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「一緒に居る」は、体のどこで感じているもの?

「一緒に居る」の「緒」は「へその緒」の「緒」と同じであることから、

「一緒に居る」を知覚する主だった身体の部位はへそを含む腹腔(みぞおちから下の下腹部)あたりなのではないかと思っています。

これは自身の感覚と照らし合わせてもそうかなと思うんですね。

だからこそ、この部位への知覚の発達及び、その感覚と安全・安心(健全な脱力感)の認知が紐づく、という土台が整わない限りは、

どこかで心の渇きを感じつつも見ないフリをし、確かにあるとしか感じられないギャップを埋めるためにを行動し続けることになると思うのです。(その現れの1つが、自己肯定感:私の表現でいうと”自分”肯定感、を高めようとすること)

このあたりの解像度を高めるためには、以前流し読みした『レジリエンスを育む』が役立つと思っているので、ちゃんと読み込みたいなぁ

(今のところ意欲だけw)


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