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相手の気持ちを背負いすぎたときは“信頼”という名の境界線を引く。
先日とあるラジオを聞いていたら、
相手の気持ちを背負いすぎたときは「信頼」という境界線を引いたら、いいんだよ。
とパーソナリティーの方が言われていて、これは真理だし、とても勇気づけられる言葉だ。と思ってしまいました。
内向的な方、特にHSPという気質を持っている方は、
“相手の感情は相手のものであって、自分のものではない”
と言われても、共感力が高いせいも手伝って、ついつい相手の感情を我が事のように置き換えて捉えてしまいがちではないでしょうか。
内向的で共感力が高い人間ほど、無意識でとる反応が相手と同化しすぎてしまって、共感の海に溺れてしまいそうになることがあると思います。
私自身も例外ではなく、気をつけないと目の前の相手と同化してしまっていて、えぇと…これは私の感情だっけ…?となることがあります。
私は、幼い頃に親の顔色を窺わないと生きていけなかった無意識の生存バイアスの弊害が完全には抜けきれなくて、気をつけないと反射的にとる行動がついつい共感しすぎてしまうということになりがちです。
しかし、今回のラジオで取り上げられていたメッセージをきいて、同化・共感しすぎてしまいそうな局面ほど、相手と自分との間に「信頼」という名の境界線を適切に引いて、一歩俯瞰したお付き合いをしていけばいいのか、と思うと少しロジカルに気持ちがフゥ〜とラクになりました。
「信用」と「信頼」の違い
昔、中学の担任の先生に、
「相手に対して「信用できる」とか「信用している」なんて間違っても使っちゃいけない。
「信用」と使っていいのは、銀行だけだからな。」
と教えられたせいで、
そうか。信用という言葉は安易に人に対しては使うべきではないんだな。と私の中で「信用」と「信頼」という言葉のチョイスは間違えてはいけないんだ、と一定以上のこだわりのある箱の中に入れられてしまいました。
未だに、「信用」というと相手を値踏みするような感覚を覚えてしまい、ちょっと苦手と思ってしまう自分がいるのを否めません。
あらためて、「信用」と「信頼」の意味ついて調べてみたところ、以下のように整理することができました。
信用 信じて用いること
信頼 信じてたよること。たよりにできるとして信ずること
信用 過去に対し、実績や成果を評価すること
信頼 未来の行動や感情について、期待すること
実績による判断が、「信用」であるとすれば、「信頼」はその人自身を丸ごと受け入れて認める、そしてその人が取る行動に対して全面的に肯定するといったニュアンスがあるように感じられます。
う〜ん。信用も悪くはないけど、少なくとも私は、「信用」ではなく、完全に「信頼」していると言われたいタイプの人間です。
先日もパートナーとこんな話になりました。
「信用」という言葉を、パートナーは私の行動と選択の中から「あるたった一つの事柄」に対して「信用している」と用いていて、
それを言われた私は、フォーカスが当てられた「あるたった一つの事柄」ではなく、私自身が「信用」するかどうかの対象であり、そのジャッジメントの土俵に上がっているのか?と錯覚してしまったのです。
これを聞いて、冷静にどこが問題なの?信用されているのはいいことなのでは…?と思われる方がいても不思議ではないと思います。
これは、私が完全に取り違えてしまっているだけの問題なのかもしれませんが、すでに気心知れている間柄であっても、かつての実績や成果がないと、目の前の相手のことを信じることはしないのか、とやや条件的な響きやニュアンスが含まれているように感じてしまうところがあったからなのです。
当時の私自身の思考回路の中では、気心知れている間柄で相手のことを信頼しているのであれば、その人が取る「選択」と「行動」は毎回ジャッジメントの対象に上がるものではなく、概ね例外なく信頼しているよ、と丸っと全てを受け入れ、肯定することはできないのか、と考える自分がいるのもまた確かでした。
以上のことから、「信用」という言葉には、未だに若干の引っかかりを覚えてしまうところがあって、用法を気をつけないとと思ってしまいます。
あらためて「信用」の持つ意味に対して俯瞰して捉えてみると、単純にかつて担任に言われた言葉も相まって、やや過剰に反応している自分がいるだけなのかもしれませんが。
余談ですが、
この記事を書くにあたって、「信」という漢字を眺めすぎたため、最終的には「信」という漢字がゲシュタルト崩壊*を起こしてしまう…という予想だにしなかった展開に着地しました。
ゲシュタルト崩壊
同じ漢字を長い間、あるいは繰り返し見続けていると、漢字としての形態的なまとまりがなくなって、各部分がバラバラに知覚されたり、その漢字がいったいどんな漢字であったかわからなくなってしまうこと
かほ|人生を変えるソロ旅プロデューサー
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