医療と禅をつなぐ「僧侶」の視点 マインドフルネス・禅と医療とは?
LDCイノベーション講座 第3回
臨済宗建長寺派林香寺第十九代住職/精神科医
川野泰周
テクノロジーの進化の行く先と、人間性をテーマに開催しているイノベーション講座。第3回は「マインドフルネス・禅と医療」をテーマに、精神科医と寺の住職という顔を持つ川野泰周(たいしゅう)氏にお越しいただきました。今注目されている”マインドフルネス“について、日本の”禅”とは違うのか、医学的な効果で明らかになっているものは何なのかなど、禅と医療を繋げられる貴重な方の視点でお話しいただきました。
頭ではなく、身体で感じるからこそ残っていく
マインドフルネスの全世界的な定義は「意図的に、今この瞬間に、判断せずに、注意を払うもの」という、精神科医・心理学者のJon Kabat-Zinnという人が提唱したものです。マインドフルネスは禅とは違うもの、と考える人もいますが、私個人はマインドフルネスは禅そのものだと思っています。
マインドフルネスは、人のこころを整えるために開発されたさまざまなメソッドの1つです。そうしたメソッドは理入と行入(ぎょうにゅう)に分かれるのですが、マインドフルネスは行入にあたります。すなわち理念から入るのではなく、体験から理解していくということです。今ブームと言っても過言ではないマインドフルネスですが、知識だけで広まったとしても、やがて廃れてしまうと思います。体感を伴った人だけが、マインドフルネスを活かしていけると思うのです。
試しに、みなさんも行から入ってみましょう。印を結ぶ上で、形にこだわらなくていいので、まずは2分座ってみましょう…(会場、実際に体験してみる)…あるいはもっと簡単に、日常が瞑想になりうる「生活瞑想」を取り入れてみてください。例えば呼吸瞑想。口の前に手を出し、息を大きく吸って口をすぼめ、長く、均等に息が当たるように吹き続けてみてください…どうですか。息を均等にあてることに集中している間は、他のことは考えられなかったと思います。この状態は、立派にマインドフルな状態と言えるでしょう。
よくなろうと思わず、目の前のことに集中するとよくなる
2010年に、アメリカではある実験が行われました。スマホで「今何をしていますか?」→「今何を考えていますか?」というアンケートに回答してもらう実験です。その結果、目の前のことに集中していない人が46.9%に及ぶことがわかりました。これはいわゆる”mind wandering”(心がさまよっている状態)ということです。さらに「今幸せですか?」というデータを蓄積していきました。すると、不幸せなことはもちろん、幸せなことを考えているときよりも、目の前のことに集中している方が幸せ度が高いということが分かりました。逆に言いますと、どんなことを考えていても、mind wanderingの状態では幸せを感じられにくいのです。
何故mind wanderingの状態では、幸せを感じられにくいのでしょうか。実はこの状態の場合、脳の6割から8割のエネルギーを浪費していることが、MRIを用いた実験でわかりました。この状態が続くと、鬱状態になると考えられています。このモードを休ませるために、マインドフルネスが有効だということも分かっています。
私は禅寺で修行を積んだ経験がありますが、修行中は”雲水”(行く雲、流れる水)になりきれと言われるんです。修行ではすべての一挙手一投足が決まっているんですね。目の前に集中するしかない状態をつくるのが、雲水の修行なんです。これが、結果的にマインドフルな状態を生んでいるんですね。
よく「禅をやって、何になるんですか?」という質問を禅の会でされる方がいます。ビジネスの視点で考えると、どんな効果が得られるのか事前にわからないものは効率が悪い、と考えられるでしょう。でも実は、禅やマインドフルネスで行うような、非生産的な没頭(それをやっても、何にもならない)の方が、心の助けとなるんです。効果を求める気持ちが強すぎると、患者様も治りにくいんですね。単純作業を続ける。そうすることで、結果として回復につながっていくものなのだと思います。
禅とマインドフルネスの関係
少し禅の話をしましょう。私が最も尊敬している禅僧に、江戸時代の”臨済宗の中興の祖”と言われる、白隠禅師と呼ばれる方がいます。この方は厳しいことで有名でしたが、一方で一般の病に伏している方に瞑想法を施して、病を治していた優しい方とも言われています。私は、この人がマインドフルネスの元となる禅の基本的な考え方を持って、ある種精神科医のような役割を担っていたのではないかと考えています。
禅から宗教色を一旦廃して、アメリカでマインドフルネスを立ち上げて初めて治療にも用いた方のが、先ほども出てきたJon Kabat-Zinnという人です。最初に世の中にマインドフルネスという言葉が出てきたのは1800年代と言われているのですが、当時は全然注目されなかったそうです。その後、再度フォーカスし世の中に広めたのがJon Kabat-Zinn、1970年ごろのことだと言われています。
15年程度前の精神科治療では、心理療法はあくまで補助的なものと考えられており、治療の主体は薬物療法でした。しかしここ5-10年で、心理療法の治療効果が、薬物療法を上回る場合があるということが、信ぴょう性の高い研究で証明されるようになってきました。抗うつ薬治療とマインドフルネス治療とで、精神疾患の再発率がどれくらいちがうかを測定したところ、マインドフルネス治療(MBCT)の方が優位に有効と判断されたんです。
個人的な所感ですが、禅とマインドフルネスは同じだと思っているんです。ただし、医療に導入しようとした場合には、論理実証性(再現性、統計的な優位性、論理的整合性)がないと、治療法として推奨できないんですね。禅は担い手によって効果が全然違うので、論理的には実証できません。マインドフルネスはその点、実証できますし、エビデンスを蓄積できる素晴らしいものだと思っています。
マインドフルネスによって、自慈心が育まれる
現代は、自慈心(セルフ・コンパッション、自分を慈しむ心)と自尊心(他者からの評価によって成り立つもの)とのバランスが大事と言われていますが、私は現代に最も必要とされる瞑想は、自慈心を育む瞑想だと考えています。この自慈心を育む3要素として、自分への優しさ、当たり前の人間観(人は誰でも不完全な存在であるという考え)、そしてマインドフルネスを挙げている人もいます。
例えば、私たちは何かを失敗した時に苦痛を感じると思いますが、その時に生まれた心の痛み、苦しみよりも、失敗そのものに注意が向いてしまうことが多いでしょう。でも、マインドフルネスを通じて、その時に感じている苦しみに気づくことができます。よくマインドフルネスに取り組んでいると、雑念が浮かんできた状態を責めてしまう方がいますが、それに気づけたことが素晴らしいのです。この気づきが、自身を慈しむきっかけとなるでしょう。
最近ですと、googleの元SEの方が「サーチ・インサイド・ユアセルフ」という本を通じ、禅を勉強してマインドフルネスプログラムを広めていらっしゃいますね。マインドフルネスのポイントは、特に資格がなくても、自分からすぐにでも始められ、広げられるということだと思います。マインドフルネスは、様々な取り入れ方があります。ご自身のできる範囲で、日常に取り入れてみてください。
スピーカープロフィール
■川野泰周
臨済宗建長寺派林香寺第十九代住職/精神科医
RESM新横浜 睡眠・呼吸メディカルケアクリニック 臨済宗建長寺派林香寺第十九代住職/精神科医。1980年、横浜生まれ。2004年慶応義塾大学医学部医学科卒業。臨床研修修了後、慶応義塾大学病院、国立病院機構久里浜医療センターなどで精神科医として診療に従事。2011年より建長寺専門道場にて禅修行。現在、横浜市にある臨済宗建長寺派・林香寺で住職を務める傍ら、RESM新横浜睡眠・呼吸メディカルケアクリニックでは副院長として従事しているほか、池袋の神心会 こころケアクリニックでも精神科診療にあたっている。薬物療法や従来のカウンセリングだけでなく、マインドフルネス瞑想や禅の要素を積極的に取り入れた診療を行っている。精神保健指定医・精神科専門医・医師会認定産業医。著書に「あるあるで学ぶ余裕がないときの心の整え方」(2016年10月14日発行:インプレス)がある。