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【ブックレビュー】『史上最強の哲学入門』『同〜東洋の哲人たち』飲茶著(河出書房新社) (後)
《西洋哲学と東洋哲学の“構造の違い”》
『絶対の真理』へ向かって、“無知な”人間達が頑張って少しずつ論を重ね到達し、後の世の人はその前者の論理を破壊して「更なる高い論理を構築していく」、そして又後の世の人が前者の論理を破壊して…と階段状に「真理へ近付こう!」と云うのが『西洋哲学の歴史』である、と。
しかし東洋哲学は、最初の一人(開祖)が『私は真理に到達した!』と先に宣言してしまい、その解釈を後の世の人達(弟子や信者)が色々な論法で民へ(=下へ)拡げていくと云う『ピラミッド構造』であり、釈迦やその後に現れた諸々の大乗仏教諸派の開祖毎に、沢山のピラミッドが在る、という事だった。
《西洋哲学と東洋哲学は“繋がる”?》
この考え方は、シンプルでいて非常に論理的であり、更に『真理=悟り』と考えるなら、西洋哲学と東洋哲学の≪2つの巨大な山の頂≫が同じ一つであり、その答えがいつの日か出てくるのではないかと云う、物凄く遠い射程まで見据えており、現代の哲学者や仏教者が今後も考察,検証,探究を続けていけば、勿論数年〜数十年単位では無いにしろ、『そんな日がいつか来るかもしれない!』と本気で思ってしまう程、昂揚した読後感で読み終えた。
こういう言い方をするとややこしく成ってしまうが、『哲学』は確かに難解だが、決して真理への探求を諦めた学問ではない。「仏教」も意味も分からないお経を読むだけの、決して人を遠ざける宗教ではない。であるならば、専門家(学者,研究者,僧侶(?))達に限らず、私たちの様な素人でもこうした解釈で学んでいけば、遥か彼方に存在する「何か」に手が届く日が来るかもしれないのだ。
《新年に楽しい知的興奮を…》
年の暮れに、こんな子供の夢想的な感想で本を読み終えたのも《何かの御縁》なのかもしれないと自分自身感じたし、年明けも「更なる学びを進めよう!」と、(鬱病持ちでも)前向きな気持ちにしてくれた本書には感謝の念しかない。
新しい刊行の本でもないので、既読の方も多いと思うが、未だの方は騙されたと思って、是非御一読をお薦めしたい。
(終)