LetterMeは、最高に贅沢な自分へのプレゼント
使う人に合わせて、それぞれのストーリーが生まれる「LetterMe」。これから毎月1回、LetterMeユーザーさんへインタビューを行い、そこで伺ったお話を記事にしてお届けしていきます。
第4回目は、LetterMe利用歴7カ月、関東地方にお住まいの、高橋 美紀さんです。LetterMeを利用する中で感じる想いをお話し頂きました。
気が付くと名刺が11枚、肩書きが26個に
2016年から茨城県の県北地域に移住して、ITを使った子育てで、どこでも自分の自由に働くスタイルを貫きながら、特に女性の起業支援やスモールビジネスのゼロイチのところのお手伝いをさせて頂いています。「女性」や「母親」のジェンダーの課題に対して、慣習とか新しい価値観を提示していく活動をしていたら、気が付くと名刺が11枚、肩書きが26個になっていました。
女性だから、母親だから、そんな言葉に違和感があった
私の両親は共働きで、祖父母のサポートとともに、幼い頃から暇さえあれば近所の子達とずっと外を駆けずりまわっている活発な子でした。一方で家庭の中では、父には「女だから出しゃばるな」、母には「男には負けるな」と言って育てられることに違和感を感じていました。
大学を機に上京し、多種多様な人たちとの出会いや、仕事を通していろんな挑戦をさせていただくチャンスに出会い、働く楽しさや人として認められることで、性差を問わず社会とつながりあう喜びを感じていた20代でした。
ただその後、結婚し母になった瞬間から、仕事が評価されるほど、家庭の中がどんどんぎくしゃくしていきました。やりたいことがたくさんあるのに「良き妻・良き嫁・良き母親」という言葉の枠の中に自分を当てはめねばならない葛藤や、社会から見える「良妻賢母」の理想像との乖離に、とても違和感を感じながらも、「自分さえ我慢すれば・自分さえ抑えていれば」という、モヤっとしながらも言語化できない思いを抱えながら、自分の気持ちを押し殺して、日々を必死に暮らしていました。
そんな中 夫の仕事の関係で茨城に移住が決まり、築き上げてきた地域とのつながりや仲間との縁が途絶えることになり、正直とても苦しい選択となりましたが、同時にこれが最後のチャンスだとも思いました。「全く私のことを誰も知らない人たちのところに飛び込んで、その中で信頼を得て仕事ができるとしたら、それはきっと私にしかできない何かの価値があるからだ。だから3年という期限を決めて、それで芽が出なければ、潔く周りの大人達が言うように会社に勤めていわゆる普通の生活っていうのをしよう。」そう覚悟を決めて茨城の地を踏みました。
そこから4年がたち、今は名刺が11枚、肩書きが26個となり、多角的な視点を持つことを強みに、居住地を越えて多くの活動ができています。
自分に手紙を書くことで、自分の思いが見えてきた
今動かなかったらきっといつか後悔すると思ったからですね。私の母は40歳で亡くなっています。その年齢まであと3年なんですよね。母と同じ年齢になった時に、自分が感じてきた孤独な子育てを解決したい!という思いに対して、課題がありすぎて、このままとてもじゃないけれど死んでいられない、そう思いました。
問題が複雑かつ膨大だからこそ、人生をかけてでも解決したいものを見つけられ、命や心を燃やして仕事にも臨めていますし、これまでの出会いや事象も、ありがたい経験だと思っています。
それと私は、死ぬまでに自分が女性として生まれてきたことを肯定したいんです。幼い頃から何度も自分が男に生まれてくれば良かったと思っていたし、社会のあらゆる場面で性別役割分業が根強く残っているので、今でもやっぱり「私が男だったらそんなことは言われないのに」と思うことが社会のあらゆる場面で遭遇します。出産したことで子供達が性差によって翼を折られることがないように、次の世代に負を残さないために、多様な価値観をまずは知り、私たち親の世代が楽しんで変えていきたいと思うんです。LetterMeで自分に手紙を書くようになって、自分の根幹にある思いが改めて見えてきました。
自分の弱さを、手紙の前では吐き出せる
どんなに肩書きが増えても、私自身は自己肯定感がすごく低くて、自分自身をまだ認められないでいます。だからまず、次の月の自分に「お疲れ様、よくやった!」と伝えて、自分を認めてあげています。他には、子供たちの新学期がもうすぐはじまるとか、このプロジェクトが始まるからこれからきっと忙しくなるとか、自分が感じている不安や、来月になったら起こり得る事象とか、そんなことを思うままに書き出してます。
自分の弱さを、なぜか手紙の前ではさらけ出させるんです。人前へ出る時は、ない自信を振り絞って、少しでも誰かに、「お母さん」って面白いんだとか、働くことや社会に出ることって楽しいんだ、と思っていただきたいからこそ、弱音を吐けないんですよね。だからLetterTimeの時間で自分の弱さに向き合っています。自分を過大評価しすぎず、かといって卑下もせず、「大丈夫、誰もそんなにあなたに期待してないから」と言って、でも「ちょっと頑張れ」と言って自分を応援する。そんなことを手紙には書いていますね。
自分の生きてきた証が「LetterMe」に残せたらと思う
手紙を書いている姿を子どもたちが見て、私を気遣ってくれるようになりました。私が知らないうちに、手紙を読んでいるかもしれないですが、それもいいなと思っています。
自分の弱さをちゃんと子供達にも見てほしいと思います。母を亡くした時に思ったのは、私も母に過大な期待をしていたということでした。だからこそ、等身大の自分をさらけ出して、理想の母親とは違うかもしれないけれど、うちのママは普通のママじゃないからね、とどこかで思って貰っている方がお互いにとっていいと思うんですよね。
いずれ自分が死ぬときに、このLetterMeが子供たちの目にとまって、ママも結構悩んでいたんだとか、頑張っていたんだとか、そういった弱い部分もしっかり分かりながら、「そっか、だから私もこれでいいんだ」という風に、弱さをお互いに認めあえるようなものとして、ある意味「遺書的」な思いも残しながら手紙を書いています。ママも必死に生きて来てたよっていうような証が、このLetterMeに残せたらいいなと思いますね。
思いが言語化されて、自分にとって大事なものが何かわかる
LetterMeを始めてから自分の気づきたくなかった部分に気づくことが出来ました。今までは、家族との関係性も含めて、色んな自分の弱さに蓋をして鎧を着ていたのですが、そんなこと必要ないと思えるようになりました。
そうやって自分に向き合っていると、自分の事業にも影響があって、自分の命をどう燃やしたいのかとか、何を助けたいのかという部分を、改めてLetterMeの中で少しづつ言語化することが出来ています。毎回のLetterTimeで、私はこれまで書いた手紙をいつも全部読み返すのですが、どんどん月が進むたびに、より詳細に自分の思いが言語化されていっています。自分にとって大事なものが何かわかる、そんな感じですね。
「最高に贅沢な自分へのプレゼント」
LetterMeは「最高に贅沢な自分へのプレゼント」だなと思います。
ありがたいことに、事業が回らないくらい忙しくさせて頂いていて、毎日自分の時間を削って落ちるように眠る生活をしています。そんな毎日の中で、このLetterMeの時間は、最高に贅沢な自分へのプレゼント、ご褒美の時間として、毎月本当に楽しみにしています。
エステに行くのも、洋服を買うのも、美味しいごはんを食べるのも、お金を払えば得られるものですが、このLetterMeで得られる時間や、自分との対話を通して見えるものは、お金で簡単に買えるものではないんですよね。だから私は自分への最上級のプレゼントだと感じています。
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