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おもひつきたることをつれづれにしるしていかむとおもひけり。

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最近の記事

心筋梗塞-御代替わり-入院(10/了)

術後経過 手術の後、尿道の痛みは続くものの、全般的には快方に向かっていった。ただ、体力が相当落ちていたようだ。その分、体重も減っていた。後日、自宅の体重計で測ったところ、入院前に比べて6Kg減っていた。 入院中に行なったことと言えば、寝ること、食べること、起きているときは本を読むこと、ノートPCで調べものをすること、訪ねて来た見舞客と話をすること、くらいで、ほぼ運動らしい運動はしなかった。 部屋は個室だったので、だれにも気遣う必要がないのは良かった。特に、朝早く起きても

    • 能登

      50年前の思い出 若い時に能登に行ったことがある。もうかれこれ50年ほど前(1975年頃)のことだから、細かいことは覚えていない。しかし、記憶の輪郭だけは残っている。思い出し思い出ししながら書いてみようと思う。 今年(2024年)1月1日午後4時10分頃、能登半島は震度7、マグニチュード7.6の地震に見舞われた。最大級の地震である。テレビで現地の放送を重ねるにつれ被害の甚大さが明らかとなってきている。一日も早い復旧を祈るばかりだ。 この地震の報に最初に接したとき、真っ先

      • スタンド・バイ・ミー

        美しくもほろ苦い思い出 最近、松本潤が主演のNHKドラマで「はじまりの歌」と言うのを見る機会があった。 あらすじについては、NHKのウェブページで以下のように説明がされているので引用する。 『カメラマンの中原航(松本潤)は雑誌の仕事で10年ぶりに故郷・山口県萩市に帰ってきた。実家の父・弘(國村準)は小さな渡し舟の船頭をやっており、姉の美波(戸田菜穂)は小学生の息子・蒼太(鏑木海智)を連れて出戻っていた。母校の小学校で航は、幼馴染の教師・夏香(榮倉奈々)に再会する。夏香は小

        • あまり経験できないこと

          ワインバルへ 最近、気心の知れた知り合いと、若い人が集まる街にあるワインバルに久し振りにワインを飲みに行った。「久し振り」と言うのは新型コロナウイルス感染症の影響で、大手を振って外でお酒を飲む機会が3年近くなかったからである。 階段を登り店のドアをあける。「食事は済ませているので、飲むだけですけどいいですか」とお店のオーナーに聞くと、ええ全然問題ありません。どうぞどうぞ(店の中に)入って召し上がって下さい、と気持ちよく案内された。 早い時間(18:00頃)だったせいか、

          2016年の熊本地震によせて

          手紙への返事 2016年(平成28年)4月14日(金曜日)と同年4月16日(日曜日)の2度にわたり我が故郷である熊本地方は地震に見舞われた。その第一報は、4月14日の夜9時20分頃に四谷の居酒屋で一緒に飲んでいた部下から知らされた。 「震度7くらいだそうです」とスマートフォンを眺めていた部下が言う。一瞬、わが耳を疑った。震度7と言えば、2011年の東日本大震災と同じレベルではないか。津波は発生していないのか、と心配になる。「今のところその情報はありません。」と部下。すぐに

          2016年の熊本地震によせて

          心筋梗塞-御代替わり-入院(9)

          ステント留置術 手術室には、大型のディスプレイのようなものがあり、狭くなった血管の箇所までカテーテルが移動しているのを片目で見ることができた。ただ、どこの血管が閉塞している箇所かは専門家ではないのでわからず、また、話しかけていいのかもわからなかったので、ずっと天井を見つめていた。 不思議なことであるが、その天井からは多くの人の声が降り注いできたような感覚があった。あぁ、死ぬときってこんな感じなのかな、と思った。 手術室に入ってから1時間40分も経過した頃だろうか。ステン

          心筋梗塞-御代替わり-入院(9)

          心筋梗塞-御代替わり-入院(8)

          救急室にて 連れていかれたところは、「救急室」らしき所である。4月26日に最初に連れて行かれたところと似たような部屋であるが、部屋が独立していて暗い感じがする。 4~5人の医師あるいは技師と思われる人が待ち受けていた。ここから、例のごとく、「医師の〇〇です」「お名前と生年月日をお願いします。」の質問が、担当や検査場所が変わるたびに何度も何度も繰り返される。 「救急室」に来てから、私の自由は奪われる。まず、ストレッチャーに横になり、服を全部脱がされ、薄い青色の服(患者が着

          心筋梗塞-御代替わり-入院(8)

          心筋梗塞-御代替わり-入院(7)

          5月9日 その日の朝は晴れていた。もう治りかけているのかなと思うくらい痛みもなかったので、病院に行って検査し終わったらその足で会社に向かう、そんなイメージで紹介状を持って出かける。 駅まで出て、病院へは、病院行きのバスに乗るか歩いて行くか調子次第で判断しようと思った。家を出たと同時に、春のそよ風が気持ちよい感じだったので、緑道を通って歩いて行くことにした。それが午前8時19分。 病院に向かう緑道の道すがら、芽吹き始めた木々の葉に初夏を感じたり、時々木々の間から差し込む陽

          心筋梗塞-御代替わり-入院(7)

          心筋梗塞-御代替わり-入院(6)

          奥多摩に行く 翌5月3日はマンションの理事会の用事で人と会う。私が倒れたことは伝わっていて、大丈夫かと健康を気遣われる。いやぁ、最初に運ばれた病院では病名がわからず、次の病院では心臓神経症って言われて、、、と苦笑い。一応、酒は飲めるようになったので、お酒を飲みながら話した。この日は、体調は大丈夫であった。 5月4日。そんな調子だったので、おそらくもう大丈夫と思い、前から約束していた10年来の山仲間と奥多摩に行く。特に息切れなどはなかったが、この山仲間にも先日の救急車で運ば

          心筋梗塞-御代替わり-入院(6)

          心筋梗塞-御代替わり-入院(5)

          心臓神経症? 医師はおもむろに私の左足をつかみ、屈伸させながら回転させる。それを2回。その後「うん」といった後、「うつや不安感やストレスによるものだな」と言って、「それを緩和するための薬を出しておくよ」で終わり。このような症状のことを「心臓神経症」と言うらしい。 まあ、ストレスはあるもののそれは誰でも同じであり、うつはないし、不安感もあると言えばあるし、ないと言えばない。なんか、占いの感覚に似ている。あたってると言われればあたってるし、あたっていないと言われればあたってい

          心筋梗塞-御代替わり-入院(5)

          心筋梗塞-御代替わり-入院(4)

          一旦自宅へ 紹介状を貰い、妻とともに薬局に行って薬を処方して貰い、コンビニで昼食を買い、タクシーに乗って自宅マンションに向かう。 心筋梗塞と診断されなかったので、マンションで人に会うのが恥ずかしく、人と会わないことだけを願った(まだこの時は心筋梗塞ではないと思っていた)。 幸いにも誰にも会わずに自宅に到着。このとき14:00頃。それでもなお、胸と背中は痛い。 自宅に到着すると、食欲もないのに、痛み止めの薬を飲むためだけのコンビニで買った昼食(中華まん)を食べ、食後薬を

          心筋梗塞-御代替わり-入院(4)

          心筋梗塞-御代替わり-入院(3)

          検査 そして、機器による検査が始まる。頭の周りには検査技師や看護師が入れ代わり立ち代わりで現われ、検査に際しては自分の名前を名乗る。そして、血液、心電図、X線の検査が行われた。 そのときの検査結果では、心電図の波形や血液検査には(おそらく)心筋梗塞の典型的な波形・数値が現われなかったのか、機器を確認しながら、他の症状の可能性を探っていたようである。 急性の心筋梗塞の場合、セオリー的にニトログリセリンを舌の裏側に噴射して舐めさせると10分~15分くらいで胸の痛みが取れるら

          心筋梗塞-御代替わり-入院(3)

          心筋梗塞-御代替わり-入院(2)

          搬出 ちなみに、氏名と生年月日の確認は、以降の別の病院への入院期間を含めて、少なくとも50回以上はなされたと思う。それくらい頻繁に検査毎になされた。 一通りの質問が終わると、部屋の中で担架に乗せられ、身体をベルトで締め付けられ、2名若しくは3名の救急隊員に担がれて玄関に向かう。妻がそれについてくる。 玄関を出てからは、外に準備してあったストレッチャーに移され、ストレッチャーを押しながらエレベータホールへ。エレベータにストレッチャーを運び込むには奥行きが足りないので、エレ

          心筋梗塞-御代替わり-入院(2)

          心筋梗塞-御代替わり-入院(1)

          発症 2019年4月26日朝7時25分頃、胸に少し違和感があった私は、朝食をとりながらその違和感が収まるのを待った。 というのも、通常は数分でその違和感が収まるから、時間が経過すれば当然収まるものと思っていた。 ところが、その違和感がなかなか収まらない。胸の中央辺り、即ち、右の肺と左の肺が収斂するあたりが妙に重苦しく圧迫感を覚える。のみならず、背中も少しずつ痛くなって来ている。 妻に心配をかけまいと「ちょっと胸の辺りが変で・・・」と説明すると、前日、酒を飲んでそのまま

          心筋梗塞-御代替わり-入院(1)

          意識の始まり

          私の意識の始まりは、4歳か5歳の冬、風邪をひいて寝込んでいた時だったと思う。寝ていた布団から天井を見ていた時、突然であるが、天井の木目を見ている「我」に気付いてしまったのである。 夢からさめたような、霧が晴れていくような感覚と似ている。そこから私の歴史は始まったと言ってよい。不思議な感覚であった。 その後何かが変わった訳ではないが、迷うことが多くなった。考えることが多くなった。得体の知れないものに不安を覚えることが多くなった。現状に不満を抱えることが多くなった。 してみ

          意識の始まり

          菩薩 母はどういう人だったかと問われれば、私は、迷うことなく、菩薩のような人だったと答える。 折に触れて思い出す母も、夢に出てくる母も、写真に写っている母も、みんな穏やかなやさしい顔をしている。 すべての不条理を包み込んでくれているような、そんな母であった。 母の生い立ち 母の名前は、エイと言う。カタカナで「エイ」である。1919年(大正8年)3月10日に熊本の小川町というところで生まれた。 この当時、女の子の名前をカタカナ2文字で命名するのは普通に行われていたよ