読書記録 『母親からの小包はなぜこんなにダサいのか』
昭和、平成、令和――時代は変わっても、実家から送られてくる小包の中身は変わらない!? 家族から届く様々な《想い》を、是非、開封してみてください。
“ピンポーン” 玄関を開けると宅配便の方が、ダンボールを持ちサインを求めている。受け取り伝票を見るとそこには母の書いた文字。送り主の欄には母の名前が書かれている。
使い回しのちょっとくたびれたダンボールには、溢れんばかりの食べ物に始まり、いやこんなのいらないよと思わせられるものまで…。
でも、この一つの小包から子を思う親のちょっと不器用な愛の形を感じることのできた作品でした。
六つの物語で、短編。その一話ずつが子と親を取り巻く物語。
子どもに対して束縛気味の母親にそんな親元を離れて暮らす娘の話や、良しと思って言っていたことが結果、親と子の間に相違があったり…。
そんな親子の関係をちょっとだけ好転させるのが小包。
親元を離れ暮らす子どものことを思うあまり、箱にぎゅーぎゅーに詰めて送ることが、多分それが親として今できる精一杯の愛の形なのだろうなと思うとほろっときた。
親からでしか得られない愛の形というものがあるのかも…。
そして「最後の小包」という話はグッとくるものがあった。
親子の関係って、なんだか不思議。
血が繋がった同士だから、似ているところもあれば、全く似ていないこともあり。感謝・尊敬しつつも、時に反面教師として親を見ていることもあったりする。
でも、親といえども、親の前にひとりの人間なんだよな…と。
小包というものを通じて、親子についてまで考えてしまった。
この本を読んでいて、ちょっとだけ親から小包が届くということに憧れを抱いた。
実家は出ていても、電車で通える距離。そのため小包が送るより会った方が早い。
でも、本を読んでいてもし届いたら、どんな感情になるのか想像しながら読むのは何だか楽しかった。
届いた荷物を開封する時って何だかドキドキしませんか?わたし自身、自分で頼んだAmazonの荷物ですら開ける時ちょこっとわくわくします…笑
わたしの中で小包の思い出として残っているのが、札幌に住んでいた祖母から冬になると届いた冷凍で冷え冷えになったダンボール。
その中には、いくらや数の子、それにお餅ににしん漬け。
にしん漬けは祖母の手作りで、大好きだった。特によく漬かった大根!
でも、そんな祖母はまだまだ元気だが訳あって札幌からこちらに越してきた。すぐ会いに行ける距離にはなったし、高齢の祖母のことを思うといろいろ安心。
だけど、もう祖母から小包は届かないし、祖母特製のにしん漬けも食べられないと思うと心の奥がぎゅーっとなる。
あぁ、おばあちゃんに会いたくなってきた。
にしん漬けのレシピ、まだ覚えているかしら…?一度挑戦してみたいな。
小包って、送る側から受け取る側のことを思って作られる愛の塊だなと思う。
届いていた時は、今年もきた!と当たり前のように感じていたが、届かなくなってそのあたたかみを改めて感じる。本当こういうのって、いつもなくなってから気づいて後悔する。あの時ああしていれば…と思うことがないようにしていきたいもの。
ちょっと話が変わって、本の中に「北海道のお赤飯」というワードが出てくる。
生まれは札幌のわたし…だけれども、一度も食べたことはない。道産子の父はあるそうで、何度か話を聞いたことがある。
普通のお赤飯は小豆だが、北海道は小豆ではなく、甘納豆!
お赤飯に甘納豆!(大事なことなので2回言いました笑)
お赤飯が甘いそうなのです…想像しても味を想像できないし、頭の上に?マークがいっぱい。
食べてみたいと思いつつ、ちょっと不安。
桜でんぶがかかった甘いご飯を好んで食べるかと言われたら、答えはNO。
ご飯に甘いものという組み合わせが少し苦手。
九州地方にある甘い醤油の話を聞いた時には、醤油が甘いってどういうこと!?と驚いた。わたしの味覚は東北仕込みで、将来血圧が心配です(笑)
と、本の感想を書いていたのに気づけば全く違う話に…。
いつか自分の子が出来て、親元を離れた時に小包を送るなんて日が来るのだろうか?
ちょっと楽しみ…!
いつかくるかもしれない、そんな未来に思いを馳せながら…。