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歩きながらあり方について考えてみた

最近、山を歩いたりして自分の心地よい感覚を楽しんでいます。
以前は、ハードに走ったり、トレーニングしていましたが、
健康を維持するためには、
身体を心地よく動かす習慣を積み上げる、
無理なくできることを積み上げる方が、
長く続くし、効果的というか、
日々の暮らしと調和するように思うのです。

皿倉山から北九州市を臨む

歩きながらふと考えたのですが、心地よさって、
自分のあり方の裏返しのように思うわけです。
自分のあり方で、すべきこと、大切な人、楽しみなことを選択して、
そこから得られる感情こそが心地よさ…。

ソクラテスは「生きているだけでは人生の意味がない。」という言葉を残しましたが、多くの人が人生を「自動化して」生きており、
「昨日うまくいかなかったことを繰り返す毎日」を送っています。
不幸を訴える人の多くは自分の行動が自分自身やまわりの人、そして自分の幸福にどう影響しているかを考えることをやめてしまっている…。

このような日常のサイクルに一度入り込むとなかなか出ることができず、ゆえに意味ある人生を歩むのが難しくなります。幸せとは「絶望がないこと。」ではなく、「自分の人生には意味と喜びがある。」と人生を肯定的に捉えること…。

私たちは通常、自分に値するものではなく、自分が予想するものを受け取っています。不幸を語る人の多くは、自分の気分がどうすればよくなるかを理解しています。

彼らが有意義な日常習慣を行わないのは、「その価値を無視している。」ためではなく、「実行に移すためのモチベーションを持たない。」ためです。

だから、このような人々は、モチベーションを自ら上げることなく、気分がよくなるのを、ただ待っているだけなのです。

これをふまえ、幸せの3つの要素として、「すべき仕事」「愛する人」「楽しみなこと」があげられます。意味のある仕事をし、人間関係を保ち、楽しみな約束がある時、不幸を感じるのは難しいもの。

この時の「仕事」は有償・無償を問わず、自分に生きる意味を与えるあらゆる行動のことです。

自分の役割を果たせているかどうか、ここが問われているのです…。
この問いの答えこそが、自分のあり方であると思うのです。


人生で最も大切なこと、それは 笑顔で心穏やかに生きること。これだけで、私たちは、人として価値がある。これだけで、私たちは、まわりの人に貢献でき、まわりの人を幸せにできる。