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【藤田一照仏教塾】道元からライフデザインへ(19/04)学習ノート③

「"一照塾"はどんな学びの場なのか」を体感し、塾生と一照さんとで共有する導入・オリエンテーションの模様は、「学習ノート①」にて。
今季のテキスト、道元禅師の「弁道話」を、どの方向を向いて読み、どの方向を目指してライフデザインを描くか…についての一照さんのプレゼンの模様は、「学習ノート②」にて。


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〔弁道話「分かりたい一文」のワーク〕


塾生には、4月開講までに取り組んでくるhomeworkが与えられていました。

(4月開講までの事前homework)
『正法眼蔵 弁道話』をざっとでもいいから通読し、あなたがいちばん分かりたいと思った文章を1つ選び、それを選んだ理由を、他の人に説明できるような簡潔な文章にまとめて持ってください。

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〔事前homeworkのねらい〕

塾生が事前homeworkに取り組むにあたって、一照さんから次のようなリクエストがあった。

前期全4回で「弁道話」を読み進めていくにあたって、塾生の皆が分かりたいことが、各自のライフデザインをinspireして、それと架橋できるようにしたい。

(1) 4人ずつのスモールグループでhomeworkをシェアする。
(2)各グループで、一照さんの手持ちのテキストにマーキングしてもらえたら塾全体での学びが深まると思われる一文を集約して、全体にシェアする。
(3)一照さんが手持ちのテキストにマーキングをした状態で第1講を始めてもらう。
(4)一照さんが読み進めていく中でその文に差しかかったら「この文を分かりたい塾生がいたんだな」と思い出してもらって、それに対して応えていく。

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〔事前homeworkのシェアリング〕

1.「もし人、一時なりといふとも、三業に仏印を標し、三昧に端坐するとき、遍法界みな仏印となり、尽虚空ことごとくさとりとなる。」

おそらく「坐禅と悟り」について書かれていると考えられます。私が坐禅を始めたいと考えたのは、「自分を"空"にすること」。無にして、日頃余裕がなくなっている心や頭を一度真っ白にして、澄み切った新しい状態になりたい…という気持ちでした。自己中心的な思いや、周りを気にすることや、余計な雑念を捨てること。悟りまで遠いところにいるとは思いますが、この文を読んだ時に、ここでは「悟り」とは何だと語られているのかを知りたいと思い、この一文を選んできました。

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2.「しかあるに、弘通のこころを放下せん激揚のときをまつゆえに、しばらく雲遊萍寄して、まさに先哲の風をきこえんとす。」

事業の再生に関わる仕事をしている場面で、「あるべき論」を言いたいけれどもなかなかうまくいかない時、味方ではない人たちとコラボレーションする時にはどうすればよいのか…と考えたら、あえて「居場所をはずす」ことも必要なのかな、という興味がわいて、この一文を選んできました。

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3.「とふていはく、わが朝の先代に、教をひろめし諸師、ともにこれ入唐伝法せしとき、なんぞこのむねをさしおきて、ただ教をのみつたへし。
しめしていはく、むかしの人師、この法をつたへざりしときは、時節のいまだいたらざりしゆえなり。」

過去には学問として「お勉強」的な意味合いで伝わってきていた仏教が、実践面は伝わってきていなかったのはなぜだろう…という、弁道話の背景を知るという意味でも、また、"ライフデザイン"という今回のテーマを考えた時に、「この問題がわたしの前にあるのは、なぜ今(時節)なのだろう?」ということを私たちが考えるきっかけになるのでは…と思い、この一文を選んできました。

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4.「修証これ一等なり。」「妙修を放下すれば、本証、手の中にみてり」

「道を求めることが、そのまま"たどり着いている"ということ」というのは、一般的な感覚からするとよく分からない(だって、たどり着いていないんでしょ?)…。
そもそも禅では「不立文字」と言われているはずなのに、道元さんはたくさんの言葉で語っているのは、どういうこと?…というのを道元さんご自身に聞いてみたくて、この一文を選んできました。

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5.「しかあれども、このもろもろの当人の知覚に昏ぜざらしむることは、静中の無造作にして、直証なるをもてなり。」

「韓氏意拳」という中国武術の稽古の場で、実際に先生に手を取ってもらいながら練習している時に、うまく出来たときには腕を上げている感じがしないとか、「やってる感、努力感」がない、腕がそもそもないような感覚になることがある。
その感覚と、澤木興道老師もよく仰っている「無味無臭の、手応えのない坐禅、無色透明の仏法」という言葉が伝えるものとが、とても近いように感じる。
私たちが「身体感覚」と思っていることも、もしかしたら自分が感じたいように感じているのだとしたら、その身体感覚に騙されることだってあるのかも…ということから「知覚」という言葉が気になった。
また、「静中の無造作」という言葉に、いつもどんな時も自分らしくいられるためのヒントを弁道話から読み取れれば…と思い、この一文を選んできました。

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6.「とふていはく、三学の中に定学あり、六度の中に禅度あり。ともにこれ一切の菩薩の、初心よりまなぶところ、利・鈍をわかず修行す。」

「如来の正法」とは何なのか。この"問答6"には、仏教そのものは、インドから達磨大師によって伝えられたが、中国で起こった「禅宗」という呼び名だけでは、インドから伝わった思想全体をとらえきれていないのでは?…ということが書かれていると思うが、これを一読しただけでは「如来の正法」が一体何なのかがピンと来なかったので、この一文を選んできました。

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7.「かの外道の見は、わが身、うちにひとつの霊知あり、かの知、すなはち縁にあふところに、よく好悪をわきまへ、是非をわきまふ、痛痒をしり、苦楽をしる、みなかの霊知のちからなり、しかあるに、かの霊性は、この身の滅するとき、もぬけてかしこにうまるるゆえにここに滅すとみゆれども、かしこの生あれば、ながく滅せずして常住なり、といふなり。かの外道が見、かくのごとし。」

生死とか涅槃に関する話の中で、ここでは「霊性」という言葉が出てきている。身心は一つなのか、二つに分かれるのか…という話をこの"問答10"ではしていると思われるが、ここではなぜ「霊性」という言葉を用いているのか。輪廻転生について道元さんがどう捉えているのかが分からなくてモヤモヤするので、この一文を選んできました。

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8.「修証これ一等なり。」

分かったような、分からないような…。この塾での学びを通じて、その本質に迫れればと思い、この一文を選んできました。

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9.「彼彼ともに一等の同修なり、同証なり。」「すでに修の証なれば、証にきはなく、証の修なれば、修にはじめなし。」

知識としては「あぁ、なるほど」と思うけれども、"ほんとうに分かる"ということがすごく遠く見える。「一生かけてこれを理解できるのだろうか」と、希望と絶望が入り混じるような不思議な感覚を覚えた。その感覚を深められれば…と思い、この一文を選んできました。

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……このあと、学習ノート④に続きます。



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