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【ブックレビュー】『史上最強の哲学入門』『同〜東洋の哲人たち』飲茶著(河出書房新社) (前)
こんにちは、暮もすっかり押し迫ってきましたね。テレビ等で「今年は9連休…!」と騒いでいますが、わが家は至って静かです。
ただ一つ《寒〜い洗車作業》だけが立ちはだかっていましたが、晦日に足腰を痛めながらも終わらせました…w。
《西洋哲学vs.東洋哲学(?)》
ここ最近、ずっと仏教関係の本を読んできて「いよいよ原始仏教(釈迦が始めた頃の本当の教え(=哲学)へ挑戦します」と言い続けて来たのだが、そもそも西洋哲学の方が、大学生時代に齧った程度で、古代〜近代(デカルト)ぐらいで止まってしまっていたので、“哲学”を学ぶなら通史的に理解していかなくてはと思い、たまたまこの本を見つけ、東洋哲学版も有ったので、それと併せて一気にお浚いしてしまえ〜!と一気に駆け抜けるよう(な気持ちで)じーっくりと読んだ。
《原始仏教≠大乗仏教?》
日本の仏教、いわゆる大乗仏教は(発祥はインドであるものの)中国で大きく花開いたもので、大元の釈迦が考えていた頃の教え(原始仏教,法句経と呼ばれるモノ)は、日本の場合、《大乗仏教の後から》入ってきた為、『日本で更に分派した“仏教”は、元々釈迦が考えた教えと大きく乖離しているのではないか?(ハッキリ言うと別物?)』と云う、恐ろしく大きな疑問と云うより不安が有ったのだ。
その点について、この著者は先ず「釈迦の考えた事は、仏教という“宗教”ではなく、大元はインドの古代哲学の極致の“悟り”であり、それは難解過ぎて釈迦自身が説法する限りにおいては何とか通用したが、伝言ゲームを繰り返せばたちまち解釈が変わってしまう様に、没後何百年も経ち、このままでは《真の悟りの境地》が正しく後世へ伝わっていかないと危惧した当時の賢人(信者)が、誰にでも分かり易い《教え方》として大乗仏教を“創作してくれた”お陰で、各種お経を正しく読めば、釈迦の哲学と明快に繋がっている」と、前提条件として提示する。
つまり口伝ばかりで確たる書物を残さなかった釈迦の教え(哲学)が、長い時間を経つ内に風化し掛かった為に、それを憂いた智慧者が(中国へ向かう前に)大乗仏教を作り上げたのだ、と。
こうして、難解な釈迦の哲学を中国で理解させる為に《悟りへの方法論》の装いを変え、そして日本へ伝わった…。そして又、禅宗も日本で更に深化し花開いた。しかし、釈迦の「悟り」へのアプローチ方法こそ“全く異なる”ものの、大乗仏教と目指しているところは同じだと論理を展開する部分には、感動すら覚えた。
その前に西洋哲学の方も、近代〜現代哲学の難解過ぎて音を上げていた所も、通史的且つポイントを抑えてスッキリ(?)とお浚いしてくれ、西洋と東洋の哲学における方向性の違いも明確に教えてくれた。
(続)