未だに やっぱり 「学校 行きたくない 嫌い」な20歳の私
小学校から高校の学生生活で失ったものを、社会の中で今、取り返しているような気がする。
失ったものっていうのは、自分の考え方、感情の面での話。
具体的には、「自分がやりたいこと」や「自分の好きな物」「自分の特性」「自分の価値観」「これからの自分の人生のこと」とかかな。
もちろん、九九とか漢字とか、学校にきちんと通うことで学問的な基礎ができてるのは違いないんだけど。
そして、学校に通うことで、他の環境を知ったり、貴重な経験をしたりっていう良いこともあるのはあるんだけど。
それって、自分の価値観とか大切なものを変えて、そして「生きるのって苦しいことなんだ」って思い詰めてまで学校で得なきゃいけないことだったのかな、とは思う。
社会に出てもやろうと思えば、いろんな環境を知る機会はあるし、大人数での経験もできるっちゃできる。
ただ、そのやり方も学校で学ばなきゃわからないのかもしれないけど。だからこそ、こうやって書いてると、私の学校生活って一概に悪い面しかなかったわけじゃないよなって気もしてくる。
今みたいに「学校のせいで大きく失った大切なもの」なんて、学校のせいにしてるだけなんじゃないか、私が学校に完璧を求めすぎてるだけなんじゃないか、私がもうちょっと我慢すれば良かったことなんじゃないかって、正直思ってる自分がいる。
でも、やっぱり、
20歳になって振り返ってみても、私とって学校に行く毎日は「精神的に戦場」だったし、未だに大学からのお知らせってパソコン開いて死ぬほど見たくない。。。。
友達も、基本学校で出会った子達だから、学校の話題が多いし、常に意識の中で学校が付きまとってくるから嫌だ。
私の中で嫌悪感の基準に、間違いなく「学校か、学校以外か」がある気がする。
学校が絡むものはどうしても心の底から大切にできない。
それぐらいの抵抗感、嫌悪感がある。
だから、大学で出会いを求めたくなかったのかもしれないなんて今ふっと思うのだけれど笑
学校が全てじゃない
わかってるけど、当事者の小中高の学生にとっては「学生」って言うだけあって、学校に通うことが1つのアイデンティティであって、余程の特技とか何かがない限りはそれが世界の全てになっちゃう。私がそうだったから。
「そんなことないよ」って今は思うけど、それは私が一応高校まで卒業して、大学に通う生活をなんとかかんとか送れているから言えることなのかもしれない。
無責任に、「嫌なら通わなくて良いよ」とも言えないのがつらい。だって、実際に中卒でやりたい事の道に行ったものの、今給与の低い生活を送ってる人を知っているから。その人が不幸だとは思わないけど、大きくハンデになるのは間違いないから。
でも、自分の体を壊したり、自分のことを嫌いになったり、自分や自分の大切なものが信じられなくなるくらいなら、多少のハンデを背負っても学校以外の選択肢を選んでみるのもナシじゃないのかもしれない。悪くないのかも。
無責任に「行きたくないなら行かなくていい」って言って何も責任を取れない大人にはなりたくない。
でも、だからと言って「学校にはなんとか行きなさい、みんなと上手くやりなさい」って言う人にはなりたくない。
何か、模索できないかな。何らかの形で関われないかな…
とりあえず、活動とか探してみつつ、私は私を受け入れて、自分の好きな物や大切な人を信じる穏やかな気持ちを大切にしたいです。
ではでは
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました!
この学校のテーマはまだ2.3個書きたいことがあるので、また割と直ぐに更新すると思います。
良かったら、お待ち頂けると幸いです!