自由よ!-ルドルフ・シュタイナー『自由の哲学』9章より- 6 一叶知秋 2024年4月14日 17:45 改めて、次の箇所のドイツ語を見ますと、シュタイナーの書き方が最初から最後までカントと同じ言葉を使いつつ、きれいにカントの書き方をトレースしながら反論を書いていることが分かりました。これができるだけ伝わるように訳してみたつもりです。Wenn Kant von der Pflicht sagt: «Pflicht! du erhabener, großer Name, der du nichts Beliebtes, was Einschmeichelung bei sich führt, in dir fassest, sondern Unterwerfung verlangst» der du «ein Gesetz aufstellst..., vor dem alle Neigungen Verstummen, wenn sie gleich in Geheim ihm entgegenwirken» so erwidert der Mensch aus dem Bewußtsein des freien Geistes: «Freiheit! du freundlicher, menschlicher Name, der du alles sittlich Beliebte, was mein Menschentum am meisten würdigt, in dir fassest, und mich zu niemandes Diener machst, der du nicht bloß ein Gesetz aufstellst, sondern abwartest, was meine sittliche Liebe selbst als Gesetz erkennen wird, weil sie jedem nur auferzwungenen Gesetze gegenüber sich unfrei fühlt.Das ist der Gegensatz von bloß gesetzmäßiger und freier Sittlichkeit.「義務よ!汝、崇高にして、偉大なる名よ!汝は、好まれるもの、即ち人を慰めたり喜ばせたりするようなものを何ら汝の内に含まず、服従を要求する」。汝は「法則を措定し、[…]その法則の前であらゆる好みは、直ちに秘かに抵抗したとしても、沈黙するのだ」(カント『実践理性批判』初版本p.154)。カントが義務についてこのように述べるなら、人間は自由な精神の意識から次のように応えるであろう。「自由よ!汝、親しみ易き、人間味のある名よ!汝は、道徳的に好まれるもの、即ち私の人間性が最も高い価値を置くものの全てを汝の内に含み、私を誰の僕でもない者とする。私の道徳的な愛が単に強いられるだけの如何なる法則に対しても不自由と感じるが故に、汝は単に法則を措定するだけではなく、私の道徳的な愛が自分で何を法則として認識することになるのかを待ち続けるのだ」。これこそが、ただ法則に従うだけの道徳と自由な道徳との対比である。(ルドルフ・シュタイナー『自由の哲学』9章・全集4巻p.119より私訳) Die Philosophie der Freiheit In seinem philosophischen Hauptwerk, das zugleich Fundamen www.genialokal.de 原文出典:http://bdn-steiner.ru/cat/ga/004.pdf ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #自由 #道徳 #法則 #シュタイナー #義務 #カント #ルドルフ・シュタイナー #自由の哲学 #イマヌエル・カント 6