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『狐花』2024年8月納涼歌舞伎_歌舞伎座 第3部

*ネタバレとなっています。ご留意くださいませ

狐花きつねばな葉不見冥府路行はもみずにあのよのみちゆき。京極夏彦書き下ろしによる、新作歌舞伎である。

暗闇に、上手から中央へと廻りながら、彼岸花と、連なった鳥居がセリ上がってくる。

夜目に焼きつくような赤い花々は一面。朽ちかけた鳥居。
人か、あやかしか。佇む狐の面に水浅葱の着付、裾の模様は彼岸花。

わあ、である。
この色彩美、鮮烈な世界の出現。

もうここで、この芝居の7割は成功している。

お葉と萩之介を演じる中村七之助が、圧倒的なセリフ術で物語を牽引する。
監物けんもつを演じる中村勘九郎も、第2部の新三だって大変だろうに、『狐花』も完璧にセリフが入っている。
この2人、化け物か。

歌舞伎でありつつモダンな作り、多めのセリフで引っ張っていく展開は、泉鏡花の作品と似た空気も感じる。

市川笑三郎、門之助、猿弥といった、澤瀉屋一門はこのあたりさすがで、きれいに芝居の温度感を揃えてくる。

発端、序幕

笑三郎の出番が少なすぎでしょ!という心の声もありつつ…。

ここは確かに、歌舞伎では発端が付くほうが見やすい。原作では信田家の悲劇は最後に語られる。

ごうごうと風が吹く夜、押し込み強盗のように頭巾を被った男たちが信田家を襲う。美冬(笑三郎)は、乳飲み子を家の者に託して逃がす。そして自分は監物に捕まってしまう。投げ渡された夫の生首を、悲痛な面持ちで丁寧に抱く美冬。
監物ってば、残忍すぎる。

上月家菩提寺の場
上月家の娘雪乃が、妖しい美貌の男に心を奪われる。
中村米吉の雪乃。父親のことは良く思っていないが、お嬢さんらしく無邪気で可愛らしい役…のはずなのだが、勝ち気を通り越して意地悪そうに見える。

上月家屋敷奥座敷の場
上月監物の用人、的場を市川染五郎。
今年に入っていくつかこの人の歌舞伎を見て、そんな気がしていたんだけども、今回で確信した。

この人、天才だよね。

新作の、初日から間もなくで、この落ち着きぶりはどういうことなんだろう。
年齢がちょっと若く見えるので、的場は25年前の信田家襲撃のとき、何歳だったんだろ?って感じもあるのだけども、それにしたってうまい。

炭置部屋の場
花道から、登紀(坂東新悟)と、実祢みね(中村虎之介)が登場する。登紀は紫色の頭巾をかぶっている。

2人の、仲が悪そうな、性格どっちもどっちな感じ、見事に原作どおり。

特に坂東新悟は、新境地だと思う。

見た目がちょっと老けてしまうけども、声の使い方がうまくて「ちょうどいい」。
しらーっとひどいこと言う登紀の感じ、賢しさ故の冷たさ、原作より控えめだけども、舞台のこのあとの展開を見れば、これがちょうどいいと思う。

妖しい男を見かけて以来、病みついてしまったお葉(中村七之助)が、炭置き部屋で2人に、殺したはずの萩之介を見たと訴える。

七之助は、お葉と萩之介をするので、病みついているといっても、お葉は化粧でげっそりとかはしていない。

やっぱり抜群にうまい。七之助に向かってうまいとか凄いとか、本当はそれ以上なのだけども、正確に説明できず、申し訳ない気持ちになる。

底を割らない芝居で、とにかく怯えて登紀と実祢に取りすがる。
登紀と実祢は、殺したはずの萩之介があらわれるというお葉の話に動揺しつつも、お嬢さんらしい冷たさで、彼女を突き放す。

”だんまり”めいた場面になる。

炭置き部屋の陰からあらわれた萩之介(七之助)が、煙草入れを実祢の前に落としていく。
次の場で、これはかつて実祢が萩之介に贈ったものだと説明される。
これで、実祢はすっかり萩之介の存在を意識するわけだ。

花道から、そっと去っていく萩之介。
うろたえる面々を静かに見ている、それだけで、萩之介の背景というか、温度だったり憂いだったり、そういうものが立ち上ってくる。

原作を読んでいなくても、きっと萩之介にはなにか事情があるんだなとか、単純に誰かを憎んでいるっていうだけじゃないんだな、というのを感じられる。と思う。

辰巳屋離座敷の場
番頭の儀助を中村橋之助が演じる。仁平は大谷廣太郎。
ここは2人とも苦しい。

原作を読んでいたら、上手側の稲荷の祠を見て、ああ儀助しか手入れしない稲荷があるっていう辰巳屋ね、と分かる。

そうでないと、筋書すじがきを買ってないとか、買ったけど読む時間がなかったという方に、商家の離れ付近で番頭2人が話している、という状況がすぐわかるだろうか…。

実祢(虎之介)が父(亀蔵)を刺してしまう場面は、これこそわたしが期待していた、歌舞伎になったとき際立つという展開で、とても面白い。

原作でも、萩之介は多くを語らず、実祢と登紀に対して名前を呼ぶくらい。
その「名を呼ぶ」意味というか効果が、舞台でハッキリと分かるようになっている。

それにしても、「みね」という僅か2字を、なぜこんなに色っぽく呼べるんだ…。

近江屋の場

ゴロゴロピカッと雷が鳴っている。
舞台転換の都合なのだろう、いやに広い座敷である。

辰巳屋での事件から、的場(染五郎)が登紀(新悟)を問い詰める。

原作ほど滔々と考えを述べるわけではないのだが、ここも登紀がいい。
歌舞伎でありつつ、それでいて歌舞伎らしくないセリフ量を、猿弥、染五郎、新悟がきれいに繋げて物語を運んでいく。

的場の「お前の娘が、極悪非道の人殺しであることは分かった」は、舞台で聴くと名言。

座敷を出て、一人廊下を引き上げてきた登紀の前にも、ついに萩之介があらわれる。

名前を呼ばれて取り乱すが、抱き寄せられて思わず陶然となる登紀がとてもいい。かつて情を通じた事実と、裏切りが許せなかったのは狂おしい愛ゆえだったことが表れる。

そういうどうにもならない情念が、萩之介を目にして再び燃え上がり、まるで登紀自身が発火するような「逃がしはせぬぞ!」という言葉に行き着く。
この場面は、原作よりも劇的で、登紀の見せ場になっていて面白かった。

父(市川猿弥)が駆けつけるが、登紀は錯乱状態で、萩之介を追って炎渦巻く座敷へ飛び込んでいってしまう。追いかけようとする父も煙に巻かれる。
ここは幕やライトがうまく使われている。

***ここで30分の幕間***

わたしは筋書にも載っていた絵看板があまりに素敵で驚いた。

『狐花』の絵看板。筋書にも掲載されている

禍々しさと美しさの中に、憂いと、哀しみが浮かび、これ1枚で舞台への想像がぶわぁと広がる。

二幕目

一場 荼枳尼社の場
彼岸花と鳥居のセットが再び。
萩之介と中禪寺洲齋じゅうさいの問答。洲齋は萩之介を助けたいと話すのだが、萩之介は走り去ってしまう。

二場 上月屋敷奥座敷の場
的場が、25年前のことを知る4人のうち2人が死んだのだから、さすがになにか策を考えねばと言い、洲齋を連れてくる。

洲齋は松本幸四郎。

原作もそうなのだが、洲齋(というか京極作品?)は、幸四郎のイメージではない、とわたしは思っている。

イメージが違うから良くないとか言うつもりはなく、違うから面白い、というケースも多々あると思う。

『狐花』は美しいがストーリーは重く、原作も歌舞伎もここまでの展開どこも笑う要素がない。そのあたりも考慮して、幸四郎が洲齋を、少し自分のカラーに引き寄せようとしているのかな?とも思う。

それが成功かどうかは、正直まだ分からない。

三場 座敷内牢屋の場
原作では、この牢について萩之介が恐ろしい話を雪乃にするのだけど、歌舞伎のセットでは天井が作れないわけで、そのくだりが無いのは致し方ない。

ところで、わたしだけだろうか?

この場面、雪乃の衣裳といい道具といい、遊郭っぽく感じる。

緋の襦袢は、商家のお嬢さんでも着ると思うけども、屏風のフチどりが赤いとか、行灯の木枠が赤色とか、畳んで置いてある布団が赤色の柄物とか。
色調が暗い牢の中で、色が必要なのかなと思いつつ、商家のお嬢さんの持ち物に見えない…。

そっちに気を取られたせいか、好きになりかけていた人が実の兄だったという雪乃の複雑な感情、そこからどんな気持ちで「父を討つ」ってなるのだっけ?ってところを感じ取れないまま、怒涛の展開へ。

監物けんもつ(中村勘九郎)の「美冬の代わりとして手塩にかけて育てた雪乃を」ってセリフ、グロテスクだなぁ。
今月の勘九郎は、とことん怖い。

斬られて横たわる萩之介のもとに、洲齋が駆けつける。
萩之介は、葉を見ずとも兄と妹に会えて充分だと言って死んでしまう。素晴らしかった七之助。そりゃあ3人の娘があっという間に惚れるよ。

四場 奥座敷の場

”憑物落とし”を生業なりわいとする洲齋が、逆に”しゅをかける”というシーン。

百鬼夜行シリーズで中禅寺秋彦も、ときどきこれをする。
正当な手段で相手を裁けないとか、正攻法で効かないときにする、反則技だ。

凄まじい言葉の力で、相手の世界の見え方を一変させる。
本で読むたびに、中禅寺は敵に回したくないなぁと思う。

原作で、この部分は強烈というほどではないので、舞台で効果を上げるのは難易度が高いと思うけれども、今後、ここも面白い場面になっていくと期待したい。

最後、崩折れた監物に、真っ赤な彼岸花が、ぽつりぽつりと落ちてくる演出が美しかった。

さいごに

一度で終わるのはもったいないので、再演してほしい。
天井知らずの七之助の芝居をもっと観たい。
そして、さらに振り切れた坂東新悟が観たい。

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