心筋梗塞-御代替わり-入院(2)
搬出
ちなみに、氏名と生年月日の確認は、以降の別の病院への入院期間を含めて、少なくとも50回以上はなされたと思う。それくらい頻繁に検査毎になされた。
一通りの質問が終わると、部屋の中で担架に乗せられ、身体をベルトで締め付けられ、2名若しくは3名の救急隊員に担がれて玄関に向かう。妻がそれについてくる。
玄関を出てからは、外に準備してあったストレッチャーに移され、ストレッチャーを押しながらエレベータホールへ。エレベータにストレッチャーを運び込むには奥行きが足りないので、エレベータ内の箱のカギを開放し、ストレッチャーの一部を入れる。
なお、エレベータにはすでに登校のために小学生2名が乗っていたが、救急隊員が2名の小学生に救急性を説明して降りてもらった。
1階の中央玄関に到着すると、ストレッチャーは荷物用のスロープを使って玄関前広場にたどり着く。そこには、小学校への登校を見守る母親たちがいて、私のことに気付いたようだった。「あっ、〇〇さんの旦那さんだ!」と聞こえてくる。少し恥ずかしいので、目を閉じて神妙な面持ちをとったりした。
この中央玄関前の駐車スペースで駐車していた救急車にストレッチャーごと載せられ固定される。運転席では救急の受け入れを打診しているらしく、電話での話がうっすらと聞こえてくる。
「〇〇病院は駄目」という声が聞こえる。「他をあたります」という声が聞こえる。その間、救急隊員に促されて、入院した場合のことを考え、妻が自宅に戻り着替えその他のものを取りに行ってきた。
それから数分後、川を隔てた隣県の市民病院が受け入れ可能ということがわかり、出発。その病院は妻の母親がかつて入院していたところだったので、場所はすぐに分かった。
救急病院へ
移動開始と共に吐き気が襲ってきた。あぁ、このまま死ぬのかな、と一種の観念めいた思いがよぎる。病院へ辿った道のりは全く覚えていない。
そんな中でも救急車のサイレンに2種類あることは分かった。通常のサイレンと緊急を知らせるサイレン。後者はきっと交差点等で緊急性を優先させるために発しているものと思われる。
まもなく、隣県の市民病院に到着。到着間際に少しスロープを登った感じがしたので小高いところに建つ病院なのかなと思ったが、後で見たら単なる短いスロープだった。人の間隔は意外とあてにならないものだ。
到着
到着すると、例の如く、氏名と生年月日をまず聞かれる。すると待っていた看護師さんが自分の名前を告げ「よろしくお願いします」というステップと、救急隊からの状況報告を受けるステップがあり、引継ぎが終了。
引き継いだ後、救急隊のストレッチャーから病院のストレッチャーに私を移動させ、救急室に移動しながら意識が正常かどうかを確認するためか盛んに声をかけてくる。この時間はほんの数分なのだが、聞かれたことやどこをどう通って行ったのか全く覚えていない。
ただ、意外にも、救急車の車寄せからはそんなに遠くはなかった記憶がある。エレベータも使用しなかった。
救急室に運ばれて
救急室に運ばれ、今度はストレッチャーから診察用ベッドに移動される。1・2・3の掛け声とともに。
そこでは、上着や靴下が脱がされ(剥ぎ取られ)、左胸辺りに心電図用の電極等が取り付けられる。
やがて主任医師と思われる若い医師が現れ、自分の名前を告げるとともに私の名前と生年月日を確認し、朝からの発症からの一部始終を聞き始める。どこが痛い、どのように痛い、いつから痛い、etc.と問診を行う。
・・・心筋梗塞-御代替わり-入院(3)に続く