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雑感記録(16)

本日でいよいよ連休も最終日。明日から通常運転に戻らねばなりません。

それは誰しもが同じで、休み後の出勤ほど最悪なものはないでしょう。何なら僕も最悪な気分で、「このまま永遠に休みが続けばいいのに」と思ってしまいます。​

以前の記事でエリック・ホッファーについて少し触れました。「成熟するには閑暇が必要なのだ。」とのフレーズ。これを考えてみると、もっと休みが欲しいなと思っています。というかみんな働きすぎ。普通に週休3日制とかうちの会社でも導入してくれないかな…。なんてね。


昨日投稿した記事でこの間行ったリヒター展について書かせていただいたのですが、その最終部に「鑑賞者側の素養も必要」とか何とか偉そうに書いてみたりした訳です。さらに読書にもそれが通じるとも書きました。

そこで今回は美術作品という観点から離れて、読書行為に於ける読み手の素養というものについて少しばかし殴り書きしてみたいと思います。


【能動的読書と受動的読書】

とこれまた仰々しくタイトル何ぞつけてみたりしました。

これを感じるようになったのは昨年のことでした。その時は彼女と別れてから間もない頃で、所謂マッチングアプリなるものを始めた時期でした。まあ、趣味友が出来たらいいなぐらいの感覚で始めていました。……こうして文面にすると恥ずかしいですね…。

ある日、自称「本好き」という方とマッチングしたので、試しにトークしてみたんですよね。確かに本好きということもあって、ひたすら本の話をしていたんですね。

トーク重ねていくうちに、お互いにオススメの本を紹介しましょう的な流れになりまして、好きな本を紹介した訳ですよね。

まあ、こんなような本を僕は紹介した訳ですよね。別になんだろうな、マウント取りたいとか、「俺凄いんだぜ」アピールをしたい訳では全くなくて、純粋に好きな作品を紹介した訳ですよね。

「本好き」を公言しているから、このぐらいは良いだろうと思ったんですけど……

「え……あ……へぇ~…(;・∀・)」

みたいな反応だった訳ですよ。すっごい微妙な反応。それはそうですよね。いきなり柄谷行人とかバルトとかぶっ込まれたらそりゃそんな反応にもなる訳です。まあ、僕だったらむしろウェルカムぐらいな感覚なんですけども…。

それで僕も相手の好きな本を紹介してもらった訳です。

恩田陸の『麦の海に沈む果実』を紹介してもらったんですね。それで色々と話を聞くうちに、どうやらミステリーがお好きだということだったんですよね。

さらにお相手の方は夢野久作も好きだという話をされたんですよね。しきりに「夢野久作のミステリーも堪らなくいいんですよ」みたいなことを言われました。

そこまで言われるとこちらとしても気になる。この流れで夢野久作を出してくるぐらいだから、きっとこの恩田陸の作品もそれっぽさがあるのではないかと思いました。

試しに読んでみようと思って休日にBOOK・OFFへ脚を運んで、買って早速読んでみることにしました。


1、受動的読書

一通り読んでみたのですが、まあなんと言えばいいのでしょうか…

「徹頭徹尾、説明的な文章」

これが妥当な表現なのではないかなあと思いました。

ある程度の読書経験を積んでいる方であれば分かると思うのですが、読んでいる途中で先の展開が予想できる作品ってしばしばあったりしませんか?

僕は正しく、この作品を読んで展開が見え見えでハラハラドキドキ感もなくて、もはや無でしたね。

説明的な文章ということについて少し適当に開いたページから引用して考えてみようと思います。


朝、眼を覚ますと、憂理がジョギングから帰ったところだった。
窓の外は、見事に晴れている。
「うわあ、初めて見たわ、湿原が晴れてるところ」
「久しぶりよね。青空拝んだのは」
タオルで顔を拭きながら、理瀬が張りついている窓を憂理もひょいと覗きこんだ。
あれだけ陰鬱だった湿原の印象が全く変わって見えた。生き生きと活気づいて、明るい薄緑色に萌え始めている。伸びやかな風が、からっと晴れた空を溌剌と吹き渡っているのが分かる。

恩田陸『麦の海に沈む果実』(講談社文庫2004年)P.224


「あれだけ陰鬱だった湿原の印象が全く変わって見えた。」
この箇所が僕の中でどうも気になって気になって仕方がない。

前の文脈で既に湿原をお互いが見ているということは判明している訳ですよね。「湿原が晴れている所を初めて見た」→「青空拝んだのは久々」というこの一連の会話の通り。

もっと言ってしまえば、今この瞬間に眼にしている湿原は通常時の湿原とは異なるという状況は容易に想像が出来ます。会話で既にそれが示されているんですよ。だって「久々」って言ってるんですもの。

ところが、会話終了時の地の文で「あれだけ陰鬱だった湿原の印象が全く変わって見えた。」と一文を加えている。これかなりくどいなあと思ったんです。


ここで重要なのは、読者による想像力の排除という点にあります。説明的な文章が多いばかりに発生する、想像力の余地の欠落という問題です。

会話の文章である通り、「青空を初めて見た」→「青空拝んだの久々」というものを読んだとき、読者としてパッと想像がつきますよね。「ああ、じゃあこの湿原って暗かったんだな」とか「凄いジメジメして暗かったのかな」とか色々想像の余地がある訳ですよね。もしかしたら、前の章で湿原に関する描写(と言える程のものではないのだろうが…)が所々でなされていたかもしれない。

しかし、最後の最後でご丁寧に説明されてる。何なら「こういう風な印象だからね!」とある意味で念押しされているような感覚になってしまう訳ですよね。答えがそこに既に示されている。

つまり、これって作者による読者の想像力をコントロールしてる訳ですよね。「こういう風に読めよ!」って言われているみたい。

僕らが想像力を働かして読みたいのにそれを遮られてしまう。簡単に言えば、僕らの能動的読書が排除されている訳です。逆を返せば「こういう風に読めよ!」っていうように指南されていることで、僕らは考えることなしに作品を読める訳です。つまりこれが受動的読書。

簡単にここまで纏めてみましたけど、『麦の海に沈む果実』にはこういった文章が多かったです。読んでいて自身の思考が妨げられているような気持ちになってしまいました。


2、能動的読書

もう1つ気になるポイントとして、このトークしていたお相手は夢野久作とこの作品のミステリーを類似していると認識している所です。

僕からすれば「え?」という感じなのですが、人には人それぞれの考え方がありますから、どんなところなのかなと思って夢野久作も少しばかし読んでみた訳ですね。

その方は『少女地獄』をオススメしてきたので、『少女地獄』で考えてみたいと思います。


彼女は決して美人という顔立ではなかった。眼鼻立はドチラかと言えば十人並程度で、色も相当に白かったが、背丈が普通よりも低く五尺チョットぐらいであったろう。同時にその丸い顔の中心に当る小鼻が如何にも低くて、眼と鼻の間の遠い感じをあらわしていたが、それだけに彼女が人の好い、無邪気な性格に見えていた事は争われない。
私はそうした彼女の顔立をタッタ一目見た瞬間に、彼女の小鼻に隆鼻術をやって見たくなったのであった。これくらいのパラフィンをあそこに注射すれば、これくらいの鼻になる。彼女の小鼻は鼻骨と密着していない、きわめて手術のし易いタチの小鼻であると思った。こうした一種の職業意識から来た愚かな魅惑が、彼女を雇い入れる決心をした私の心理の底に動いていた事も否定出来ない事実であった。

夢野久作『少女地獄』(角川文庫1976年)P.21


これは『少女地獄』の最初の方のところですね。単純に説明的な文章を引用してみたんですが、これ読むだけでも骨が折れるというか…。

まあ、正直なところ比較するのも烏滸がましいというか、凄く夢野久作に対して気が引けるんだけれども…考えてみますか。

上記の引用は読んでもらえば分かる通り、説明的な文章です。女性の風貌を見て、医者である私は「いやあ、整形したいな…」というようなことが説明的に書かれている訳です。

この説明的な文章に於いて重要なのは、想像力の余地が大いにあるということです。

この文章は非常に説明的な文章で、最初の段落で彼女に対する容姿および性格について書かれています。ここで非常に重要なのは先の『麦の海に沈む果実』とは異なり、繰り返しの説明がない訳です。「つまりこういう容姿で性格だよね」っていうような念押しがないんですよね。

読者によってある程度、彼女の容姿および性格について想像される訳ですよね。外骨格はその文章の説明通りになるけれども、その彼女は読者によって千差万別であり、どれも正解である訳ですよね。誰にも否定することはできない。

僕らが積極的に想像力を働かしていくことで、初めてその彼女像が立ち現れる訳ですよね。つまり、僕らの手に読みが委ねられている。

念押しがないことで、作者による想像力の軌道修正がない分、ある意味で難しい読書になりますよね。だって、自分自身で積極的に考えていかないと作品世界自体が崩壊していくからです。

この能動的読書。これが僕は重要であると考えています。

夢野久作に関してはちょっと駆け足で書きましたが、まあこんな感じです。


とまあこんな感じでになった訳なんです。
ここからはこのお相手とのことの顛末を記しておしまいにします。

一応、オススメされたから読んでみて感想を伝えました。上記内容をやんわりとお伝えしたんですよね。

「え……あ……へぇ~…(;・∀・)」「なんかすごいですね…」

とまた同じような返事。なんか一生懸命考えて話した自分が阿保らしくなってしまいました。

まあ、それはそれでいいんですけど、結局メッセージ続かなくて自然消滅してしまったというような結末です。

この経験から学んだことは1つ。
「趣味は全力で語れない」ということに尽きます。

よしなに。

『エマ』最高すぎる…



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