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大学生の質の変化
大学数が増え、大学進学率が50%を超えた現在では、大学生の質は一昔とは違っています。
一番分かりやすいのが、本学のような、いわゆるFラン大学生が現れたことです。
義務教育を理解出来ていない大学生なんて、1990年代までは考えられませんでしたが、今や、志願者のほとんどが合格してしまうザル入試をおこなう大学は珍しくなく、結果、大学教育についていける学力を持たない大学生を爆誕させています。
今回はいつもの底辺大学の話ではなく、旧帝大といったトップ層の話です。
難関大学の学生であれば、今も昔も超優秀で、勉学にも研究にも熱心でしょ?と思うかもしれません。
勉強ができて優秀なのは今の大学生も間違いありません。
しかし、大学生の意欲については明らかな変化があります。
これは、某旧帝大の理学部の教授から直接聞いた話ですが、卒論に取り組む学生の姿勢が随分変わってきたそうです。
かつての大学生は、研究が楽しい!真理を明らかにしたい!という、研究者と同じ気持ちで積極的に研究に取り組んでいたのですが、最近の大学生は卒論の単位を取るために淡々と課題をこなすような感じだそうでです。
おそらく、これには大学進学率の上昇が関係しているのではないかとその教授はおっしゃっていました。
進学校の高校生は、周りのほとんど全員が当たり前のように大学に進学する環境に置かれて、本人も特に目的意識も持たず大学進学を選択します。
その際に、勉強が超できる高校生は、偏差値的に入れそうということで、旧帝大を選んで受験し、そして、見事合格し、入学します。
つまり、高校進学と同じノリで大学に進学しているのです。
大学入学後に学問の楽しさに目覚めればよいのですが、多くの場合、卒業に必要な単位を取りつつ、自由な大学生活を楽しみ、就活に励んで、そして卒業してしまうのです。
本来、大学は勉強ではなく学問をするところです。
昔は、○○大学で△△学を学ぶぞ!とか、□□教授の研究室で研究するぞ!といった動機で大学に進学する学生が多かったとおっしゃっていました。
昔のように学生と一緒に研究を楽しむことがめっきり減ったと語った時の教授の寂しい表情が印象的でした。
大学進学率が上昇して、多くの若者が学問に触れる機会ができたのは良いことだと思います。
しかし、大学進学が多数派になってしまうと、残念なことに、意欲的な学生が減ってしまうという弊害が生じてしまいます。
総合型選抜や推薦入試で高校生の意欲を評価する流れもありますが、このような入試制度があるからといって、急に意欲的な学生が増えるわけではありません。
こんな状況では、これから日本で研究者が育たないんじゃないかなと心配になりますね。