高階秀爾『続・名画を見る眼』


「名画」と「芸術家」が存在する社会とは?

前回の記事では、高階秀爾氏『名画を見る眼』の紹介にこじつけて、油彩画の誕生から、芸術家が社会にケンカを売るようになるまでの、西洋美術史を自己流に(雑にともいう)まとめました。
それは「名画」や「芸術家」が生まれた後、社会の中で存在を主張するようになるまでの歴史であり、社会を主導する存在が、宗教や王侯貴族から市民になっていく歴史でもあり、人々の心が、信仰から自分自身の内面や欲求に従うようになっていく歴史でもありました。
人々が世界を、既存の宗教や階級に教えられたように見るのではなく、自分の眼で見るようになった時代。その眼は、自分自身の精神の内側から、海の向こうの未知のジャングルまで。あるいは不可視な社会の構造まで、見る事になりました。
『続 名画を見る眼』に登場するのは、そうして見いだされた光景を、形に残そうとする人々。そして悪戦苦闘の結果、残された物たちでした。

モネ『パラソルをさす女』

印象派の解説でよくある、視覚混合の解説。
例えば、以前ならオレンジ色を塗りたければ、パレット上で赤と黄色を混ぜて色を作る……あるいは、薄く赤と黄色を塗り重ねることで、カンバス上に実際にそのオレンジ色を作っていた。それが印象派では、赤と黄色を隣り合わせに置いて、それが見る者の視覚上、混ざり合ってオレンジ色に見える。カンバスの上にはオレンジ色は存在しない。

この視覚混合の技法自体は、ずっと前からあるのだった。ベラスケスの描くマルゲリータ王女の衣装のレースには、筆跡そのまま残っているし、ゴヤなんてタペストリーの下絵職人だったから、限られた色数の糸で色や明暗を表現する技法として、あらゆる絵画で使いまくっている。ターナーに至っては、形も影もなくなって、色と光だけの画面になっている。

使う技法が、それ以前から使われていたモノと同じならば、印象派は、いったいなぜ、ここまで革新とされるのか?

それは、先の例から言うのであれば、
「カンバス上にオレンジ色が存在しなくても、見た者が、そこに『オレンジ色がある』と感じることができれば良い」
という事だ。
カンバス上に、描いた対象が存在しなくてもよい。見た者が感じればよい。
この絵もそのように描かれている。絵全体を見れば存在感があるこの女性も、草原も青い空も、近づけば全てが絵具の流れの中に消えてしまう。カンバス上に存在しない。パラソルの柄なんて、最初から消えてしまっているし。

カンバスの上に描かず、見る者に感じさせる。この発想は、芸術家にも、鑑賞者にも、無限大の自由を与えた。しかし、それは両者に無限大の責任を負わせることにもなった。
芸術なのか、何か描かれているのか、意味や価値は?
それら全てが、描く者見る者の、自己責任になっちゃった。
地獄のカマのフタが、パカチンと開いてしまったのだ。

モネの晩年、ほとんど視力を失いながらも描き続けた睡蓮の池。カンバスの上には睡蓮の池は存在しない。見る側の視覚にも、もう存在しない。そこにあるのは、色と光のグラデーションのみだ。しかしそこに睡蓮の池がある、というイメージだけが、カンバスの上の絵具のシミと、見る者を結び付けている……

「印象」の不確かさから、どう逃げる?

作品が、カンバス上には存在しない。見た者の視覚の中にある。では作品を創るとはどういう事だ? 芸術家というのは存在するのか?
そんな不安に耐えられなかったのか、何らかの解答を出そうとしたのか、後期印象派は、あの手この手と模索する。

ルノワールは、ちゃんとモノをカンバスの上に描くことを 選んだようだ。それも裸婦や肖像画、風俗画といった、古来の題材に回帰していった。古典主義に一度立ち返ってから、人生の集大成として描いたのが『ピアノの前の少女たち』なのだろう。印象派の技法として筆致を残し、視覚混合も使っているから、モノから思い起こされる質感と、絵具が表現する質感が食い違っていたりして、どこか夢の中のよう。それは若い女性の纏う、フワフワした温かい空気のようだ。イレーヌ嬢やシュザンヌ嬢などの肖像画にあったあの空気。

セザンヌはデッサンが不得意で、カンバスに形を忠実に再現できなかった。それでも、その作品は魅力的だった。
どんだけ魅力的だったかというと、印象派のメンバーたちが「対象の色彩をカンバス上に再現しなくてもよい」という理屈を、「形も再現しなくて良い」と拡大していったほどだ。他のメンバーが、色彩を三原色にまで分解しようとしたように、形態も球、円筒、円錐に分解することを主張した。色彩も、形態を示すための道具となって、印象派の色使いとは思えない方向に進んでゆく。この『温室の中のセザンヌ夫人』では塗り残しすらある。しかし、そんな塗りの濃度の違いが空間を暗示して、形態の存在感を増す。そうして、対象を再現したものではないが、カンバス上には、確かな存在感を示す形態が積みあがっていく。

色も、形も、対象に忠実じゃなくて良いならば、何に忠実であるべきか? 対象を前にした時の、自分の心象に忠実になればいいのか? ゴッホはそれで、苦しい感情の開放を試みていた。『アルルの寝室』はその一つ。ヒマワリや糸杉ならアレゴリーの意味付けが強いけれど、寝室となれば、純粋に彼自身の心象風景に近いだろう。高階氏も「これはもう一枚の自画像だ」と書いている。ともすれば、麦畑も教会も浮世絵の模写すらも、その魅力はゴッホ自身の感情の表れだから、自画像の一種だと言えるかもしれない。
そんな自由を芸術家に与えたのは、やはり印象派の功績なのだ。しかしこれは同時に、作品の価値が認められないのは、作者自身が認められないのと、同じ事になってしまった。
また一つ、芸術家に苦しみを背負う運命が加わったのだ。

ゴッホ同様に、ゴーギャンも自己の感情を作品にぶちまけるタイプだったんだけど、内向きのゴッホとは正反対に、ゴーギャンはエネルギーが外に向かっていたようだ。その結果、実生活で迷惑かけまくって、欧州にいられなくなるレベル。酷いクズ人間だと後で知って、ずいぶんショックを受けた。
芸術家が周りを苦しめるパターンも生まれてしまったのだ。

元々は、人間の視覚を再現し、より対象を写実的に描写することを指向した印象派だったのだけど、行き着いた先は、現実から離れていくばかりだった。スーラ『グランド・ジャット島の夏の日曜日の午後』は、その最たるものだろう。描かれた対象よりも、描き方の印象が強い。しかし、始めた者たちの意図とは違っていたけれど、技法そのものを作品の魅力とする、新しい芸術のあり方がここから始まった。後に、イラストレーションへ向かう道。

大都会・人外魔境・精神世界。

ロートレック『ムーラン・ルージュのポスター』。
この時期、印刷技術が発達し、文化の爛熟と繁華街の隆盛が興り、ポスターをはじめとする印刷物が街を埋め尽くす。
その一方、芸術に対する考え方も変わった。
作品に価値や意味を与えるのは芸術家の感情。それならば、見る者の感情も、同様に作品に意味や価値を与えるはずだ。どれだけの人の眼を引いたか、人の心をどれだけ動かしたかが、作品の価値とされるようになる。美術として認められるようになる。

印象派が流行った理由には、一作毎の制作期間も費用も軽く、特別な富裕層でなくとも購入可能になったのも、大きかった。こんどは印刷である。もっと安くなる。
ポスターなんて、貼ったら貼りっぱなし、使い捨てだ。
そうした結果、芸術の受益者、またそれを支える階層は、王侯貴族や教会から、富裕な市民層になって、とうとう一般庶民になった。
日本の浮世絵なんぞと同じですね。この後、アーツ・アンド・クラフツ運動だの、アール・ヌーヴォーだの、バウハウスだのに続いていく。

ムンクが描いている精神世界は、こちらが夢見る世界ではなく、一方的に迫って来る現実だ。この『叫び』は、描かれてる人物が叫んでいるのではなく、聞こえてくる自然の叫びに耳を塞いでいる、というのはよく語られる話。
ゴッホもそんな感じで悩んでいたと思う。しかし、ゴッホは目指すものがあって、やりたいことがあって、悪戦苦闘した結果、身を焼かれるような苦しみを味わっていたんだけど、ムンクの場合は受け身というか、ムンクは何も悪いコトしてないのに向こうから来る悲哀だ。彼の作品がやたら寒々しく不安なのは、白夜に凍る北欧だからかな?

享楽的な都会の芸術がロートレックなら、ジャングルや砂漠を夢見るのがルソー。田舎の小役人のお爺さんが、夢に見る遥かな外国。芸術家でなくても、自由に創作を楽しめるし、それが評価されるようにもなった。
芸術活動の舞台が、ローマやパリ、アムステルダムといった文化の中心地である必要はなくなった。芸術家の立場や活動も、さまざまになった。作品が登場する場面も、その有様も、とめどなく拡散していく。

「名画」も「芸術家」も、消え去ってしまうのか?

マチスからモンドリアンへ。画面の色彩分割。
モネの視覚混合、スーラの点描と、対象の実際の色彩に捕らわれず、与えられる印象から色彩を配置する手法が、もう行くところまで行ってしまった。
芸術家の思いのままに色彩が組み合わされる。
マチス『大きな赤い室内』は、ピアノのレッスンの風景だろう。想像はできるけれど、具体的な細部は分からない。窓らしき四角にかかる三角形は、陽射しなのかカーテンなのか家具なのか。背後に人物のシルエットらしきものが見えるけれど、誰なのか。座っているのか立っているのか。
分からないけれど、雰囲気だけは伝わってくる。むしろ、具体的な描写を廃する事で、雰囲気の表現に全振りしてるまである。
モンドリアン『ブロードウェイ・ブギウギ』は、タイトルでようやくブロードウェイの絵だとは分かるんだけど、さて、格子状の道路を上から見ているのか、風景から抜き出したネオンサインなのか、視点すら明確じゃないのに、ピカピカ光るモノが、音符のように並んでいるだけで、ああなるほど、確かにコレはブロードウェイだ、という気分になるから不思議……いや、不思議ってワケじゃないか。モンドリアンが上手いだけだ。

ピカソからカンディンスキーへ。立体が再構成される。
セザンヌから始まった、立体だってバラして、も一度、組み立てなおしてOK。『アヴィニヨンの娘たち』も、バラされて組み直す時に、腕の向きが分かるパーツを失くしてしまい、その一方ではアフリカの彫刻まで混ぜられちゃうという、フリーダム具合。
カンディンスキー『印象・第13番』は、もうタイトルで印象だと白状しちゃってる。何が描いてあるか、想像できるのは、馬に乗った人物らしいシルエットくらいだけど、後ろに正体不明の丸い物が浮いてたりするので、もう分からない。

マチスやピカソ、この本には出てこないけど、ピカソに並ぶキュビズムの作家ブラックなどの絵には、他にもヴァイオリンやギターが出てきたり、演奏をしている人物など、音楽を題材にした作品も多い。
抽象画は、絵画よりもむしろ音楽に近いのかもしれない。
線のリズム、色のハーモニー、立体のボリューム。
絵画は、何が描いてあるかを読み取るのではなく、どう描いてあるかを感じ取るものになった。

最初の芸術家ファン・アイクは写実を徹底し、その名画は、背景の細々したアイテムから、メッセージを読み取らせるものだった事を思うと、あまりの変わりようだ。

しかし音楽だって、楽式論だのコード進行だの和声学だの対位法だの、実はとんでもなく理論的であるように、抽象画も理論化されてゆく。カンディンスキーが『点・線・面』を書き、バウハウスが設立される。

いつしか「絵画」は、その理論に沿っているものかどうか、あるいは「現代アートの文脈」に従っているか、社会問題をどう扱っているかで、判断されるようになる。
「画家」は、どこで教育を受け、誰の下にいたか、どこの団体に所属しているかで、評価されるようになっていく。

かつて「芸術家」や「名画」が生まれる前のように。
「絵画」が、教義に沿っているか、神話や歴史をモチーフにしているかどうかで評価された頃のように。
あるいは「画家」が、王侯貴族の庇護を受けているか、誰の弟子か、アカデミーやサロンに所属しているかどうかで判断された頃のように。
そうなった時……
「芸術家」や「名画」は、存在していると言えるだろうか?

シャガール『私と村』

しかし、寓意が理論になっても、どんなに高度になっても、それは実際に存在するものを説明する方法でしかない。
印象派の色彩理論は、陽射しの下の自然を捉えたかったからだし、キュビズムの理論だって、時間の流れと空間を占める存在を、可能な限り写し取りたかったからだし、色彩や形態の研究も、それを美しいと感じる事実があるからこそだ。

心を動かされる、動かされる心を持っているという事実が、全てに先行して存在するのだ。

新しい家庭を作る夫婦を祝福するファン・アイクの心から、画業への志を、故郷への想いで支えるシャガールまで。

故郷の村のロバと、都会のパリに暮らす青年。
遠いはずの距離を超えて見つめ合い、心を通わせる。
夢のように流れる故郷の風景。
まるでファン・アイクのあの絵のように、背景にちりばめられた物たちには、全てに、何か逸話があるのだろう。たぶんその意味を知っているのは、シャガールだけだろうけれど。

……昔に読んだ本を読み返して、再び理解を深めようとして、逆にワケが分からなくなってしまう。よくある事です。

高階秀爾氏の著作には、ゴヤ以降の西洋美術をさらに詳しく解説した『近代絵画史(上・下)』もあります。
確かこれも昔、読んだはず。これも読み返したいところ。
また感想が書けるかどうかは分かりませんが。

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