「あっ!記事が上がっている!読みたいな」と思うnoteとは。
閲覧ありがとうございます。
今日は、ずっとずっと前ですが、「読みたい基準みたいなのはありますか?」と、コメント欄で、いただいた、お言葉について、、そんで、地道に考えたことについて、書いておこうと思います。
えっと、わたしは、二年目になりますが、
感想と、自分方式を書いておきますと、
フォロワー、スキが欲しい方は、自分の時間を精一杯、使い、いろいろな分野の、いろいろな皆さんの
noteを読み、自分からフォロー、スキを付けまくるのが、正解だと思います。
なんでも、そうだと思いますが、ただの一般人が、
ちょっと素敵な文章を書いても、「何もしなければ」誰も、注視はしませんし、スルーすると思います。芸能ならば、なんとか、逸材を売りだそうと
ブレーンが、あの手この手で、注目してもらおうと、努力しますが、そうしたって、人々は辛辣で、
自分の好みは安売りはしないと思います。
こういう場所では、なおのこと、自分を知って欲しくば、自分が「知ること」。自分から、アピールしなければ、ペンペン草も生えないと思います。
SNSでは、「数」こそ、自分の価値だと、思いがちですが、血管浮かせて、必死こいて、集めた、上滑りの「数」は、水滴が、落ちたら、広がる油と同じで、軽いものです。
「ずっと」続けたいならば、自分の「自然体」に
近い方々、力を抜いて、書いても、読んでいただきたいなと思う方々を探すべきです。
多分、noteでは、長くなるにつれ、記事の向こうに「人」を見ていると思います。
厳しい言葉を書いていても、弱った言葉を書いていても、別に、胸を打つ記事を書いているのでは
なく、
記事を書いている「その人」が気になるのだと思います。
結局、究極は、「人」です。
しかし、こういう場所では、
「理解したつもり」は、非常に危険です。
ここに、書いてある記事は、その方々のほんの
一部分に過ぎないからです。
だから、「あなたらしくないよ」というコメントは、タブーだと思います。
誰かが、書いた記事を100%理解するのは、
ご当人では、ない限り、不可能だと
思います。
いろいろと、考えたらば、わたしの「テケトー」からは、外れますが、自分に関しては、テケトーで、
いいのです。うん。
しかし、他人さまに関わるならば、スキやフォローは、慎重に、するに越したことは、無いなと
思います。
コメントしていただいた、方が、どこかで、
地道に、SNSを楽しんでいたら、いいなとか
思い、書きました。
読んでいただきありがとうございます。