雪助
芸術とは、イマジネーションのコミュニケーションである。 日本画家 千住 博の言葉です。 言葉、色彩、造形、音楽。 私は様々な方法を用いて、自分のメッセージを他者に伝え態度考えています。 ここでは、それらについて考えたことを言語化して記事にしています。
齢19になるまで内に篭り孤独に生きてきた大学生♂ですが、最近は興味の対象が自分の内面より外の世界へと向き始め、友達も沢山できております。 その中で、私がリアルな繋がりの中で得た気づきや考えを言語化して記事にして行きます。
その時々考えていることです。 基本、その時リアルであった体験や本や人から影響を受けて考えたことを言語化して記事にしています。
私の学生生活も、残すところあと半年となりました。 理論的知識と具体的実践、その両輪を大切にしつつ、現実の問題解決に役立ちそうな領域を勉強していきます。
自分は3年ほど前から、スマホのメモ帳に、自分に関する色々なことを書き込んでいる。 その結果、この3年間で蓄積された文章は膨大な量となった。 日記、自己分析、本の要約、世界設定、アイディアメモ… ありとあらゆる「自分の思考」が、このメモ帳に集約されて、自分の過去の足跡を今に伝えてくれる。 今では、自分にとってメモ帳は、心の拠り所であり、自分自身であり、原点だ。 メモ帳を開けば、過去の自分の苦悩や感情、思考、アイディアが全て記録されている。 私は、バイト先でやら
今日は、実家の帰省から帰る日だ。 (投稿日は9/21となっているが、実際は一ヶ月前に書いた日記を後から再構成しているため、執筆日が前後している。) とはいえ、地元で会う人などおらず、なにもせず家で孤独に親と過ごす日々を送った。 寂しさと絶望に押しつぶされ、ひたすら辛かった。 母校の周辺に、ふと立ち寄った。 そこにはもう、何も残っていなかった。 残っているのは、2年前の記憶だけ。 毎日通った通学路 やたら長い赤信号 帰り道いつも眺めた喫茶店。 いつも車道の向かいから眺めていた同
なぜ「美とは何か」という馬鹿馬鹿しい問に対して、哲学者達は必死に考えてきたのだろうか。 いや本当に。 「美とは何か」という問いの立て方が先ず間違ってんだよね。 「美」という概念が日々の生活の中で歴史的文化的に、どのような利用のされ方をしてきたのか、ということを考えることの方が、よっぽど有意義だ。 美学を勉強すると、いつもそんな気になる。 というか、哲学全般そんな感じだ。 結局のところ、主観的な持論をさも絶対的な真理であるかのようにして皆の共通了解にしたがる、そん
これを今、自分が書いているのは、午前4時のこと。 家に友人に招き入れた夜のことだ。 友人達とお泊まり会を開くことにした。 しかし、眠れない。 いつもの如く、思考がフル回転する。 最近いろんな事がありすぎて、自分を取り巻く状況や経験が一変して、新たな思考が次々湧き出てくる。 ダメだ、考えを言語化しなければ、このモヤモヤは収まらない。 いつもなら、サッとスマホを取りだしてメモる所だが、周りには友人達が寝ている。 1人になりたい。 そう思った。 そこで自分は、
気分が沈んだり、嫌なことがあったりした時には、深夜に近所のラーメン屋に来て唐揚げ定食を注文する。 そんな時には、大概変な時間に寝てしまったり、逆に寝付けなかったりするから。 スマホを触ってしまうので、昔のように待ち時間の間、今か今かとラーメンが届くのをワクワクすることは出来なくなったけれど、それでも、たまの深夜ラーメンというのは悪くない。 ごくたまに、家から2時間ほど自転車を走らせた、20km先にあるラーメン屋台へ行ったりもするけど、逆に孤独感が激しく増幅して、精神的
noteを初めて1年。 過去の記事のイイネ数をざっと眺めてみると、面白いことが分かった。 入念に推敲して1週間くらい書けて書いた記事よりも、ただ独り言を垂れ流しているだけの、雑に書いた記事の方がよく読まれ、高評価を受けているのだ。 それは何故なのか考えてみた。 答えは多分シンプルだ。 自分の実体験を言語化をしているから、内容がリアルかつ濃く、人の同感を得やすいのだと思う。 自分自身の心の深いところを言語化して書き留めた記事は、すごく読まれている。 やっぱり
大学に入学したばかりの時の僕は、物事を軽く考すぎていた。 「人生楽しんだもん勝ちだ!」 「幸せに生きればそれでいいんだ!」 「努力次第で何者にだってなれる!」と。 自分の内側にばかり目を向けて、「今この瞬間に集中して、幸せを感じることが出来ていればそれてok」という、内的な思考や感覚を中心に物事を考えていた。 結果、思考と現実との間のギャップのせいで状況が悪化し、病んだ。 2回生になってからの僕は、もっと周りに目を向けなければ、真面目に考えなきゃ、幸せならそれで
僕は幼稚だ。 あまりに幼稚だ。 高校生になっても、小学生のように周りに振舞い、親に甘え、全く自立しようもしなかった。 そして気づけば、小学生レベルの精神年齢から抜け出せないまま、大学生になってしまった。 周りの大人や同級生から沢山心配をされながら、この歳になってしまった。 最近、自分は「もっと精神的に大人にならなくちゃ、もっと深く考えなきゃ、そうしなきゃ、友達が作れない…」ということばかり考えている。 大人ってのは、自分のことだけじゃなくて周りにいる人やコ
高校生の時の僕は、とにかくメンタルが虚弱で、不安と焦燥に呑まれていた。 せっかく向こうからフレンドリーに話しかけてもらっても、自分の方から遠ざけてしまっていた。 周りに対する劣等感があったし、皆は自分より遥か先に進んでいて、自分は周りから取り残されているんだ…というふうに感じていたから。 そして、周りの人との間に心の壁を作ってしまった。 相手のことをもっとよく知ろう、分かろう、寄り添おう、気遣おうという気持ちよりも、自分がどう思われているか、自分がどう話したら良いか
暑いなあ。 最近、精神機能がバグって、全身の感覚や感情が異常に鈍感になっていたせいで、あまり、寒いとか暑いとかそういう感覚を感じることがなかった。 だがしかし、暑い。 暑さをこんなにもきちんと感じられる。 晴らしいことだ。 生きてるって感じがする。 作品の提出日が近いというのに、風景画がなかなか進まない。もうずっと、休憩所の日陰でnoteの文章を読み漁っている。 楽しい。 つい最近まで、目に映る世界全てが、無機質で、資料館の出口付近で延々ループ再生されている
僕は昔っから精神を病みがちだ。 いくつになっても友人が出来ず、家に引きこもり、孤独になり、じわじわと精神を病んでいく。 僕はこのしんどい現状を打開し、充実した日々を送れるようになることを、ずっと、目標にし続けてきた。 1年、2年、3年、と。 高校2年の時に決意してから、もう3年が経つ。 大学生のうちにはもう間に合わないかもしれないけど、いつかは、この夢を叶えたいと思っている。 そのためには、まず何が必要か。 僕は考えた。 結論。 目標がどれだけ達成されてい
一人暮らしを初めてはや1年。 僕は順調に精神を病んでいき、今では軽いうつ状態になっている。 学校では友達が出来ず、バイトもほぼ行かないので金がなく、家ではやることが無いので、YouTubeやアニメを見たり、気が向いたら掃除をしたりしている。 生活もボロボロだ。 まるで文化的でない。 学校をサボって家に引きこもり、ご飯は適当にカップ麺やら菓子パンやらを食べ… 運動不足、昼夜逆転…実家にいた時とは売って代わり、人間的で文化的な生活とは程遠い、無機質で生きる喜びのない
自分の呼び方を「僕」に変えたい。 何故か。 そっちの方が、僕自身のキャラを上手く表現出来るような気がするからだ。 (関西弁だと相手のことを「自分」と言ったりするのでややこしいという理由もある) 以前、noteでやたら堅苦しい、論文調みたいな文章を書いたことがあります。 その時思ったんです。 あ、この文章「自分の言葉」じゃない、と。 自分で書いているはずなのに、自分の発した言葉のように感じられない。 何故か。 言葉の調子が、自分らしくないからだ。 最近
僕は最近、「科学と芸術の関係性」について考えている。 と、いうのは、僕自身、芸大で作品制作に励む中、つい空想の世界や抽象的な思考に固執してしまい、実世界における正常で日常的なものの見方を失い、半ば精神病的な認知の状態(空想世界は現実世界の上位存在である!他者は存在しないのではないか!世界は単一の球なのではないか!と異常なことを考えてしまう)に沈み込んでしまうことが多いからです(これは単に人とのコミュニケーションが不足=(友達がいない)しているという理由もある)。 僕は「
私は、何者なのだろう。 世界って何なのだろう。 現実って何なのだろう。 世界ってそんな面白いものなのだろうか。 命って、そんなすがりたいものなのか。 最近はおかしい。 起きて、寝て、食べて、絵を描き、食べて、寝て。 何も考えず、ただ呆然と、毎日繰り返される時の流れを眺めているだけ。 なんか、生きてるって感覚がないな。 身をふるわせるような興奮とか、喜びとか、感動とかが無い。 かといって、心安らぐような、穏やかな癒しがある訳でもない。 ただ、うっすらとし
なんか、全然知らん奴らが学校に大量発生したんだが。 軽度人見知りの自分からしてみれば、校舎内に見慣れない顔があるというのは、それだけで私を不安にさせる。 なぜこのような事態になったのだろうか。 無論、答えはわかりきっている。 忌まわしき「入学式」なるイベントである。 その日を境に、私たちの学び舎は変わってしまった。 奴らによって、構内は蹂躙され、我が物顔で居座っているのだ。 新入生の顔を見るだけで動悸が止まらなくなる。 せっかく見慣れた学校の景色が、また魔界