INFPが、社会不適合といわれる理由と厳しい現実
『INFPは、社会不適合者だ。』『INFPは、屑だ。』などと、酷く言われてきている。
INFPの、繊細さやマイペースさ、奇抜さや集団が嫌いな部分が、日本社会の歯車と噛み合わないようだ。
社会で求められる性格、特性が、アグレッシブさ、積極性、協調性、コミニケーション能力、社交性、明るい、ポジティブ、誰とでも円滑に雑談が出来る、解放的、臨機応変さ、堅実性、実務的、柔軟な思考、チームワーク、行動力、実行力、フットワークの軽さ、自己主張が出来る…などである。
これらは、あまりにもINFPの特性とは剥離してしまっている。
INFPの繊細さや感受性、独創性、創造力は、社会ではほとんど求められる機会がない。
それゆえに、大半の無才なINFPは、ストレス抱えながら擬態してやって生活していると思う。
故に、INFPは社会不適合者と言われてしまう、悲しい現実があるのだと思う。
では、INFPの特性を活かせるものは、なんなのだろう?
それは、創作なのだ。
もしかしたら、創作しかないのかも知れない。
芥川龍之介や太宰治も、INFPだったと言われている。彼らの小説は、INFPの豊かな感受性と独特な思想や世界観が強く発揮されている。
創作は、INFPと相性は良いと思う。
INFPの強い感受性や独創性を活かせるのが、創作だと思う。
内面世界をそのまま形にし、創造力を発揮する。
人とコミニケーションとる必要はないし、黙々と、一人で作業に没頭する。
だが、創作は難しい。
抜きん出た光る何かが、必要になる。
その上、自分の感覚をそのまま落とし込んではいけない。
売れるには、多くの人に受け入れられるような作品を考えないといけない。
読み手がどう感じるのか、想像して書いていくのは難しい。しかも、マルチタスクが求められる。
『これは、私からしたら面白いが、他者から見たらどう感じるのだろう?』
『これは、自己満足になってやしないか?』
などと、流行りを抑えて考えながら書いていかないといけない。
しかも、創作で生活できるのは、ほんの極ひと握りだ。
多くの才能達を、蹴落としていかねばならない。
INFPは、組織に適合していくのがキツい。
縛られるのも、苦痛に感じてしまうのだ。