「死にたい」のなら既に心は死んでいる
死にたくて死にたくて、でも確実に死ぬ方法を模索しても失敗した人の地獄みたいなレビュー読むと試す気になれなくて。死にたくて仕方ない。誰かに後ろから刺されたら良いな、とか本当にずっと願っている。私の心はとっくの昔に死んでしまっていて、体だけ生きているような状態だと自己分析している。何をしていても楽しいと思わないし、生きていてよかったと最後に思ったのがいつかわからない。もしかしたらそんな事思ったことないのかもしれない。実は去年の今頃も同じような状態で、体調の悪い母方の祖母に健康寿命を譲って自分は死にたいと本気で考えていた。馬鹿みたいに「死にたい」気持ちが溢れていて、もう本当に耐えられない。誰かに助けてほしかった。誰かに救いを求めている時点で自立できていない、不出来な人なのかもしれないけれど。毎日上手く寝付けなくて、3時頃に死にたい気持ちがピークを迎える。今日も歩道橋まで行って、少ない車の往来を眺めてきた。苦しくて死にたくて、でも死ねないからまたきっと明日も同じ気持ちになる。
もっと母親が私のことを姉妹のように愛してくれたら、と思ったことはあるけれどそりゃ期待裏切りまくる私より姉妹のほうが可愛がられて当然だ。全部自分が悪い。わかってる、わかってるけど頑張るには健全なメンタルと健康が必要なのに私にはどちらもない。死にたくて死にたくて毎日泣いていることも知らない母親は、ファッション鬱だと思っているみたいだ。親とは言え他人の視線を気にしてアホじゃないの?と思われるかもしれないけれど、同じ受験生の妹といちいち比べられるチクチク言葉を毎日聞いていたらもうそんなこと言えない。誰かと比べないで自分の人生を生きなさい、とか言うけど誰が一番私と他人を比べてきたの。幼少期、1人で泣いていた自分を一人一人全員抱きしめてあげたい。今の自分にそんな抱擁力もなければ、優れているわけでもないけれど、ずっと孤独だった自分をただただ抱きしめてあげたい。
自分は元々めちゃくちゃストイックな性格だった。少なくとも周りからはそう評価されていた。実際自分にはいつも【めちゃくちゃ厳しい努力家な私】と【傷つきやすくて疲れやすい私】が2人いると思う。数年前までは、【めちゃくちゃ厳しい努力家な私】が【傷つきやすくて疲れやすい私】を宥めすかしてがむしゃらに努力していた。でも、今は常に【傷つきやすくて疲れやすい私】が馬鹿でかい声で主張してくる。厄介なのが、少しメンタルが調子いい時に【めちゃくちゃ厳しい努力家な私】が鬱状態である自分を軽く見てしまうことだ。どれだけ辛いかは自分しか知らないからこそ、勝手に他人からの視点考えてしまって軽んじやすい。鬱状態の自分を、自分が大切にしてあげられないせいであとから更に落ち込んでもう何もできなくなる。体が鉛のように重たい。大抵この状態になると所謂セルフネグレクトになる。ご飯も全く食べれないし、お風呂にも入れない。外にも出れない。泣く気力も涙もなく、ただひたすらに馬鹿みたいに自分を責めまくる。
鬱なときほど色々な事を考えて死ねない。だから躁状態の時に死にたい。
心の状態を可視化できたら良いのに。そうしたら私も何が必要か把握して前進できるのに。
姉の頼みなら何でも聞く母親、妹が部屋に入ってくるなり猫なで声を出す両親。書きながらめちゃくちゃ涙が出てくる。全部自分が悪い。わかってる、わかってるけどその時の私はそうするしか無かった。そこまでの思考しか出来ない頭だったから。全部自分が悪い。でもどうしても10科目準備して親を継ぐために努力していて、壊れてしまったけど頑張っていた自分がすごく可哀想で。可哀想というか、なんというか。ラストティーン、去年より鬱がひどくなっただけの何の進歩もなく輝かしくもないクソみたいな1年だった。これだけ苦しんでいるのに、まだ【めちゃくちゃ厳しい努力家な私】がネチネチと責めてくる。去年の今頃、オンラインカウンセリングを受けた。自殺したいと素直に話したら「親御さんが悲しみますよ、私だったら悲しみます」といわれて言葉を失った。ええ悲しむのかな?悲しみそうにないけど。『失敗作』呪言から復活するには自分の努力が必要なのに何やっているんだ私は。ごめんね、親みたいに優秀じゃなくて。いつまでたっても親の評価を気にしてしまう時点で、自分が成熟していないことがよくわかる。全部自分が悪い。でもなんかもう死にたくて死にたくて。苦しくてもう何も考えたくなくて、誰か私を楽にしてください。