見出し画像

真理を吐く否定敏感症を励ますインナーチャイルド、「お前が言うな」


「どうせ自分は」と、後ろ向きに自分を否定してしまう人がいます。
そんな自分のことを否定的という人に限って、人に否定されるとキレます。
いや否定してるわけではないのに、否定に敏感になってます。
それで他の人を否定することに鈍感なのか、簡単に否定してきます。

自分の痛みは理解されないと騒ぎ、
他者の痛みを理解しようとしない。
自分が苦しい苦しいと嘆くのに、
人が苦しい苦しいと嘆く気持ちを見つめない。


「真理」を語るタイミングや状況を逸している
人もいます。
職場である人がミスしたとする。
みんなでそのミスをカバーして残業しているとします。
みんながフォローとして、
「人はミスする。みんなで助け合おう」
美しい光景です。
ここで、ミスした本人が、
「人はミスする。みんなで助け合おう」
新たな高等ギャグと思うか、袋叩きか。
真理は正しくても、お前が言うな状態です。
これは例です。ここまでじゃなくても、小さく似たような感じはあります。

高次元からの助言は真理です。
ただ、同じ立場の人同士で言う時は注意しないとなりません。
自分がとっ散らかってるのに、君の心が整理される経験ですと言っても説得力ありません。
「受け入れて穏やかにいましょう。え!?、だから〜、穏やかに受け入れろって言ってんだろが!!ボケカスほんま!、お前の意見なんか知るか!」。…言動一致してます。
心で思っても同じです。

不幸に苦しんでいる人に向かって、「あなたは自分で作ってます」とは言えませんよね。
「私の学びのために、苦しい姿を見せてくれてありがとう」なんて、人の不幸までも自分の得になる考えになってます。
中立的な高次元の視点で言える助言であるのに、当事者がそう考えると、“職場のミスの人”と同じになってしまいます。
苦しむインナーチャイルドに、「今の私の学びのために、苦しんでくれてありがとう」と言えないですね。
インナーチャイルドに「いやお前が置いていった心じゃん」などと怒られます。

人に良い影響を与える人は、自分にも良い影響を与えるでしょう。
意見が違う人こそ、自分の盲目になってたことを気づくことがあります。
大人になって、考え方が変わっていったからこそ、子供のときの置き忘れた気持ちとは、違う人の意見みたいなものになります。
だからこそ過去の自分を癒せます。
インナーチャイルドを癒せる人は、癒されます。
そういられないなんて言ってるうちに、インナーチャイルドに精神年齢が追い越されるなんてことがあるかも。
いろいろ学ぶ前のインナーチャイルドに癒されるなんてこともいいかもしれませんね。
癒せるインナーチャイルドは、癒されます。
助けることもあれば助けられることもあります。


現在悩まされている人の多くが、機能不全家族で育ったアダルトチルドレンとのニュース記事を見ました。
大丈夫、みんなクラウンだから、互いにイネイブラーで、健気なプラケーターです。

深層心理の精神分析も、だいぶ体系だってきたようです。
あえて崩して考えてみたのを、お許しください。

誰もがその要素を兼ね備えているから、教えたり教わったりというより、一緒に考えていくのが良いかと思いました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?