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23. 11年間の笑いと涙〜ノートが映し出す青春の軌跡〜

私のnoteでは、過去の芸人時代の体験をもとに感じたことを物語として綴っています。本日のテーマは、「想像していなかった未来」です。どうぞ最後までお付き合いください。

青春のネタ帳  

25冊のネタ帳が静かに積まれている。それは漫才やコントのネタを書き留めた、僕の青春の証だ。初めてペンを走らせたのは2000年の2月。その瞬間から、僕の11年間が始まった。今となっては芸人を辞めてしまったが、これらのノートはただの紙屑ではない。僕にとって、かけがえのない宝物なのだ。


ページをめくるたびに、ところどころ少しだけ湿った跡がある。きっと賞レースの予選で落とされ、悔しさに涙した跡だろう。(あるいは、よだれの可能性も否定できないが)


当時、僕はノートをネタで埋め尽くすことで、未来が輝かしくなると信じていた。その中には、夢を追い続ける自分の姿がはっきりと映し出されている。だからこそ、僕はこのネタ帳を手放すことができないのだ。

子供の頃の夢

僕の頭の中には、子供の頃から楽しいことが常に溢れていた。動物や魚、昆虫が大好きで、図書館に足を運ぶたびにシートン動物記やファーブル昆虫記に夢中になる小学生だった。図鑑を手に取り、スケッチブックに動物たちを描くことが、まるで自分の世界を作るような楽しさだった。

夏休みには雑木林へクワガタを捕りに行き、川で魚やエビを追いかけた。犬も大好きで、いつかライオンやオオカミのような迫力のある動物たちと一緒に暮らすことを夢見ていた。あの当時、テレビで人気を博していたムツゴロウさんのような生活が、心の中で膨らんでいった。


当時子供なら皆が大好きだったドラゴンボールももれなく夢中になった。スーパーサイヤ人になる事を夢見たし、人造人間18号と結婚出来るとも思っていた。

小学校の高学年になり、僕の関心はサッカーに移った。初めて生で観戦した試合は、千葉の柏スタジアムで行われた柏レイソル対ベルマーレ平塚の一戦だった。サッカー専用のスタジアムは、ピッチとの距離が近く、選手同士がぶつかる音やボールを蹴る音が肌で感じられた。その臨場感に心が躍り、選手たちのかっこよさに憧れを抱いた。将来は、サッカー選手になりたいと心に決めた。その後、中学の3年間はサッカーボールが友達になり、Jリーグに夢中になった。

新しい景色

高校に進学した僕は、途中でサッカーを辞める決断をした。自分のレベルと夢のハードルの高さのギャップに気づいてしまったのだ。初めての挫折だった。子供の頃から持ち続けていた夢が、まるで砂の城のように崩れ去ってしまった。どう生きればいいのか、人生の指針を見失った。こんなことは初めてだった。

そんな時、運命の出会いが訪れた。それは「お笑い」だった。夜な夜なテレビの前に座り、ネタ番組に没頭した。笑いに包まれる瞬間が、どこか心の隙間を埋めてくれるように感じた。「面白いって、かっこいい」と思ったのだ。僕も誰かを笑わせてみたい、そんな衝動が胸の奥から湧き上がってきた。

一度スイッチが入ると止まらないのが、僕の性格だった。すぐさまネタ作りに挑戦した。しかし、どうやって作ればいいのかはわからなかった。

そこで、僕は好きなネタ番組を録画し、何度も何度も観ては芸人さんのネタを紙に書き起こした。ビデオテープも擦り切れるまで観ては彼らの言葉や間を脳裏に焼き付けた。

その瞬間、僕は新たな夢を見つけた。笑いという新しい舞台で、自分を表現すること。それは、僕にとっての再生の道だった。

刻まれた瞬間たち

お笑いの道が本格的に始まったと感じたのは、2006年、初めて事務所に所属したときだった。キーストンプロというインディーズの事務所だった。舞台に立つ機会が多く、豊富な経験を積むことができた。舞台で漫才をする時間は、夢が叶ったような感覚で、何もかもが楽しかった。その後、東京NSCを経て吉本興業に入った。

テレビで見る芸人たちの姿はすぐ隣にあった。自分の横を通り抜け、どんどん売れていく人たちがいた。一方で、期待されながらも伸び悩み、辞めていく人たちもたくさん見た。

舞台では胸が締め付けられるように緊張したが、心を解き放つ瞬間はほかでは味わえないものだった。舞台に立ち漫才ができることが幸せだった。少しずつ結果も出始め、夢に手が届くと思っていた。

しかし、突然その時が訪れた。相方から解散を告げられたのだ。頭が真っ白になった。なんとか新しい相方を探そうとしたが、理想の相性の人には出会えなかった。


その矢先に、東日本大震災が発生した。生まれ故郷の宮城県が被災し、祖父母の家は津波に流された。家を失った祖母は栃木県の僕の実家に避難してきた。考える間もなく、僕は芸人を引退する決意を固めた。

引退して13年が経った。人生で最も長く夢見た景色には、辿り着けなかった。想像していた未来とは違うかもしれない。それでも、夢を追いかける中で、僕はかけがえのないものを手に入れることができた。

舞台の上で、お客さんが笑ってくれた瞬間は、一生涯忘れないだろう。あの歓声、あの笑顔、すべてが僕の心に刻まれている。全国各地に友達ができたことも、今となっては宝物のように思える。彼らとの思い出は、どれも色鮮やかだ。

そして、努力の仕方も覚えた。辛い時期には、自分を奮い立たせるために何度も立ち上がった。

残念ながら、舞台で人を笑わせることはなくなったが、今でも誰かを喜ばせるために、仕事をしている。たとえそれが違う形であっても、心のどこかで、あの頃の情熱を抱きしめながら。人を笑顔にすることは、僕の中で生き続けているのだ。

あの頃の夢と情熱は、今でも僕の中で生き続けている。生き物との触れ合いや、サッカーの試合の興奮だって僕の人生の大切な一部だ。それらの経験が、今の自分を形作る土台となっている。

ライオンやオオカミは飼っていないが、ライオンのような色の犬と暮らしている。

たくさんの水槽には、さまざまな魚が泳いでいる。

アクアリウムだけでなくコケテラリウムの世界にも魅了された。

季節ごとに収穫できる家庭菜園の野菜たちは、家族の食卓を彩ってくれている。


これらの幸せな日々の中で、過去の自分が紡いできた物語は、今も僕の心の中で生き続けている。そして、あの頃の夢を追いかけた自分を、誇りに思うのだ。そのすべてを胸に刻みながら、僕は希望を込めてページを閉じる。



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