はたらく女性にあこがれていたら、最高の夫婦のカタチになりました
わたしが子どものころ、
母は働きながら子育てをしてくれていました。
小学校のときの学校の書類には、
ほかの子の保護者欄には父親の名前が載るなか
わたしのところだけは母の名前になっていて、
なにも知らない幼いわたしは
“わが家は、母が支えているんだ”
“はたらく母は強くてかっこいい女性だ“
なんていう思いをずっと抱いていました。
ただ、母がみずから望んで
“働く女性”になったわけではないということは
自分がおとなになった今はわかります。
わたしの両親は事情があって、
結婚せずにわたしたち姉妹を産んでいます。
なので実質うちは母子家庭のようなもので
(だから保護者欄も母の名前になっていた)
母は家族のために必死で働いていたのでした。
でも母はつらそうな様子を見せなかったので、
「わたしもバリバリ働くかっこいい母になる!」と
子ども時代はのんきに考えていました。
その後おとなになったわたしは、
希望していた仕事に就いて働きはじめます。
社会人になって実感したのは
“男性が働いて女性が家事をするのが当たり前”
と思っているかたがまだまだ多いということで、
さきに結婚した友人は
旦那が家のことを全然やってくれない、
子どもが産まれてからはとくに大変になった
と愚痴をよく言っていたことをおぼえています。
わたしはそんな話を聞くたびに、
“男女の性別によって役割が決まる”ということに
なんとなく違和感を感じていました。
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はたらきはじめて何年か経ったころ、
いまの夫と出会い、結婚が決まります。
出会ったとき、夫は公務員でしたが
結婚してから1年ほど経ったとき
その仕事を辞めるという大きな決断をしました。
転職の理由はいろいろありましたが、
夫の人生なのでやりたいことをやってほしい、
そして「何事もやってみないとわからない」
という思いもあって、わたしも応援しました。
転職活動はなかなか大変そうでしたが、
すきな仕事ができるようになった夫は
本当に楽しくてしょうがないという様子で
わたしも見ていてうれしくなりました。
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そんな環境の変化もだんだん落ち着いてきて、
夫が抱いていた「子どもが欲しい」という
もうひとつの願いについて考える段階になると
わたしたちにはひとつ心配なことがありました。
それはわたしに身体障害があるということです。
じぶんが日常生活を送るには問題がなくても、
いざ子どもが産まれたら
その子を安全に抱きあげることができるのか。
何かあったとき、子どもを守れるのか。
そんなときに、夫が
「俺がメインで子育てするのはどうかな」
と提案をしてくれました。
夫は在宅でできる仕事をもらえるようになり、
フルタイムで出勤しているわたしよりも
時間に融通がききやすいという面があります。
夫が家にいて、妻が働きに出る。
いわゆる夫婦の役割とは逆かもしれないし、
最初からそう意図して結婚したわけではないけど
結果わたしたちはそんな形に落ち着きそうです。
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「普通」や「まわりと同じ」というのは
とても安心できる生き方で、
身体障害があるわたしも
事実婚状態だったわたしの両親も
安定した仕事を自ら手放した夫も、
できることならなにも考えずに
「普通」に生きられたら楽だったと思います。
でも、「普通」といわれる方法で生きられない、
「普通」が心や体に合わない人もいます。
いま、わたしたち夫婦は
それぞれがやりたいことをやって、
とくいなことを担っておたがいを支えている。
すごくいい関係だなあと思っています。
親世代のかたには心配をかけてしまっているし、
課題もこれからたくさん出てくると思いますが
その都度ふたりで最善の選択をしていけたら、と。
さいきん夫は、今まで以上に
料理などをがんばろうとしてくれています。
わたしも、子どものころ思い描いていた
「バリバリ働くかっこいい女性」とはいかずとも
こできるだけお仕事を続けていけるよう
ほそくながく、無理なくがんばっていきたいです。