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宛所なき交換日記

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だれかのことばや文章やそれ以外の何かに触発されて、自分のことを書いている
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トンネルの向こうを目指す いくつもの出口があると思い込んでいた

ファンタジーとSFの切れ目がよく分からない。結果としては自分がファンタジーと思って書けばファンタジーなのだろうと思う。 わたしの最初期のファンタジーはたぶんゲームで、それをファンタジーと認識はしていなかったけれど、その後の海外ファンタジー、ハリーポッターシリーズとかいろいろ(タイトルが思い出せないけれど旅をする物語)に触れてゲーム世界もファンタジーと認識した気がする。 ファンタジーの定義自体があやふやなんだけれど、おそらくこの世界の過去に存在しなかったであろう生き物とか、景

老いていくことを受け止め少しずつ死んでいくための準備をしよう

眼精疲労と原因不明の頭痛と手荒れ悪化と仕事のし過ぎで鬱が発症しかけている感じです。 まだ好きなことはかろうじて(このかろうじてがまずい感じ)できているのでマシかなとは思います。 目が痛すぎて開けていること自体が困難になってきたため眼科を受診したのですが、いろいろ検査をして問題なし。ただし、パソコン作業用に度の弱い眼鏡を作ることは検討した方が良いだろうとのこと。 ただ朝から目が痛いのは頭痛からきている可能性があるので続くようなら頭痛外来を受診せよとのことで医療機関を紹介いただ

写真集

しゅうさんの写真集をつくることにした。 そこに物語を、文字を入れるかどうか? そもそも写真だけの本が売れるのか? 売れるかどうかより、作りたいものを作るべきではあるものの、自分がほしい本であることはやっぱり重要で、そうすると物語があるべきなのかもしれないけれど、物語、もしくは何かしらの強い感情を引き出せる写真であればいいのかもしれない。 たぶんとても難しいんだけど、わたしが写真集を見るとき欲しいか欲しくないかはそこな気がした。 モノクロ印刷でキレイに刷ってもらうには普通の印

子どもでも許せないことはあるのだとごめんねにいいよと言った気持ちもほんと

次女が長女の手を誤ってはさみで切ってしまった。 すごい出血だった。ティッシュで抑えると一瞬で真っ赤になって血が滴った。頚動脈を切ったときの出血に似ていた。それが5歳の子どもの小さな指で起きている。怖いという気持ちは無視できたが、冷静にならなければという気持ちは飲み込まれた。夫がいてくれて本当に良かった。 救急車を呼んで(119の番号を夫に尋ねたぐらいパニックになっていたし、何ならアドレス帳に救急車で登録されていたことに後で気付いた)病院まで約1時間。救急車に乗った時点では血

明日には奇跡が起きて何もかも元通り、にはならないようで

仕事が忙しいところに幼稚園が半日保育になり、とうとう週明けからは夏休み突入。 しにそう。 何がしぬのか知らないけどしにそう。 ifすらも降りてはこない朝ごはんおやつ昼食おやつ夕食 洗濯に掃除にお風呂歯を磨き合間合間にあそんであそんで ゆるやかにしんでいくものときどきは拾い上げて眺めてみたり 明日にももっと遠くのどこかにもなんにもないけど絶望しない 奇跡より自分が書いた下手くそな文字が好きだよ悪くはないね 誰からも愛されないと知っていてそれでもここでつくり続ける

感情を文字におこしていくことを怠けていればさよならされる

感想文についての話題がTwitterで流れてきて、みんないろいろ考えるなーと思いながら、感想を書くこと、それを作者に伝えることについて考えてみた。 面白かった、楽しかった、切ない、うつくしい、感動した……これらをなぜ感じたのか、どこから感じたのか、などを掘り下げるのは思考実験的で楽しい。あぁなるほど、これをこう感じるのか、みたいな発見は、長らく不通であった回線が突然ビビビッと繋がるようになった快感がある。 あわよくば次の作品にはそんな感じのを入れたいとかも思う(そして忘れる

満たされた瞬間きっとさよならが舞い降りるからまたつくりだす

今日、自分一人でデザイン・レイアウトした冊子が納品された。 無給だけれど全力で取り掛かった。というか、出し惜しみできるほどデザイナーとしての腕はない。ある程度のデザイン・レイアウト力、ある程度の企画力、ある程度のライティング力、ある程度のコミュ力営業力校正力……このある程度が合わされば、まぁまぁの作品が出来上がる。どこかが突出して高くなくとも総合力で勝負するみたいな。勉強になったこともあった。楽しかった。 この楽しかった、についてふと思った。 出来上がったものを見ても、誰

居場所などなくてもいいと嘯いてひとりぼっちを堪能してる

つかれたーつかれたーもうつかれたよーと、疲れてもいないのに言いたくなるこの現象に名前を付ける暇はないしこんなこと書いている場合でもない。 日々やりたいことがあるのはいいことでしょう。仕事も好きです。提案資料と構成案と原稿ばっかり作ってる。素敵な企画をお手伝いできたのもよかった。子どもたちを幼稚園に行かせてあげられないのはかわいそうだけど元気だし。良いことだらけのよう。いや、事実良いことだらけなんだけど。 ひとりの時間が欲しいというわけでもなくて、他人と自分を比べるのもおかし

少しずつ春が近づき生き物は外へ外へと死にに行くのだ

久しぶりに人がたくさんいる広い公園に行った。 公園の駐車場が渋滞していた時点で帰りたくなったのだが、子どもたちの「こうえんいきたい」「まつ」という強い意志と、後ろから車が来て戻れなくなったため、仕方なく待つことにした。 駐車場は50台ぐらいのスペースがあったように思ったが、今調べてみたら100台だった。そこ以外にもいくつかあるので、200台以上は止まっていたのではないだろうか。 それでも園内は混雑しておらず、子どもたちは自由にあちこち駆けて座って拾って(やめさせて)、そう

SNS

わたしのオンラインでのお家はTwitterにあると思っているのですが、個人で創作をして、それに少しでも興味を持ってもらったり創作物を購入していただいたりということをひろめたいと思うなら、いろんな場所に行って、それぞれに合ったかたちの告知なり宣伝なりをしていった方がいいんだろうなーとふと思いました(思っただけですが) noteはTwitterと切り離して使用しているのですが、今日ネプリのまとめをここにつくってしまったのでTwitterにも流そうかなーと思ってしまって失敗した感

アクセルを踏み続けたい願望に目をつむってはブレーキを踏む

長女が2〜3歳ぐらいの頃、乾燥肌になり皮膚科に行った。そのときもらってきた薬をちまちま使用していたのだけれど、それが年明けにとうとうなくなってしまって、病院に行かないとと思っていた。 最初右腕がひどかったのがここ数日左腕がひどくなって、汗疹?と思うような広がりを見せて、これは行かないと行かないと思ってようやく今日行ったらとびひと診断された。乾燥肌で痒くなった皮膚をかいているうちに雑菌が入ってしまったのだ。塗り薬以外に抗生物質を処方された。2月になっても完治しなかったら再診しな

あたたかく冬をたたいている雨は雪になれない春にもならない

新しい年が始まって14日経ちましたが、未だに旧年の振り返りせず、新年の目標も立てていません。 育児日記だけは今のところ毎日書き続けています。 今年は家事の手帳を追加しましたが未使用です。 創作用の手帳は、去年と似た感じのものを1冊使って、新しく追加したガンチャート式未使用。 短歌を詠むのと、ゼンタングルという模様を描くのは続けています。小説が全然書けていませんね。年末に書きたかった作品が2つほどあるので、そちらも少し手をつけていきたいところ……という感じでなんとなく新しい

珈琲を飲めるしあわせ堪能す罪悪感は夜に閉じこめ

母乳が出なくなったので珈琲が飲めるようになったんです、みたいなことを言ったら、良かったですね、というようなことを言ってもらえた。そのひととはその時が初対面だったけれど、ついったやメールで何度かやりとりをしていて、やさしいひとだと知っていたし、実際その言葉には嫌味のひとかけらもなくて、とても素直な肯定だった。本来なら喜ぶべきところだった。 でも、わたしは後ろめたい気持ちになった。それはつまりわたしのなかにいなせない気持ちがあったのだ。次女はまだ三ヶ月。本当なら搾乳でもいいから母