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弱い人の言葉を伝えることを、市役所に勤める私の役割にしたい

市役所に勤めて27年、50才になりました。
役職定年まであと10年。

粘り強く生きてきて、よかった・・・

いやいや、それもあるけど、
今日のテーマはそうじゃ、そうじゃないよ。


観察し、考え、微笑み、泣き、ときに勇気を出し、
粘り強く、歯を食いしばり、
愛と平和を愛して生きてきた者(笑)として、

誰かをうらやむことも、
自分を必要以上に卑下することも、
人生を悲観することも、
誰かを軽んじることもなく、
仕事でも、車の運転、人にかける言葉、
買い物の選択など、自分の行動を通じて、
誰かを大切にし、誰かに大切にされ、
社会に関わっている、社会を支えている、
いい意味で歯車になれている自覚はあります。

社会をつくる一員として、社会をいい方向に変えていきたい

自分の行動で、社会をいい方向に変えていきたいなぁと思います。
この社会をつくる一員として、社会をまわす歯車として。
責任を持ちたいなと思うわけです。

今日はそういうテーマ、そういう気分。


私は恵まれている

私は恵まれています。
確かに、恵まれています。
神様から与えられたものはたくさんあります。
安心して努力できる機会も与えてもらいました。

19才の夏、パスポートをとって、初めて飛行機に乗って、
オーストラリアの地を自分の足で踏んだとき、
なぜだか、
ご先祖様や、今まで苦労された諸先輩方に対する
感謝の気持ちがわきました。

平和をありがとう。
勉強させてくれてありがとう。
技術をありがとう。合掌。

ケアンズで見た夜明けの太陽に、
この、いただいたご恩を
どうやって返していけばいいのか、
先人の皆様のことを思うと、
身に余る幸せのように思ったものです。

オーストラリアでは、太陽が北に昇るせいで、
太陽の位置が南だと自然に思い込んで、
地図を見てしまった私は、滞在中、
いつも180度進む方向を間違ってしまいました。

将来の進むべき方向というより、
今進む方向を正しく進めよ、という感じでしたが。


私は弱い

恵まれているからといって、
弱いところがない人はいません。
誰も『弱者』の要素を持っています。

まずひとつめ。私自身が女性であること。

私が勤める市役所では「防犯カメラ」の設置が進んでいます。
市長の第一の公約だそうで、
何が何でもレンズ付きカメラをまちじゅうに設置すべく、
猪突猛進しています。

去年の今頃、市長に、「なぜ設置するのですか?」と
理由を尋ねたのも、市役所で私だけだったようです。

市長はきょとーんとするばかり。即答しませんでした。

しばしの沈黙の後、
親切な私は、選択肢を示しました。
「犯罪が多いから抑止力としてですか?」
「こどもがどこにいるのか見守るためですか?」
「認知症高齢者が徘徊先を見守るためですか?」
「夜道が不安な女性の安心のためですか?」

市長は、60代の男性です。
上の4つのうち、
上の3つには、うっすらうなづく反応はありましたが、
4つめの女性のため、には、明確に首をヨコに振りました。

わかってはいたものの、なんだか残念でした。

パトロールやポスターで犯罪を防止するのは
どっちかというと治安を保持する警察の役割だし、
防犯灯なら市役所かな、でもですよ、
録画、レコーダー機能として、
事故の捜査をすることは警察の役割。

こどもや高齢者がどこにいるのか見守りたいのであれば、
今の時代、カメラのレンズが必要なわけじゃない。

カメラを設置するのは、女性のためでもある、
くらい言って欲しかった。
せめて、女性の安心もないわけじゃないと、
言って欲しかったけどな~。

ま、彼では無理だろうなとは思ってたけど。

「女性というキーワードはないのですか?」
再確認したけど、ああ、だめでした。

首をかしげる市長。
防犯カメラに女性のためにという発想はないそうです。
ああ、しかたがない、
このおじさまには今までもそんな発想はなかったもんね。

「女性を大切に」なんて言葉にすることが女々しいという、
「男らしさ」「力強さ」にこだわるおじさま
というキャラクターだもんね。
「子育て」もいまいち説得力がないし、
「教育」「学力」なんて、もっと。

反省すべくは、弱い立場の人を守る公務員として、
「女性を大切にする」という言葉を、
明確にすることができなかった、
あきらめてしまったことかなあと思います。

せっかく女性が企画政策部門の責任者になっているというのに。

どれだけ世の中の女性が怖い思いをしているか、
言葉を勉強して、伝えられるようになりたいなあ。

今の社会ではまだまだ弱者である女性のために言葉を発し、
社会をよく変えていきたい。
私ができるご恩返しをしたい。
改めて、そう思います。

次に、対人関係に障害がある息子の母として。
彼が自立するまでには、まだまだかかりそう。
定型的な発達にある子でも、
自立するのが難しいというのに。

チャレンジしなければならないことが、
人様に助けていただかなければならないことが多い。
『天才的な才能があるんじゃないか』という、
無責任なポジティブすぎる決めつけに、
さらっとかわしていかなければならない。

彼の苦しみ、つらさと言うものを、私が言葉にしたい。
ひたすらな我慢、暗い気持ちに沈むのではなく、
誰もが楽しく、できることを楽しく、そんな社会に。
それが、息子だけでなく、
困難を持つ人へのエールになれば。

この息子が自立できるのであれば、
他の誰かも救えるのではないかと思います。

自分の人生も自立するまでもがき苦しみましたが、
もう一度、息子の人生でも体験する私。('-'*)がんばろー


noteに何を綴るか

繰り返すと、私は残りの人生、自分の行動を通じて、
この社会をよいものに変えて、
次の人に引き継ぎたいと思うのです。

このnoteには、
私のパートナーに対する想いも記録してきました。
消してはいませんが、
むしろ今も書いていますが、クローズにしています。

実名がわかってしまったとき、
そういう気持ちは、公にはなってほしくないなと。

noteを通じて私が何をしたいか、考えたとき、
市役所に勤めるなかで感じたことを伝えたいと思います。
そうなると、少し具体的になりすぎて、
私の実名がわかる人にわかってしまうかもしれない。
関西の市役所の企画政策部門で女性の責任者というと、
ずいぶん限定されてしまいます。

パートナーへの気持ちよりも、
弱い立場の誰かを代弁したい。
その決意を、その言葉を読み返して、
自分をエンパワーメントしたい。

実名がわかったとき、
パートナーへの気持ちはむしろ邪魔になりはしないか?

ので、クローズしました。


四柱推命という占いでは、
私は今年から少しずつよくなっていくそうです。

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