お金のいらない世界と表裏一体になっているものとは?
先週の水曜日から昨日、月曜日までの合計5日間ソースプリンシプル提唱者であるピーターカーニックとパートナーのバーバラが来日中に開催された企画に参加していた。
1日を除いてJUNKANだいこん(※)というイニシアチブのメンバー向けに開催された企画であり、発起人の吉原史郎さん奥さんである優子さんがプロデュースしたものだ。
ピーターとお会いするのは彼が初来日した4月以来となる。
今回のメインはピーターがヨーロッパで行うマスタークラスというプログラムを構成する5つのパートの1つである「ビジョンワーク」というテーマで、2泊3日かけて行われたものだった。
このプログラムをリードするのがピーターのパートナーであるバーバラであり御年80歳とは思えないエネルギッシュさだった。
その内容及びどんなことを受け取ったのかについては別途書きたいと思うが、今回書こうと思ったことはこの一連のピーター&バーバラ来日企画の最後を飾ったこちらの企画を聴いていた時にふと浮かんだことである。
それは何かというと「お金のいらない世界はいかにして成されるか」ということだ。
ピーターや史郎さんたちの話を聴いている中で、この問いにまつわる重要だと思える発想が生まれた。
それは何かというと「お金のいらない世界」と「誰もが自身の持つ創造する力を信じることができている状態」は表裏一体だということだ。
言い換えると、お金は、誰もが自身の持つ創造する力を「取り戻す」ことによって不要になっていくということ。
もちろんこれが実現するために必要な全てではないと思っているし、これはあくまでケンウィルバーのいう4象限のうち、個人の内面や集団の内面という側面に焦点を当てたものだと捉えている。
そして、この発想自体が突拍子もないと思われるかもしれないが、それにはお金の歴史や、ピーターが問いかけ続けてきた、そのプロセスの中で人間はお金に何をしてきたか?お金は人間に何をしてきたか?という問いに関連するものである。
ピーター自身の語るそれらについてはこちらの記事に書いたことがある。
私たち人間のつくる道具と心理学用語である「投影」という前提ありきの発想であるが、個人的には納得度が高い。
上記1つ目の記事の中でこんなことを書いた。
お金と投影の話についてはこちらの記事でも書いている。
ちなみに私は現時点でお金がなくなった方がいいとは思っていない。
しかし、不安を煽る情報とセットで扱われやすいお金にまつわるニュースなどはこれからますます増えていくであろうからこそ、その意味を深く理解し、振り回されないように健全な関係を育むことは心が晴れやかな人生を送るために大事な要素だと感じる。
こちらの記事で書いたように以前、社会人向けのお金の教育につながる地域ツアーの素案を考えたことがある。
これに土壌をよくする活動も加え、自然の摂理に学ぶ要素も盛り込んだリトリートを企画するのも面白いかもしれないなぁ。