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居場所がないと感じるあなたへ

「居場所がない」と思い続けている。いろんな語弊を孕んでいることを甘んじて、この言葉を使いたい。「僕には居場所がなかった」

教室には馴染めなかった。大学でもどこか浮いていた。バイトもみんなとの間に薄い膜があるような気がした。会社でも周りの人が怖かった。「自分は何か違う。人の中に居られない」そう信じてやまなかった。

家族もいる、友達もいる、恋人もいる。居場所はちゃんとある。すべて国民は健康で文化的な生活を送る権利を持つ。居場所はある。

でも、自分には居場所はなかった。何かした見返りに認めてもらって、その瞬間にだけ自分の存在意義を認められた。感謝、賞讃、承認を求めていた。

もし同じような人がいるなら。生きにくいと感じている人が、僕と同じようにいるならば、それは居場所を巡る葛藤なのだと思う。

「いる」が難しい時代になったらしい。「する」の価値が、「いる」の価値を破壊していく。

あなたがそこにいる、僕はここにいる、人が生きているということは、人がそこに「いる」ということだ。「する」と「いる」の価値は別で、あなたがそこに「いる」ということには価値がある。

切実に虚しく、悲しく、美しく咲くあなたの居場所を見つけられますように。あわよくばいつか未来で、僕があなたの居場所をつくれますように。

おめでとう、今日までたどり着いたんだよ
辛いことの方がよくあるけれど
ありがとう、理由は何もないんだよ
あなたという人がいることでいいんだよ
『誕生日』熊木杏里

居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく) 

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