第8回 研の會 『摂州合邦辻』、『連獅子』
尾上右近の自主公演、第8回「研の會」、行ってきました。
🪷摂州合邦辻
家督争い、継母の邪恋、毒酒による貴公子の面相崩れからの、生き血での治癒。
ジェットコースター的な展開に目が行きがちだけれども、登場人物の性質は至極まっとうで、無理なく描かれている。面白い演目だ。
舞台は下手に、高いところへ吊るす灯籠があり、中央に座敷があって、上手に障子の閉められた一間、その前に蓮の葉が浮かんだ池がある。
尾上右近の玉手御前は、花道から出て、戸の前で内へかける第一声で、若さもあり、後妻とはいえ奥方になおった人柄というか利発さも感じる。家に入ってからは、親の前では気取らない娘でもある。
茄子紺の着付けが、色気と若さの両方があって美しい。全体に枯れた色調のセットの中に、茄子紺と、片方だけあらわになった胴抜きの朱色が映える。
前半(合邦に刺されるまで)、底割れ気味に演じるのだな、と少し意外な気持ちで見た。
母おとく(尾上菊三呂)に俊徳丸への不義の恋について聞かれた時も、一瞬俯いて辛そうな顔を見せ、気合を入れて”不義を仕掛けた女”を演じるように顔を上げた感じがあった。
俊徳丸を前にして口説くところも、さあやるぞと玉手が難関に挑むような空気がある。
玉手が全体的に底割れになっているので、継子である俊徳丸への狂気じみた恋のくどきや、浅香姫との争いは、思ったほど盛り上がらないというのが正直な感想。
けれども、手負いとなった後半から、しっとりと色気が滲んでいたのが興味深い。
玉手が俊徳丸を本心ではどう思っていたか(恋心があったか)、そこをどう表現するかは、芸談など読む限り役者によって違うようだ。
予習でいくつかの書籍を読んでいた段階では、わたしは、玉手が俊徳丸を憎からず思う気持ちがあっても、”母であろうとする”が第一なのだろう、と思っていた。
しかし、実際見て感じたのは、恋は嘘(心にもない不義いたずら)だと俊徳丸に言ったときの玉手の、そうじゃない感じだった。
玉手は、俊徳丸を安心させようとして、「大丈夫、不義の恋なんて全部ウソだったんだよ」と言っているように、わたしには見えた。
そこには、継母というより、もっと切ない響きがあった。
俊徳丸の幸せのために、少しの疑いも持たせてはならない。だから「全部ウソだよ」、という嘘をつく。
本で読むより、舞台を見て初めて感じるものもあるから、観劇って面白い。
尾上菊三呂のおとくも、そうだった。
おとくは、冒頭と言ってもいいぐらいの前半で玉手に、「継子に恋を仕掛けたなんて嘘だよね」と問いかける。
それは親バカ的な盲信ではなく、世間体を気にした叱責や嘆きでもない。
娘への愛情と、観察と信頼があって、辻(玉手)に限って不義などないと、おとくは本心から思っていると、わたしには聞こえた。
そこには、娘をよく見て育ててきた、おとくの姿が表れている。「そなたに限り、よもやそんな事はあるまいの」という彼女の言葉には、辻(玉手)が高安の家に奉公に上がるまでの母娘の日々が、信頼の裏付けのように存在している。
本で読んだときは、合邦と繰り広げる、”幽霊”なら家に入れてもよかろうといったやり取りに、おとくの面白さを感じていたが、菊三呂のおとくを見て、始めの部分にこそ彼女のキャラが詰まっていたのか、と目が開く気持ちがした。
俊徳丸が中村橋之助。良い美しさ。
浅香姫が中村鶴松。眉の描き方が上手で横顔も可愛らしい。この浅香姫なら確かに、病の俊徳丸とも一緒に暮らすだろう、と思わせる。
合邦道心は市川猿弥。菊三呂のおとくとバランスがよくて、「おいやい」の部分など玉手との呼吸も心地よかった。
尾上右近らしい、ガッツリと力のこもった玉手を楽しんだ。
玉手は落ち入る前には、両肌とも白の襦袢になっているのだが、汗でびったりと肌に張り付いてそうに見えた。
一幕の中で、玉手はほとんど喋りっぱなし、動きっぱなし。
そりゃ汗だくになるよなぁと思いつつ、それ分かってて『連獅子』を並べてくる、彼の心臓破りのチョイス。やっぱ只者じゃないわ…。
🪷連獅子
最後の毛振りで、右近の親獅子がブワーッとサービス(?)。
これとは少し違うが、昔、勘三郎の親獅子が、最後は子獅子を置き去りでガンガン回す厳しさを見せたのをふっと思い出した。
これまで、実の親子による『連獅子』を観ることも多かったのに、不思議にも、今回が一番、「親」獅子を感じた。
素敵なパパぶりだった。
右近の毛振りは、毛の先が本当に綺麗にくるりと流れる。
舞踊に限らないのかもしれないけれども、上手い人は、扱う道具も美しく心地よさげに見える。
例えば、奴の毛槍とか、『鷺娘』の傘。
右近が使う手獅子の毛も、鬘の毛も、ふっさりとして優雅に、あるべきところへ収まって気持ち良さそうだ。
子獅子を尾上眞秀がしている。
手足が長く、雰囲気が華やか。
親獅子の姿を見つけて崖下から駆け上がっていく部分は、そり立つ岩壁の高さが見えるようで、とても良かった。
天竺、清涼山の麓での宗旨争いは、中村鶴松と橋之助。
愛嬌がありメリハリの効いた鶴松と、おおらかな雰囲気の橋之助で、組み合わせもとてもいい。
あと10年経てば、この二人が間狂言なんてご馳走だ、ってなるんだろうなぁと思いながら観る。
「コリャ取り違えた、あっはっは」で済めば、世界はきっと平和なのにな。
🪷さいごに
おそらく自主公演を観に行くのは初めて。
ロビーでは寺島しのぶさんとか富司純子さんとか、波乃久里子さんとか、たぶん音無美紀子さんの姿も見かけて、おわぁ、となる。
プログラム(1500円)は演目の細かい解説付きで至れり尽くせり。写真多め、第7回の分も写真が入っている。
会場のスタッフさん(全体的にめちゃくちゃ若い)が皆さん親切で一生懸命なのも印象に残った。
スタッフの皆さまもお疲れ様でした、という気持ちとともに、第9回も楽しみに待つので怪我のないように頑張ってください、と心の中で手を合わせた。
『摂州合邦辻』について予習したものは、こちらです。