききょうは為時宅に来て、漢籍を読んでいたまひろに「もう夫も子も親もいないので、この喜びを伝える人がおらず」と言い、アンズのお菓子をつまみながら共に喜ぶ。
いつも陽気で空気などあえて読まず、あくまで強気で進むききょうだが、その陰には泣き出したいほど悲しく悔しいことが山ほどあったのだろう。周りにいる人物はどうして勉強もせず、視野を広げようとせず、口を開けばくだらないことばかり言っているのかと、腹を立てていただろう。
別れた夫・橘則光は本作で出さないのかもしれないが、風流を解さない人とされている。ひとりになることはもとより覚悟の上だが、内心は「どうして誰もついてきてくれないの」という淋しさと戦っていて、それゆえの強がりなのか。
定子とききょうは、お互いを必要としていた。
淋しがりどうしがひかれあうように、二人は出会った。
お手元クローズアップを期待していたが…
『枕草子』の「宮にはじめてまゐりたるころ」(角川ソフィア文庫「新訂枕草子」では178段)では、初出仕した頃を以下のように記している。
この記述より、清少納言の初出仕は993年冬と考えられている。雪が舞う「白い季節」である。しかしドラマでは、陽光明るく鳥が鳴く暖かい季節としていた。
清少納言は、寒い日に定子が着ていた衣からのぞく、薄紅梅色の手の美しさに恋をした。その模様は小迎裕美子さんの「本日もいとをかし!枕草子」にも描かれている。
ゆえにドラマでも、ききょう目線でまず定子の手元をクローズアップで映し、そこから少しずつカメラが引いていく映像を作り、ウイカさんに「きれい…」と言わせるのかと期待していたが、貴子に「中宮様です。面をお上げなさい。」と促され、ご尊顔を拝して「きれい…」だったので、少々物足りなかった。季節を変えるのならば、せめてそこは原典を尊重してほしかった。
NHKアーカイブスサイトで「かなふみ」の素材を提供しているので、それを使ってより原典に近い画像を作ってみた。
雪の日に梅咲くごとき
君の御手
うす紅に匂ひ立つかな (拙作)
「清少納言」の命名由来については諸説あるが、未だ確定していない。「清」は清原氏の出を意味することは確実でも、彼女の周囲に少納言だった人がいないからである。
ドラマでは「定子の勘違いから名付けられた」としている。現代でも勘違いや誤解がかえってピタリとはまり、そのまま定着した事例はたくさんある。
俳優の渥美清氏(田所康雄さん)は10代の頃読んでいた小説の登場人物「渥美悦郎」の名前にひかれて、エッチャンと呼ばれることに憧れていた。役者を始めた時、座長に「芸名何にする?」と言われて「渥美悦郎」と書いて提出した。しかし座長は芝居出演者を読み上げる際、咄嗟に「渥美清」と言った。後で抗議したが「悦郎は語呂が悪いよ、清にしちゃったんだから、そうしとけ。」そのまま「渥美清」で定着してしまった…と、「暮しの手帖」のインタビューで語っている。(第2世紀第10号、1971年)
私はドラマを見てすぐにこのエピソードを思い出した。「夫とは既に別れましてございます、それに元夫は少納言ではございません」と正直に指摘しつつも、「素敵な呼び名ですので、ぜひそれでお願い申し上げます」と慌ててかしこまるききょうに、定子は「愉快である」と笑顔を見せる。子役時代を含めて、初めて兄・伊周と最愛の夫・一条帝以外の人に心から嬉しそうな表情を見せた。自分の前ではあたりさわりのないことを慇懃に言うくせに、下がると平気で陰口を言い出すこれまでの女房たちにはない魅力を感じ、「この者とならば、お互い遠慮なく話せる。楽しい暮らしにできる。」という手ごたえをつかんだのだろう。
ウイカさんは「君かたり」で、「(定子さまから)『あなたの今までの人生を背負って学んだものとかをすべて持ってきて、宮中で私の力になってね。』って言われたような気がして…」とお話されていて、少し解釈が異なっている。
その見方をすれば、定子が少年一条帝に入内した時のセリフ「お上のお好きなもの、わたしも好きになります」ともつながっているのだろう。母や兄に対しては若干思うところがありそうだが、基本的には相手の人格を丸ごと肯定して、自分の懐に入れる才覚に長けている。少年一条帝を物理的に、自分の衣の中に入れていたし。これで惚れないはずがない。
そこに帝がお出ましになる。平伏しつつも、帝のお姿をちらりと見ようとする清少納言のミーハー根性が”愉快である”。
改めてお互いを見つめる美男美女夫婦の尊いお姿は、ポストカードか何かにしてもらいたい。
ナレーション
「定子のいる登華殿は、帝と若い公卿たちが交流する華やかな場となっていった。」
貴子の狙いはまさにそこにある。露骨な身内びいき人事を行い、実資を憤慨させ、道長に首を傾げさせる道隆政権の”ガス抜き”を行い、「定子さまのところに行けば楽しいし、知性を磨ける」と若い公卿たちの間で評判になれば、小うるさい女房たちを実力で黙らせることもできる。味方になってくれれば、これ以上心強いものはない。淋しがりやどうしのタッグは一転、貴族社会の象徴となった。
”父の呪縛”からの解放
今回の影のテーマは「父にかけられた呪縛からの解放」。
藤原道兼の場合
第14回で道兼は、兼家から当然後継者に指名されると思い込んでいたが
「黙れ。お前のような人殺しに、一族の長が務まると思うのか!下がれ。」
と一喝され、
「この老いぼれが、とっとと死ね!」
と激高して、以来人生そのものを諦めてしまうかのように、酒に溺れた。感情のコントロールが効かずにまひろの母を殺めてしまったことが後々まで効いた形だが、兼家にとってはこの乱暴者をどうしようか思案していたところに穢れを起こしたので、渡りに船とばかり、権力闘争により生じる嫌な面の始末係を任せることにしたのだろう。しかし道兼は、ただひたすら愛情に飢えていて、父に認められる日だけを夢見ていた。行成のように外部の人から見れば「道隆殿に決まったのは順当」なのだろうが。
妻・繁子と娘に去られた道兼は公任宅に転がり込み、そのまま何日も酔いつぶれる。困った公任は友人の道長にSOSを発信。道長は根気よく兄を説得する。
「摂政(道隆)の首はいかほどか。摂政の首が取れたら、魂だってくれてやる。…浄土に行けずとも、この世とおさらばできる!」と、今でいえば”無敵の人”的なことまで言う道兼に、道長は
「私は兄上に、この世で幸せになっていただきとうございます。まだこれからではありませぬか。…兄上は変われます。変わって生き抜いてください。この道長がお支えいたします。…しっかりなされませ、もう父上はおられないのですから。」
と、力強い口調で諭す。道兼が邪険に扱っていた弟こそが、最後の、そして最強の希望となった。政務に復帰した道兼は内大臣となり、やがて見違えるほど麗しい姿を見せる。
道兼が長年とらわれて、自力では如何ともし難かった”父の呪縛”を解いたのは、道長のまごころと、希望を与える姿勢だった。かつて道隆は「我ら三兄弟の影は、同じ方向を向いている」と語っていたが、道長は逆に「光もまた、同じ方向を向いているはず」と考えたのだろう。
源明子の場合
今回は明子女王の姿も嬉しかった。顔つきがすっかり穏やかになり、時に微笑みも見せる。改めて道長の子を身ごもっている。「(男女)どちらでもよい、大事にいたせ。」と優しく気遣う道長と嬉しそうに見つめ合う明子女王の姿に、私もしみじみ涙した。
明子女王もまた、道長の愛情にふれることにより父・源高明と、呪詛するためにわざわざ義父に”なってもらった”兼家の呪縛から解放されたのだろう。以前はどこか見下していた兄・俊賢への態度も今後好転していくだろうか。
道兼のためにも、明子女王のためにも、道長の「まひろスイッチ」が当分ONになりませんように…何なら、彰子入内後の教育係にまひろを指名する時まで会わなくていいから。でも大石先生は何だかんだと会わせるのでしょうね(ため息)。
未だ解き放たれない人
一方、まひろは未だ父・為時の「呪いの言葉」を振り切れていない。
「お前が男子であったらのう。」
物静かで、人を出し抜いたりお追従を言ったりなど全く思いもつかない為時もまた、わが子に”呪い”をかけている。その言葉はまひろの自我を挫くのみならず、「姉上に才を全部取られましたゆえ」と、あっけらかんと開き直る弟・惟規の心までも蝕んできた。
惟規は今どきよくいるタイプの少年風に描かれているが、決して頭が悪い人物ではない。あくまで紫式部との比較において「あの天才ほどには及ばない」人である。
彼は大学寮擬文章生(ぎもんじょうしょう)の難関試験に合格する。為時家にとって久しぶりの明るいニュースである。まひろは母の形見の琵琶を弾いてお祝いするが、手放しで喜ぶ表情ではない。
「不出来だった弟が、この家の頼みの綱となった。男であったらなどと、考えてもむなしいだけ。」
弟が父の呪縛を乗り越え、期待に応えてくれたのだから、私もまた父の呪縛から解き放たれてよい…とは考えないあたりが、まひろのまひろたる所以である。ききょうやさわならば、もっとカラッとしていただろう。
まひろはききょうから「中宮定子さまの女房になることに決まったの」と聞いた時にも「私は一歩も前に進んでいない」とつぶやいているが、単に自分の志を見つけて進むだけでは満足できないように見える。これまでやってきた、小遊三師匠のもとでの代書バイトにせよ、散楽の脚本にせよ、「男であったら」という思いの代償行為だった。自分の人生を肯定するには父に「やはり、女子でよかった」と言ってもらうことが必要なのではなかろうか。そのための越前編、かもしれない。
私事になるが、私は受験勉強で疲れて朝から眠ってしまった時、父親にくるぶしを強く蹴られ
「お前、本当にダメ人間になっちまったな」
と罵られた。以来、父より賜った「ダメ人間」のまこと有難き誉れを生涯大切にしようと心に決め、父が望むことのあえて逆を行くように生きている。父にとっての”ダメ人間”を全うすることこそが、父への恩返しである。
不承知
今回は倫子の父・源雅信の逝去も描かれた。雅信パパは大好きな登場人物。左大臣家が映る場面はいつもほのぼの感が伝わってきただけに、あまりにも惜しい。小麻呂は既に猫生を終えているのか、姿を見せなかったことも残念だった。
雅信は駆け付けた道長の手を握り
「婿どのの出世もこれまでじゃな…不承知と言い続ければよかった。不承知…」
と、うわごとのようにつぶやきながら息を引き取る。
この時点で道隆が早く亡くなるとは誰も予想していなかったので、道隆政権の下で道長を引き立てる後ろ盾がひとつなくなってしまうことを、雅信はまず案じていたのだろう。現に公任は父・頼忠亡き後停滞気味になっている。
さらに、兼家に抜け目なく決められ、自分は全く口出しできなかった道長と倫子の縁談について、改めて自らの見解を述べてからこの世を後にしたいと願ったのだろう。
変人の花山帝にも、世代が異なる一条帝にも娘を入内させる気になれず、娘可愛さでその意向を第一にした。その選択で結果よかったとはいえ、最後くらいは父親らしくふるまわせてほしい、といったところだろうか。道長にも、うちでなくとももっと良い家があったのではないか、皇族由来の血筋とはいえ、現状藤原氏よりも格下扱いの源氏に来てもらって申し訳ないという思いを含ませていたようである。
しかし言葉とは裏腹に、雅信は道長の手を強く握った。妻を、娘を、末永くよろしく頼む、婿どの…。
公式ホームページに掲載されている益岡徹さんの「君かたり」はとても含蓄に富んだお話である。
ちなみに、雅信の子孫は近江佐々木氏や京極氏の祖になったと言われている。源義家、源頼朝、源義経、さらには分家から足利尊氏などそうそうたる武人を出した清和源氏とは別系統になる。
近江佐々木氏といえば1991年放送の「太平記」で人気キャラクターとなった佐々木道誉(高氏)がよく知られている。
ハッハッハッハッといつも高笑いで尊氏はじめ周囲を煙に巻き、派手に花を生ける”ばさら”の判官殿。「そなたが天下を取ったら、わしが次にそれを頂くのじゃ。」と冗談めかして言いながら、今の混沌とした状況を収拾するには清和源氏の流れを汲む尊氏が強いリーダーシップで武家社会を統率していくしかないという信念で、「光る君へ」の道長にもどこか通じる性格の尊氏に天下を取るようけしかけ、終生尊氏と子の義詮を支えていく。宇多源氏は補佐役に秀でた家柄なのかもしれない。
雅信の逝去により、道長の父親世代の三巨頭は全て鬼籍に入り、世代交替が完了した。
石山寺に叱られる
今回の終盤は、まひろとさわの石山寺女子旅。まひろは寺で道綱母に会い、『蜻蛉日記』の作者に会えた!と感激する。「日記を書くことで己の悲しみを救いました」と述懐する道綱母の話を聞いたまひろは、文芸が持つ力に改めて気づき、道長の求愛を頑固にはねつけた自身の態度を省みる。
まひろにとっては実りある旅だったが、さわはそそっかしい道綱に間違いで夜這いをかけられる。これではさわがあまりにもかわいそう。金田哲さんのチャンネルはじめ各所から大ブーイング。SNSの石山寺公式アカウント担当者も
「お寺で何をしているのですか!」
と道綱を叱っていた。
道綱は以前、道長に「妾の立場の辛さ」を思いやるようにアドバイスする良き兄だったが、今回の軽率な行動でそれも台無し。この場面、作る必要があったのだろうか?何かの布石にするつもりだろうか。
ここで道綱を悪者にするくらいならば、この先5~6回、清少納言・定子・一条帝の『枕草子』エピソードをずっと見ていたいが、主役はあくまでまひろだから、あまり期待できないか。少年一条帝と繁子のエピソードも見たかった。
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