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雑念思考の点を繋げてみる(肋骨を骨折しました)

肋骨を骨折しました!
息子から「くそばばぁ」いただきました!
noteで感銘をうける記事に出会いました!

この記事は、そんな最近の出来事から思考した点を広げて繋げてみる実験的な記事です。

▶この記事を書いた人

01| 肋骨を骨折しました


子供からもらう風邪菌は、大人の体内ではテロ級に蔓延りますね…
子供は2日でケロっと治ったものの、私は3週間以上引きずっています。

そのうち、咳で眠れない日が続くように…

初めて体感しましたが、寝そべると咳ってひどくなるのですね。
どうやら、身体を横にすることで肺の血管に血液が滞り、それが刺激になって、咳を引き起こしているようです。
これが苦しかった…!
ここ1週間ほどは、完全に横になっては休めず、座位で眠っていました。

風邪犬?え、ただただかわいい///

そんなこんなで、肋骨を疲労骨折していたわけです。
咳で骨折することって本当にあるのですね。(ザ・激痛)

ただ、骨折していると分かるまで、実に3回病院へ通いました。

①コロナを疑い、ウィルス検査で陰性確認後に風邪薬のみ処方
②咳も収まらず肋骨が痛くなり、レントゲン
 ⇒肋骨は異常なしの見立て。気管支炎のため強めの抗生剤処方
③咳は落ち着いたが、肋骨が痛い!
 ⇒CT検査し、骨折判明

病院を責めているわけではないのです。
最後、病院会計の長い待ち時間に、ぼんやり思考したことは…
物事を真に特定するには、医療の世界でも『点→線(平面)→立体』なのだなぁということ。

①コロナではないが咳がひどい(点)
②咳(点)だけじゃなさそうだ。→レントゲン(平面)
③レントゲンでの判断は不十分?→CT検査(立体)

『点と点を繋げて線にする』と言われますが、きっとその平面視点では、ただ点同志を関連付けて理解しただけ。
ある一面において理解できたという事象は間違いないのでしょうが、そこで止まってしまうと見落としていることが多いのでしょう。
平面視点で理解したことを、応用的に”使いこなせる”ようになることが深みとなり、立体視点を持つことが出来るようになるのだろうな。

…と、痛む肋骨によって、もたらされた気づきでした。

02| 息子にくそばばぁいただきました!


息子=小学4年生のやんちゃくれ君

そろそろ来るか…と覚悟していましたが、それは突然に。
第二次反抗期!(いや、まだ前兆かも)

くそばばぁ って、本当に言うのですね。
思わず言ってしまいました。
「くそばばぁから生まれた君はくそガキだね」
…火に油でした(笑)

私の兄の反抗期がひどかったので、男の子の反抗期には恐れを持っています。
ただ、実は少し楽しみでもあります。
なぜなら、今の私は「感情」に興味津々だから。

子供の感情は、混合感情に至る前の純度高めのウブな感情。
それを調節せずに全力でこちらに投げてくるのですから、観察して読み取りつつ
親が子供を理解すること”

”子供が自分の感情を理解できるような働きかけをすること”

”子供自身で価値観の土台をつくること”

そういったチャレンジが出来たならば、親も子も成長できるかと。ふふふ

03| noteで感銘を受ける記事に出会いました


フォローさせていただいているnoterさんは、皆さん趣があり、文才があり、いつも新しい視点や知的交流を楽しめる素敵な方々です。

noteを始めてから、朝の自分時間に皆さんの記事を徘徊するのが習慣になってまいりました。
博多花丸さん風にいうなれば、常連店の「異常なし」を確認するみたいな…

時間差の記事に突然「スキ」が届いて、驚かせてしまうかもしれません。「あー、今日も徘徊してるのね」
という具合に、受け取っていただけるならこれ幸い。

今日は、あつこさんの記事を勝手にご紹介させていただきます。
(あつこさん、許可を得ず勝手に申し訳ありません)

あつこさんのエッセイは、友達とおしゃべりしているようのような、クスっと笑ったり、じんわりあったまる感覚をもらえます。

こちらの記事で綴られた言葉に、ハッとさせられました。

お役に立てるような励ますことができるような、そしてたまには愚痴がはいるような、そっと横に寄り添う友達のような文を心がけています。

あつこさんの記事より抜粋

ご自身のnoteの場を、フォロワーさんが集いやすい場に整えていらっしゃることに、あつこさんの優しい人柄を見ました。

すばらしいなぁと。

はたと我を振り返ってみて、私自身はnoteを場所として整えることをしていない…と気づきます。
どういう場にしたいのか、あらためて思考してみました。

今まで発信してきた記事は、「知的交流」を目的に、個人的な思考を言葉にしてきました。
ストレングスファインダーにおいて、私の強みは
「学習欲」「着想」「親密性」とあります。

私の価値観として、「知る」ことが何事も最初のステップ。
知る(学習する)を起点に、ザイアンスの熟知性の法則のような
”知る”

”分かる”

”好きになる”or”得意になる”

このプロセスの、”知る””分かる”をシェアしあう場になっていけたら、幸せなことだな…と気づきました。
それは自分自身が、心理学を通して「自分を知る」ことで、自分を許してあげられて、少しづつ自分の人生を好きになれたから。

自分自身と大切な人に対する”知る””分かる”のきっかけになるような、そんな言葉を綴っていきたいと思います。

■あとがき


まとまりのない、ただただ長い雑念記事でしたが、結果、3ステップで思考してしまう、ある意味「私自身の癖(ヘキ)」をさらした形となりました。
「3」が好きなのでしょうね…
なんだかちょっとお恥ずかしい。

最後までお目通しいただき、ありがとうございました。


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